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髭剃り

洗面台を息子が占領している。鏡にうつる顔を覗きこんで、T字カミソリを上下に動かしている。

初めて自分で髭を剃ると言いだした時、薬局に並ぶカミソリのどれを選べばいいのか分からなくて、30分近く悩んだ。
こういうとき母では頼りないだろうな。LINEで父親に聞いてみればいいのに、「ママさん、買ってきてよ」と全投げする息子。
とりあえず言えることは「刃を横に動かさないでよ。切れちゃうから」これだけ。
今はうまく剃れるようになったようだ。

他人の髭を剃ってあげることってあるのだろうか。彼氏の髭を剃る女性、あまり聞いたことがない。髪を洗ってあげることはあってもね。

介護の仕事をしていると、男性ご利用者の髭を剃ることはある。持参された電気シェーバーを使うことがほとんどだけれど。

昨年、同学年の男性を看取った時、亡くなったあとのエンゼルケアで彼の髭を剃った。
エンゼルケアとは、死後におこなう処置、保清、メイクなどのこと。
濃いめの髭が伸びてきていて気になっていたが、痛みや吐気でつらそうな時に剃ることができなかった。
いつもパジャマ姿だった彼が、チェック柄のシャツとチノパンに着替える。それだけで印象が違ってみえる。
髭を持参のシェーバーで剃ってみるが、きれいに剃ることができない。よく男の人が頬を舌で押して剃っていたり、鼻の下をのばして剃っている姿を見かける。
亡くなった彼はそれができない。

T字カミソリに変えて、ゆっくり剃っていく。
左手を添えて、少し皮膚を引っ張って、なるべく剃り残しがないように指のはらで確認しながら。
左手の指からは、彼の体温を感じることはない。息がかかることもない。冷たい肌がそこにあった。

冷たい肌だけれど、温めたタオルで顔の泡をとるように拭いていく。
今にも目を開けそうな彼がいた。
横で見ていたお姉さんの顔も悲しみの涙顔から、ちょっとゆるんで、「いつもの◯◯に戻ったね」と笑顔になる。
美しい瞬間、この仕事だから見られる瞬間。

鏡を覗き込む息子を見ながら、こうして貴方を思い出す。

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小笠原ゆき
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