
『チヨの森①』子どもサスペンス劇場
あらすじ
東京都のベッドタウン、森神町。
そこはかつて神隠しで子供が何人も行方不明になったということで有名になった町です。
主人公烏森大介が図書委員会で榊君と出会ったことで、おだやか
だった日々はある日突然一変します。地元の会館の集会で、自分の
息子が神隠しにあい、今だに独自で探し続けているという山中と知
り合ってからすぐに、榊君が忽然といなくなってしまうのです。それはまるで神隠しのようでした。
大介は山中と共に神隠しについて調べ始め、事件の真相へと続く迷宮へと
入り込んでいくのです。
さて、神隠しの真相は?
第一章 前兆
『六道の辻』。
僕らが今生活している現世(うつしよ・この世)と、僕らが生活し終えた後に行くことになると言われている常世(常夜・とこよ・あの世・ニライカナイ)を繋ぐ分かれ道。
この道を行けば「地獄」に通ずる。こちらの道を行けば「餓鬼(がき)」の道、そちらは「畜生(ちくしょう)」の道で次は「修羅(しゅら)」の道。あちらは「人間」の道で、最後は「天上」へと続く道。仏教には、こうした六つの道があると教えられています。
それは、死者というだけではなく、今現在生きている、心に迷いのある者が輪廻するという世界です。
険しいからと言って必ずしも暗黒へ続く道というわけではなく、易しいからと言って平穏へ続く道と言うわけでもない。誰であっても、間違えて足を一歩でも踏み入れれば、人間の道ではない、どこぞの道へとたちまちのうちに迷い込んでしまうかもしれないのです。
現世と常世は背中合わせ。
言わば、異界への入り口とは、心の持ち方次第で、良い方もしくは悪い方へと簡単に転がるもの。それは、案外近くにあるのだということなのです。
そんな六道を繋ぐ分岐点を表す『六道の辻』と名付けられた場所が、僕らの町「森神町(もりがみちょう)」の本当に本当、ど真ん中に存在しています。
その辻は、今の森神町が碁盤の目のように直線で区画整理されるずっと昔、皆がちょんまげを結い着物を普段着として着用していた江戸の時代より、町を、南・北・北東・南東・北西・南西の六方向に貫いていました。その方角はすべて、定規で測ったかのように寸分の狂いもないほど正確で、そこだけまるで人工的に作られた道のようだったと伝えられています。
やがて世界的な大戦が終結し、日本は若者を多く失い、貧困にあえぐ時代を迎えました。しかし、その後の急激な高度成長によって、日本が精神的にも経済的にも活気を取り戻してきた頃から、ここ森神町にマンモス団地の建設話が持ち上がり、あっという間に、それはカイワレ大根のように建ち始めました。
かつては、農家で作った野菜や肥料を運ぶ貨物列車しか通らなかった線路に、通勤通学用の近代的な鉄道が走り、都心へと運ぶ地下鉄も続々と開通しました。
それまで田んぼと畑しかなかった土地が、あっという間に生活の場、洗練されたベッドタウンへと変化を遂げたのです。そのお陰で、新しい家族「ニューファミリー」と呼ばれる人々が森神町にドッと押し寄せたことで人口が増えました。それと共に自動的に子供達も増えて、『六道の辻』の、それぞれ六つの道のどん詰まりに、六つの小学校が相次いで建てられることになったのです。それは当時の流れとして、とても自然なことでした。
学校は、南市立森神第一小学校から、第二・第三・第四・第五と、第六小学校まで規則正しく順番に完成しました。最初は子供が増える一方だったので、それでも足りない位でした。しかし、勢いよく小学校が建設されていたのは今から四十年ほど前までの話。今では、当時引っ越してきた家族の高齢化とともに子供の数が圧倒的に減少してしまったことで、小学校は次々と統廃合を繰り返しました。
その結果、約二十年前からは、第一と第五と第六を合併した第一小学校と、第四と第三を合併した第三小学校、そして、第二と新しくできた団地の子供たちを中心に構成された第七小学校の、三校だけとなってしまいました。最も子供が多く暮らしていた時期は、全校生徒合わせて千人以上いた学校も、今では半分程度。教室がたくさん余ってしまい、空いた部屋は生徒達の作業部屋や給食室、地域のお年寄りが活動する憩いの場として使われるようになりました。
