【吹奏楽部】急に担当楽器を変えさせられた時、どうすれば前を向けるか考える
こんにちは、はらいちといいます。
現在、トランペットをはじめとした吹奏楽や音楽の情報サイト「トラ道」の運営をしている27歳です。中高吹奏楽部でチューバ→大学ビッグバンドでトロンボーン。人生の思い出の9割音楽マンです。
このnoteでは、吹奏楽部の中高生に向けて、ネット探してもどこにも書いてないような、日々吹奏楽部として活動する上で、そして日々生きていく上で、苦悩や辛いことに寄り添うような発信をしていこうと思っています。
高い音の出し方!とか肺活量の増やし方!とかは、ネット上にわんさか優秀な情報が転がってるのでそちらに任せて、それ以前の「モチベーションの維持」「毎日生きがいを感じる」みたいな精神的な部分を書いていこうと思いますよ。
僕へのメッセージは、TwitterのDMではなく公式LINEへお願いします🙇♂️(記事の最後にリンクがあります)
…(ここから本題)………………………………………………………
今日は、
担当楽器になってある程度経ったのに、顧問の先生に急に「楽器変わってくれない?」と言われてしまったり、もうすでに楽器が変わってしまって悩んでいる場合、どう気持ちの整理をしたらいいか?について、僕の経験をもとに色々話をしてみようと思います。
これねー、宣告された側って想像以上にめちゃくちゃ辛いんですよ。
・自分じゃなくてもいいはずなのに、何で自分が変わらなきゃいけないの?一番下手だったってことかな…?
・この楽器がやりたくて吹奏楽部入ったのに、楽器変わったら意味ないじゃん…
・せっかくある程度吹き方とか運指とか慣れたのに、また1から始め直さないといけないの…?
・パートの先輩や同期とせっかく仲良くなったのに、そこの人間関係もまた新しく作り直さないといけないじゃん…
みたいな感じ。
精神的にも、技術的にも、人間関係的にもめちゃくちゃ打撃受けるんですよね、、
僕も、中1の頃この経験があるので、とても気持ちがわかります。
僕は中1の頃ユーフォニアム担当だったんですが、先輩が辞めてしまったせいで、顧問の先生に言われてチューバに変更させられた経験があります。
学校によっては、ユーフォとチューバで一緒のパートってとこもあるかもしれないですが、うちの中学はユーフォとチューバは別パートで、練習場所も先輩も同期も何もかも違う、という状況でした。
せっかく先輩によくしてもらってたのに、チューバの先輩めっちゃ無愛想じゃん、やってけるかな…とか、
せっかくだんだん上達してきたとこだったのに、また吹き方のコツ掴み直さなきゃ…同期からも置いてかれちゃうなぁ…とか、
ユーフォならある程度メロディとか目立つ部分多かったのに、チューバの楽譜ベースラインばっかでめっちゃ地味じゃん…とか。
中1の僕からしたら、別の学校に転校したレベルの、人生を揺るがす大事件ですよ。
そのくらい、環境がガラッと変わって、いろんなストレスが降りかかってくるんですよね、楽器変更って。
僕の場合、チューバに移動した原因は、チューバの先輩がある理由で部活を辞めてしまって、人数バランスを合わせるために、という感じでした。
なので、正直当時の自分は、
(その先輩さえ辞めなきゃ、僕はこんな苦労せずに済んだのに…)
と、イライラして、あぁ..何で僕だけ..と何度も思い、悩んでしまっていました。
でも、今思うと当たり前なんですが、もうしょうがないんですよね。ある程度は。
吹奏楽部に所属してしまった以上。
だから、この記事で伝えたいことを一言で言うと、
しょうがないことだから、前向きに捉え直そう
です。
そんな身もふたもないこと言われても…
って思うかもしれませんが、
ここからは、
なぜしょうがないのか?の部分を、吹奏楽という部活の性質を知ることでわかりやすく説明します。
そして後半は、
具体的には、どう前向きに捉えなおせばいいか?という部分について、僕個人的な見解を提示しようと思います。
もう1度言いますが、
楽器変更ってのは、もうしょうがないことなんです。
そりゃ技術面でも人間関係面でも、ずっと同じ楽器続けた方がいいに決まってるじゃないですか。
下手になるわ、人間関係も変わるわで面倒ごとしかないのに、
じゃあ何でこんな理不尽なことが起こるのか、と。
というのも、
吹奏楽部というのは、みんなで1つのもの(音楽)を力合わせて作る部活なので、1人1人が好き勝手やるわけにはいかない部活です。
例えば、みんな完璧な演奏してたとしても、1人でも音程やリズムがずれてる人がいたら音楽全体が台無しになってしまいますよね?
