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「察し」は通じないと考える-ルームメートの早朝ドライヤー

なぜ言葉にする必要があるのか?
それは、察しや阿吽の呼吸は通じず、空気は読まれない、と考えた方がよいからです。
米国の大学に留学していた時、ルームメートが非常に早起きで毎日早朝からシャワー浴びていました。シャワーはよいのですが、筆者を悩ませていたのはそのあとのドライヤーでした。筆者が寝ているのをお構いなくドライヤー全開で約5分以上(本人は5分と言っていたが、自分には10分以上の長さに感じた)髪を乾かしていました。また、彼は敬虔なクリスチャンでしたので日曜日も朝からドライヤーをブォーットやって、教会へ行ってました。
ジョナサン(当時のルームメート)には自分は毎日寝不足で辛い旨を伝え、暗に早朝のドライヤーを控えてくれないかと、無意識に相手の察しを求めていました。しかし、状況は変わらず、いつのまにか彼の早朝ドライヤーが目覚ましになり、自分も次第に早起きになっていました。
その後、新学期になり、新たなルームメートとの学生生活が始りました。たまたま、生徒会長に立候補していたジョナサンと会う機会があり "あなたの早朝ドライヤーには毎日悩まされた、君が生徒会長に当選したら日本製の静音ドライヤーをプレゼントしたい" といったところ、ドライヤーが迷惑をかけていることは知らなかった。そうであればその時に言ってくれればよかったのにと言っていました。この時は、本当に知らなかったの???と、懐疑的でした。

しかし、新しいルームメートと生活するにつれて、再度、察しは機能しない。言葉にしなければ通じないと確信するようになりました。
ジョナサンのお陰で自分も朝方タイプになりました。冬が近づくにつれて早朝にドライヤー(ちなみに静音タイプ)を使うようになりました。
しかし、ルームメートから朝方のドライヤーは静音であっても音がうるさいとはっきりと言われました。その新しいルームメートは前学期の自分と同じで夜型で、早朝(朝6時頃)ドライヤーは迷惑だったのです。自分と違うのは、迷惑ならばはっきり、迷惑だ、止めてほしい、と言葉にして伝えるということでした。
この米国留学の経験から、察しは通じない、言葉で相手に伝えることの重要性を学びました。同時に、相手も察しをせずに言葉でストレートに伝えてくる、その直球を受け止める心構え、一旦は受け入れる受容力、忍耐力も必要だと感じました。


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