それでもまだ部屋は全て埋まらずに、空室がある手持ちぶさたな状態です。
子供が圧倒的に減ってしまったのは、日本全体としても問題になっている「少子高齢化」が進んだことが理由になっていることには間違いありません。
しかし、ここ森神町だけが、ある時期(というよりも出来事)から急激に子供の減少が加速した原因は、それだけではなかったということが、当時の新聞記事で明らかになりました。
―またも、森神町『チヨの森』で小学生男児が謎の失踪。誘拐か?―「読日新聞」
―現代の神隠し!?男子児童(小学三年生)が行方不明、森神町『チヨの森』―「毎売新聞」
―いつまで続くのか?また森神町で男子小学生が帰宅中の失踪―「朝東新聞」
―天狗?鬼?相次ぐ神隠しの正体は!―「産京新聞」
昭和五十年代。
口裂け女や人面犬など、にわかには信じがたい不可思議な現象や噂話。今風に言うとすると、「都市伝説」。このいわゆる「都市伝説」が世間を賑わしていたこの頃。森神町に住む小学生児童が、ある日突然『チヨの森』周辺で姿を消してしまうという事件が、連続して発生したのです。
『チヨの森』と呼ばれている森は、一番最後に建設された第七小学校の、すぐ隣りに位置しています。
どうしてこの森が『チヨの森』と呼ばれるようになったのかは、不明です。ただ、地元の方々が伝えているのは、以下の二説。
昔森の中に、非常に長生きで働き者で知恵のある老人、つまり仙人のような人物がが住んでいたから『千代(長生き)の森』だという説と、千代という女性が愛しい人と添い遂げることができずにこの森で命を絶ったということから、『千代の森』だという説です。
その他にも様々な説があるようですが、今となってはどれが正しいのか判断ができないそうです。
このような意味ありげな森の近く。黄昏時、学校からの帰り道の数分で彼らは忽然といなくなってしまうことから、「森神町の神隠し」として有名になり、当時の新聞やテレビでは毎日のように騒ぎ立てていた程でした。
この頃の時勢にぴったりとマッチしたそれは、失踪事件というよりもむしろ、怪奇現象としての扱いが主でした。ですから、あるテレビ局では再現VTRをオドロオドロしく作成し、身の毛もよだつ怪談話として面白おかしく森神町と森を紹介しました。そのおかげで、超常現象を扱う雑誌社や研究家の取材が、何台ものワゴン車で押し寄せました。それにより、穏やかに商売をしていた商店街は観光地化し、一時は見物人や野次馬でパニックになったといいます。
そのことにより、とうとう、こうした連日連夜の加熱する報道で恐怖心を煽られ、それまで穏やかに住んでいた家族が、次々と引っ越してしまうという大きな事態にまで発展してしまったのです。それが、森神の町を急激に子供不足にしてしまった原因と言われるようになったのだそうです。
大変申し遅れました。僕は、そんな「神隠しの町」に住む、東京都南市立森神第七小学校五年三組、烏森大介(からすもりだいすけ)です。どうぞよろしくお願いします。変な言い方ですが、これで少し僕の町に興味を持ってくれましたか?物騒なことで有名になってしまった森神町ですが、それを除けばとても住みやすくて良い所です。
僕が住む平らな土地から、緩やかな坂を舐めるようにして少し南に上りながら向かうと、まだ、立派な瓦屋根の農家が建ち並び、畑ではネギやキャベツを作っています。民俗博物館や美術館、城跡や古い神社があり、また、地元農家出身の方が作るおいしい蕎麦屋が多いので、最近ではグルメ雑誌にも載るようになってきているようです。
それに、世間を賑わした「連続神隠し事件」が起こっていたのは、約三十年前まででした。
最後の行方不明者は、南市立森神第六小学校に通う、六年生の女の子でした。それまでは男子児童ばかりでしたが、この女の子が最初で最後の女子児童の行方不明者とのことです。ですから、もしかしたらこの女子児童の失踪は模倣犯による犯罪で、それまでの犯人とは違うのではないかと、別の方向からも捜査を進めたようです。
