救済されるはずだった子ども時代を経て、介護について思うこと
今年ももう終わりですね。
2022 最後の日、なにも介護について書かんでも…と自分でも思いますが、やはり今年は介護のことしか思い出せない年でした。
今年の6月から急に始まった介護生活
(もう終わったけど)。
すべてそれに上書きされて、もはや上半期の記憶はほぼありません。まさに介護に慄いた一年でした。
今年のトピック
1月 体調崩して寝込む
2月 記憶なし
3月 記憶なし
4月 記憶なし
5月 記憶なし
6月 一人暮らしだった義母が腰の手術について詳しく聞きたいと東京(私と夫の家)へやってくるも様子がおかしい。
→糖尿病の悪化、認知症が発覚
→一人暮らしは難しいとの診断を受ける
7月 準備のため一時帰省していた義母を迎えて同居スタート。
→食事、薬の管理、通院の同伴などで生活が一変
8月 同上
9月 デイサービスの利用開始。といっても週一なので、大して負担軽減にならず。
全員コロナに罹患→精神的にも肉体的にも限界に達し、家庭内が殺伐としてくる。
義母が知らないうちに誤った薬を飲んでしまい脱水状態に。救急車のお世話になる。
10月 日々の介護に発狂しケアマネさんに相談、ショートステイを初めて利用(10日間ほど)。
→やっと介護認定が降りるも要支援1となり、関係者一同どっちらける。
11月 介護認定の再申請&再調査が始まる。
→空きのあった、よさげなグループホームを見つけ相談にいく(ケアマネさんもお墨付きのホームで一同安心)
→月末に入所
12月 要介護1の判定がおりてグループホームの入所資格を得る。
事務作業の嵐(新しい介護レベルでの再計算、入金、契約書締結など)。
と、介護一色の年となりました。
生活って簡単に一変するんだった、と改めて実感。
ほんと上半期の記憶はなくて、当時通っていた歯医者さんに行くのダルかったなぁ、くらいしか思い出せません。
少し真面目な話をします。
私の家はややこしくて、私の兄は私の面倒をみるヤングケアラーだったし、私は私で言い難い虐待に耐えた子どもでした。
どちらも、今だったら大問題でしょう。
だけど、当時は、そこまで大ごとではなかった。
今から30年以上前は、DVなんて言葉もなかったし、ヤングケアラーやネグレクトなんて言葉もなかった。
酔ったお父さんが暴れていい時代、
しつけという暴力がまかり通っていた時代、
子どもが幼い兄弟の面倒をみることが当たり前の時代、
子どもが働き手として家の用事をさせられる時代、
だったんです。
何が言いたいかというと…
介護って今は家族がやることが普通とされてて、国も在宅介護を基本としていると聞いて背筋どころか全身凍ったけど、これは破綻するよなぁ、ということです。
介護が始まると介護以外のことが、ほとんどできなくなります。すべてが介護中心。育児と一緒です。
でも育児との大きな違いが2つ。
終わりが見えないことと、介護の負担がどんどん増えることです。
介護離職、介護うつ、老老介護、さらに虐待やらネグレクトという言葉も同時に聞くようになりました。
もう明らかにヤバいように感じます。
親でも、子どもでも、子ども同士でも、別人格なんだから、自分の人生を捨てて家族をみるというのには限界があって、限界はいつか必ず破綻します。
しかも少子化、長寿化のダブルパンチ。ダブルリスク。(あえて長寿)
どう考えても詰んでます。
これから先、私たちが年老いて、もう二人暮らしや一人暮らしがままならなくなったら、施設に入ってプロの方のお世話になることが普通になるでしょう。
そうじゃなきゃ、困るなぁと心から思います。
え!昔は家族だけで介護してたの?
という時代に早くなりますように。
これは、障がい者を持つ親御さんやご家族に対しても同じ気持ちです。
今、介護で苦しんでいる人たちが、少しでもその大きすぎる負担の荷を早く下せますように。
そう願ってやみません。
とはいえ、今回のことで日本の介護保険制度の仕組みやケアマネージャーさんはじめ関係者の方の対応の素晴らしさには心から感謝しています。
もっと幸せな社会にするために、お金のことをちゃんと知ること、そして、健康でいることがなにより大切と痛感した一年でした。
来年は、平和に、健やかに過ごせますように。
最後までお読みくださりありがとうございました。
来年も皆様にとって、より良い一年となりますように。
ハラさん