アルコール依存症者へ贈る愛の言葉-16サポートする側の心の問題
一番近い人をターゲットにして攻撃するのはどうもアルコール依存症に共通のパターンらしい。
じっさい怒りの発作を起こしたときのJは、私を傷つける天才だ。一番痛いポイントを的確についてくる。
愛する人からの罵倒がこたえるのは当然なんだけど、深いところにあるトラウマにつながったところを抉られるとなおさら傷つき、揺さぶられる。
感情の嵐に翻弄されることになる。
ある言葉に激しく動揺して傷つくのは、それとつながる古い深い傷があるサインだ。
どうか傷ついた自分に気づき、癒やしてほしい。
傷ついた心を癒やすのは、アルコール依存症者とのつきあいにいい影響を及ぼすだけではない。
心を癒やすことは自分自身がよりよい人生を生きるために必要だと私は思う。
心に傷のない人はいない。だから心の問題はもちろん、支える側の人にもあって当然なのだ。
家族やパートナーの心の問題は依存症の回復にとっても非常に重要なファクターだと思うんだけど、あまりクローズアップされることがない。
依存症そのものとは別の問題だという切り分けだろうか。
サポートする側への配慮だろうか。
心の傷に気づくことは誰にとっても人間的成長につながるいいことだと思うのだが。
いずれにせよ私にとって心の問題は、Jのアルコール依存症とつき合うためだけではなく人生の大きなテーマだ。
自分が傷ついた心を抱えていることは自覚していて、生きづらさを何とかしたいと願いつづけてきた。
Jとの数奇な年月の間、それまでは遅々として進まなかった癒やしのプロセスにたくさんのブレイクスルーがおきた。
トラウマを解消するのはとても苦しい。
Jがいなければここまで来れなかった。
アルコール人格のときのJに凹まされるのは事実なんだけど、そうでない時のJ が私を支えてくれたのも、紛れもない事実なのだ。
Jには感謝しかない。
心を癒やすことで成長し変化するなかで、パートナーとの絆が深まる場合もあれば別れを選ぶことになる場合もあるだろう。
いずれの場合にせよ、よりよい人生につながると私は信じる。
実際に自分の心の癒やしと、Jの回復は干渉しあって進んでいる実感がある。
今では2人ともある意味で出会った頃とは別人だ。
アルコール依存症という病気は、Jにも私にも、人生を振り返り成長する機会を与えてくれた。
辛かったけど、得たものは大きい。
Jのアルコール依存症とのつきあいと同じように、私の心の探求は一生続く。
あなたも自分の心に向きあう時間を作ってみてほしい。