当時、世間では「神隠し事件」はすぐに解決すると考えられていました。
でもそれは、警察の思惑違いだったのです。確かに数十年前までの森神町は、のどかな田園地帯であり、町(村と言った方がしっくりくるかもしれません)の人々は全員が顔見知りでした。ですが、数年の間にマンモス団地が建てられ、新しい人々が全国各地からドッと引っ越してきました。
ようするに、どこに誰が住んでいるのかということが、昔のように簡単にはわからなくなっていたのです。だから犯人の手がかりを掴むには、大変な労力を必要とすることが予想されました。それでも刑事達は諦めず、毎日のように虱潰しに一軒一軒を周り歩いて、小さな情報でも犯人につながると必死に頑張りました。
しかし捜査は一向に進展せず、数千人規模で捜索にあたっていた警察の考えは大きく外れ、犯人にはたどり着きませんでした。それでも近隣の人たちの協力により得た情報で容疑者として浮かび上がった数人の人物達も皆、それぞれアリバイがあり、空振りに終わりました。
その後。数回連続して起きていた神隠し騒動も、不思議と女子児童の失踪を最後にぱったりとなくなり、何事もなかったかのように町は以前の落ち着きを取り戻しました。
それでも引き続き警察の捜査は続いていましたが、そのうち世間は森神町に飽き始め、テレビでその名前を聞くことはなくなっていきました。
話題となった『千代の森』の今現在はというと、度重なる道路拡張のために以前より小さくなり、今ではほんの五十メートル四方のミニチュアな森になってしまいました。規模は小さくなったとは言え、やはり昔を知っている地元の人々は未だに近づこうとはせず、血の色のように朱く錆びたフェンスで囲まれたその聖なる地を、ただ周りから見守るだけです。
しかし、当時の陰鬱な記憶も、「ニューファミリー」として入ってきた大多数の人々の頭からはどこか遠くに忘れ去られました。おとぎの国のお家のような可愛らしい建売住宅の森と、映画館付きの大型スーパーが新しく建ちました。事件後の数年で、あっという間に暗い過去を払拭し、すっかり新しい雰囲気に塗り替えられた森神町です。それでも、僕の通う小学校の図書室に行くと、何冊かこの土地にまつわる郷土史料の本があります。そしてその書物それぞれに、昔の事件について詳しく書いてあります。
それは興味本位のものではなく、悲しい事実としてです。
そうだ、もう一つ言い忘れましたが、僕は図書委員です。そして今、週に一度の午後当番で、今年から同じクラスになった榊君と並んで座っています。受付で、生徒が持ってくる図書カードに朱色のインクを付け、返却確認の判子を押しています。平和で穏やかなこの放課後のリラックスタイム。これを満喫するために図書委員になったと言っても過言ではありません。うっかりすると目を閉じてしまいそうに心地のよい本を捲る音が、ヒーリングミュージックのように響きます。その音が僕には、遙か彼方からやってきた波が、海岸をくすぐるように打ち寄せる音に聞こえるのです。今日もこのまま終了時刻までの時間を大好きな読書に費やそう。そう思い、読みかけていたヘミングウェイの『老人と海』に手をかけたその時でした。
「本の波間に漂っている所申し訳ないんだけど。あの森には、魔物が7つ棲んでいるんだよ」
にやりと笑いながら眼鏡を人差し指でずり上げ、きっちりと眉毛の上で切りそろえられたマッシュルームカットの榊君は、左斜め前をまっすぐ指さしました。
「なに?突然」
僕が声に驚いて仰け反った後、榊君の指先の指し示す方向を追うようにして窓の方へ振り返ったその途端です。雲一つなく静かだった青い秋の空が一変、おどろおどろしい雨雲に覆われて、あっという間に太陽を隠してしまいました。
「ね?魔物が眠りから目を覚ましたようだよ」
榊君はまるで魔法使いのようです。僕は、得意気に口角を上げた榊君と森を、交互に見ました。
「ど、どういうこと」
この時はただ、目の前で起きた出来事に言葉を失っていました。
外は瞬く間に突然の豪雨に見舞われ、校庭には所々で水煙が上がっています。
榊君って、一体何者?