それと同じように、吹奏楽部はいろんな意味で「調和」すること(=バランスを取ること)が必要になるのです。
この「調和」という言葉、後々の話に響いてくる重要なポイントなので覚えておいてくださいね。
そう、吹奏楽部でやっていくには、「調和」が必要なんです。
そうですね、例えば、みんなやりたい楽器でいいよー!!っていう吹奏楽部、想像してみてください。
そうすると、考えるまでもなく、人気の楽器が大多数になって、マイナーな中低音の楽器誰もいなーい、曲何にも吹けなーい、コンクール出れなーいってなります。
当たり前の話ですよね。
でもこれ、他の部活では当たり前じゃなくなるんですよ。
例えば陸上部とか。
陸上部って、同じ陸上でも、めちゃくちゃ種類ありますよね。
早ければ勝つやつ(短距離、長距離、競歩とか)
遠くまで飛ばすやつ(やり投げ、砲丸投げとか)
めっちゃ跳べばいいやつ(高跳び、幅跳びとか)
これ、同じ吹奏楽部でもいろんな楽器がある、ってのと似てます。
でも、陸上部では、
幅跳びの枠いっぱいだから、お前競歩やってな。
やり投げの先輩が辞めちゃったから、お前短距離やめてやり投げやって。
みたいなことは起きません。
短距離やりたい人は、みんな短距離やればいいし、
長距離やりたい人は長距離やればいい。
自分の意思で、一番やりたい競技、向いてる競技を決めることができます。
でも、吹奏楽部は違いますよね。
吹奏楽の譜面というのは、各楽器がバランスよくいる前提で書かれてしまっています。
バランスが悪い(「調和」が取れていない)と、フルバンドの曲は演奏できません。
(例えば、アンサンブルの譜面を探せば、同じ楽器のみの編成とかもありますが、日本の中高の吹奏楽部といえばフル編成でしょ、という、よくよく考えれば謎の風潮がありますよね。
なぜか、トランペット吹く人だけ集めた「トランペットアンサンブル部」とか別にあってもおかしくないのに聞いたことない)
つまり日本の吹奏楽部は、陸上部のように、個々がやりたい楽器を自由にできる文化ではない。
ということなんですよ。
もう、しょうがないとしか言いようがない。
だから、
オーディションで落とされてなくなく第1希望じゃない担当楽器にされるし
〇〇さん辞めちゃったから、あなた楽器変わってくれない?とか、理不尽極まりないことを言われるわけです。
なので、もし担当楽器が変わったとしても、
自分が楽器を変えることで、吹奏楽部という部活全体の「調和」、そして部員全員の「調和」に貢献できた。
と捉えて、前を向く。
これしかありません。
あなたが楽器を変更しなければ、部活としてコンクールに出場する資格すら無くなってたかもしれません。
ですし、楽器を変更しないままだったら、バンド全体としての音量バランスが悪いままだったかもしれません。
また、あなたが楽器を変更したことで、もともと同じ楽器を吹いていた同期が、学校を卒業してもずっと一生涯その楽器を続ける、という人生の手助けができたかもしれません。
確かに自分自身は辛い思いをしてしまっているけど、「自分のおかげで全体が良くなる手助けができた」ことに幸せを感じることができたなら、
それは物凄い人間的成長です。
僕は今までいろんな人を見てきましたが、
大の大人でも、この「他人や全体の幸せ=自分の幸せ」というふうに感じられる人がどれだけ貴重で、どれだけ難しいことか、ということを強く感じます。
僕自身だって、到底そのレベルまで達していない未熟な人間です。
たいてい、他人を蹴落としてでも、他人を多少不幸にしてでも、自分さえ良ければいいや!と、心のどこかで考えてしまうものです。
なので、今、現時点では理不尽に思い、誰かに恨みを持っているかもしれませんが、
何で自分だけ辛い思いをしなきゃいけないの…?と思うかもしれませんが、
ちょっとでも、
「まあ、誰かの役に立ってるんだと考えれば、そんな悪くもないことなのかもな。」
と思える自分を見つけて欲しいと思います。
ですし、みなさんからしたらまだ遠い未来のことに思えるでしょうけど、
大人になったら、毎日毎日こんな理不尽の連続です。
