Happy Women's Map 福岡県福岡市博多区 男装の儒学者 高場 乱 女史 / The Heroic Female Confucian Scholar, Ms. Osamu Takaba
「人間は誰にでも持って生まれた天分がある。十分に存分に発揮せねばならぬ。全ての人の天分を尊重して各自の中に神を見出すべし。」
"Every human being is born with inherent talents. These talents must be fully and completely expressed. We must respect the talents of every individual and find the divine within each person."
高場 乱 女史
Ms. Osamu Takaba
1831 - 1891
福岡県福岡市博多区 生誕
Born in Fukuoka-city, Fukuoka-ken
高場乱は近代日本を代表する男装の女性儒学者です。男装の眼科医として診療する傍ら、私塾の興志塾(通称「人参畑塾」)興して玄洋社はじめ近代日本で活躍する人材をたくさん育て上げました。
Takabaran is the heroic female confucian scholara representing modern Japan. While practicing medicine as an ophthalmologist in Masculine Attire, she founded a private school, Koshi Juku, and guided a large number of people to play an active role in modern Japan, such as Genyosha.
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「男装の眼科医」
乱は代々福岡藩の藩医を務める眼科医・高場正山の末子として生まれ、利発さゆえに男子として育てられます。医学の他に男子の嗜みである漢学を学び、10歳で男性として公的に元服します。元服後は髷を結い袴をつけ腰に刀を差し牛や馬に乗って往診に出かけます。乱は父の命で16歳で結婚するも自ら離縁。「結婚なんぞつまらん。亭主なんぞ厄介至極。私はこんなことで一生を過ごすわけにはいかん。」その足で、身分性別を問わない亀井昭陽の亀井塾に入塾。3年住み込んで儒学さらに武術を習得します。乱自身は生来虚弱で華奢でありながら「四天王」と呼ばれるまでに腕を上げます。20歳の時に家督を継ぎ、人に女扱いでもされようものなら、恐ろしい形相で飛び掛かって相手を蹴り倒します。従妹の野村望東尼に強い影響を受け、乱は京都に上って勤王志士として挺身しようと考えますが、「一年の計画には殻物を植えるのが最もよく、十年の計画には木を植えるのが最もよく、一生の計画としては人材を育てるのが最もよい。(『管子』)」の一句に感銘を受けた乱は医業の傍ら若者の教育にも携わるようになります。
「人参畑の女傑」
乱は42歳で眼科業の傍ら私塾興志塾(通称「人参畑塾」)を開設。乱は血気盛んな若者を好んで受け入れ寝食の面倒を見ながら、儒学の経典『論語』『孟子』のほか『史記』『三国志』『水滸伝』など英雄伝を扱い、自ら書物の人物となって泣き笑い憤って古今烈士の型にはまらない思想と行動を訴えます。塾内では連日の白熱の議論と取っ組み合いの喧嘩、乱は竹刀を手に一喝しながら教鞭を執り、塾生たちに当番制で田畑の世話・掃除・炊き出しなどを、体力づくりとして相撲またランニングをさせます。また、土佐から立志社の若者が自由民権を説きに来ると、乱は最後まで黙って聞くと放屁を一発して追い払います。乱は口先だけの雄弁家を嫌い、実践を重んじました。やがて塾は乱暴者ばかりが集まる「梁山泊」と呼ばれ、乱は「人参畑の女傑」と呼ばれるようになります。
「玄洋社」
塾生たちは次々と結社を創設。なかでも頭山満はじめ平岡浩太郎、進藤喜平太、箱田六輔、武部小四郎らは福岡はじめ佐賀・熊本・山口で反乱を起こすと、政府は血眼になって弾圧に乗り出します。乱も扇動した容疑で拘束されると、「拙者の白髪頭と県令渡辺清の首を刎ねた上で、一緒に並べて頂きたい。」、無罪放免で釈放されます。塾生を含む数百の志士が死罪となるなか、乱は獄中の塾生に豚汁・牛またの里芋煮しめなど炊き出しを毎日差し入れます。生き延びた頭山らが向陽社(玄洋社の前身)を結成すると、乱は漢書の講義に出かけたり、内部の抗争を仲裁するなど、弟子たちの行く末を見守ります。来島恒喜が大隈重信へテロを仕掛けた上で自殺すると、乱は「匹夫の勇(思慮分別に欠けた、血気にはやるだけのつまらない勇気)」と酷評。翌年、乱は病床に伏し、一切の治療を拒み、弟子たちに看取られつつ59歳で逝去。墓碑銘「高場先生之墓」は勝海舟の揮毫です。
-福岡市博物館 Fukuoka Museum
-「玄洋社社史」(玄洋社社史編纂会 編 / 1929年)
-「筑紫史談 46」(筑紫史談会 編 / 1929年)
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