正直言って、大人として生きるって、今の吹奏楽部みたいな組織で生きているのとそこまで変わらないんじゃないかなって思います。
会社で仕事するにしても、家庭を持つにしても、自分1人の幸せだけ求めちゃ人って生きられないんですよね、悲しいことに。
自分じゃない誰かと一緒に、協力して、1つのものを作り上げる。
と書けば、
会社も、家庭も、吹奏楽部と同じじゃないですか。
自分とは考えの全く違う人とも、同じ吹奏楽部にいる限り、同じ曲を演奏するわけじゃないですか。
全体の「調和」のためには、時には自分自身が納得いかなかったり、理不尽に思うことだってあったりします。
ある本に、「人間は、決してたった1人では生きることができない存在だ」と書いてありました。
マンモスを狩ってた時代、人間が孤独になることは、紛れも無い死を意味しました。
なぜなら、人間同士協力しないと、人間より大きな獣を仕留めることなんてできないからです。
あいつは嫌いだ、とか言って、狩りしてる途中で仲間割れなんてしてしまったら、結果的に食料が手に入らず、家族を養うことができず、一族が途絶えてしまいます。
そして、マンモスを狩ってた時代と、人間はそこまで変わっていない。
少し難しい言葉を使うと、人間は「社会的な生き物」だということです。
つまり、人間は、何かのコミュニティに所属して、その中で助け合わないと生きていけないということです。
あなたは、家族というコミュニティ、教室のクラスというコミュニティ、吹奏楽部というコミュニティに所属しているはずです。
そして、今後の人生で、あなたは数多くのコミュニティに所属することになると思います。
その中で、楽器が変わってしまった、という出来事が可愛く思えてしまうほどの出来事に直面することがあるかもしれません。
そうなった時に、あなたが今経験している辛さ、苦悩が、必ず活きる日が来ると思います。
あの時、あの経験をしてかったとしたら、今頃どうなっていたのだろう…
と思える日が、いつか来るということです。
でも、現時点でそんなこと到底信じられないですよね。
まあ、それでいいと思います。
こんな気難しいことをつらつらと言ってる大人がいるんだなぁ、
今も辛いことには変わりはないけど、この記事を読む前と比べて、ほんのちょっと気が楽になったかもなぁ、
そう思ってくれたら、この記事の役目は果たしたと思っています。
本当は、この記事の中に、
じゃあ、どう具体的に前を向いて、日々の練習に向き合うのか?
どうモチベーションを維持すればいいの?
みたいな話も盛り込みたかったのですが、
(というか、この記事の冒頭にそれを書くと書いてしまったのですが)
また別の機会に書くことにします。
でも、もし、個別に何か悩みや誰にも言えないことがあったりするのなら、
もし良ければ、僕自身が話聞きます。
別に僕はカウンセラーでもないし解決はできないかもしれないけれど、
僕自身、学生時代、仲のいい友人だからこそ言えなかったり、両親だからこそ言えないことってめちゃくちゃありました。
だから、ずっと僕は1人で孤独で悩み続けてきた過去があったります。
「周りに相談してね」とか「頼ってね」「話聞くよ」なんて簡単に周りの人は言うけど、それってめっちゃ難しくないですか?
当時の僕は、そんな勇気到底なかったです。
だから、そんな人たちの受け口になりたいなと思って、こんな記事を書きました。
こちらは、僕が運営に携わっている「トラ道」と言うサイトの公式LINEのリンクです。こちらからメッセージを送っていただければ、必ず目を通し、返信させていただきます。
どんなに些細なことでも大丈夫です。ぜひお待ちしてますね。
こんな、インターネットの隅っこにある記事を見つけてくれてありがとうございます。
もし、少しでも気持ちが軽く、明るくなってくれていたら嬉しいです。
はらいち
参考文献
岸見一郎,古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社, 2013)
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(上)』(河出書房新社, 2016)