「今日は、午後に突然の雨が降るかも知れないって、テレビの天気予報で言っていたじゃない。びっくりすることはないよ。変わりやすいのは、女心と秋の空ってね」
榊君は、してやったりと嬉しそうに、無邪気に笑いました。
そうか。天気は別に、榊君が言い当てたわけじゃなかったのか、そうか・・・・・・。
と、安心した僕は次の瞬間、ある気味の悪い噂を耳にしていたことを思い出したのです。
―「あの森」のことを口走るようになると、
その子供はやがて導かれるようにどこかへと姿を消す―
これは、僕が通う第七小学校を含め、半径一キロメートル以内に七つある小学校(今は三校のみ)の全生徒が、三十年もの昔から年代を問わず語り継いできた噂です。
また、噂ではなく真実であると言う大人もいます。
「森神町にある全ての小学校、今までに各校から一人ずつ神隠しに遭っているが、その被害者全員が未だ見つかっていないらしい。痕跡さえも、だ」
榊君がわざわざ「あの森」と言った森は、先ほど登場した『チヨの森』のことです。
先ほども言いましたが、いわゆる木々が鬱蒼と生い茂った、というような取っつきにくい森ではありません。鳥が種を運んだのか、いつからか突然タンポポだらけになってしまったけれど、一方は大型ダンプカーも通る幹線道路に面しています。この大通りから森の中を覗くと、僕が通う第七小学校を絵はがきの一片を切り取るように見つけることだってできるのです。
そしてさっき言ったように、『チヨの森』はずいぶんと小さな森にされてしまったのですから。
「でね、実はさっき僕は嘘をついた。森には七つの魔物が棲んでいると言われているけれど、本当はそうじゃないんだ」
榊君は、少し大人びた様子で含むように窓の外を一瞥してから、僕の方に向き直して、こう付け足したのです。
「今、僕たちが通っているこの南市立森神第七小学校。この学校からだけ、生け贄(いけにえ)は連れ去られていないんだ。なぜだか分かるかい?」
「生け贄」と言う物騒な言葉に、少なからず引っかかりましたが、どうやら質問されているようです。
しかし、どうも榊君は謎の多い少年で困ります。面白い奴なのか、面白くない奴なのか。同じクラスですが、教室や授業、行事等で言葉を交わしたことはまったくありませんでした。正直、取っ付きにくいと言いますか、はっきり言って苦手なタイプです。授業の合間の十分休みには、「寄せ付けないオーラ」を体全体から発しながら、クラスメイトと話をすることなく、分厚くて難しそうな本を読んでいます。確かその時の本には、『ニーチェ』とか、書いてあったような気がします。
給食が終わってからの三十分休みも、外に出てみんなで遊ぶということはなく、彼は一人教室で、やっぱり分厚くて難しそうな本を読んでいるのです。ですから、彼の印象と言えば、本が好きなんだろうなあということだけ。二学期の図書委員になってから会話を交わす程度の付き合いですから、まだ二ヶ月くらいですが、どうにもわかりにくい性格なのです。何事も変に含んだ感じというか、人を小馬鹿にしながら喋る様子が癪にさわる奴なのです。
「多分、第七小学校は新しく合併してできた学校だからじゃない?」
僕が興味無さそうに言うと、「あっ」と一瞬ひるんだ榊君は、フフンと鼻を鳴らして言いました。
「なかなかやるねえ。さすが図書委員だよ、烏森君。その通り、この小学校は事件が起こらなくなって新しく作られた学校だからね。『森神町郷土史』を熟読し、かつ、『森神の森を語り継ぐ会』で調査員をしている僕と対等に渡り合えるなんて、たいしたもんだ。なかなか感心だ」
榊君は、有名な学者のように眼鏡を右人差し指で持ち上げながら納得していました。
「特に榊君に認めてもらわなくても結構だけど」という言葉を、無理矢理喉の奥に押し込めて、僕は顔を歪ませて苦笑いをしました。
そして榊君は、大人びた様子でまた森を見ました。すると、先ほどアメーバが増殖するように発生した雨雲の間から少し顔を出した太陽が、榊君の横顔を不気味に照らしました。
土の校庭には一瞬のスコールで無数の水たまりができて、生徒達は嬉しそうにジャンプして遊んでいます。
「晴れてきたね」
さっきまでの大荒れ天気が嘘のように、窓の外は静かに夜を迎える準備に入りました。
「ほら、夕焼けも見える。明日はどうやら晴天らしい」
榊君の顔が半分だけオレンジ色に染まりました。もちろん僕の顔も。
夕日は、僕の嫌いなお母さんの得意料理、『茄子の挽肉はさみ揚げ』を思い出させました。あまりに茄子を嫌いなので、わざわざ挽肉からはぎ取って食べるくらいです。
「うわあっ」
茄子からジュッと出る汁を想像して、僕は思わず身震いしました。
「何?」
榊君は、気味の悪いものでも見るようにして眉をしかめました。
「いや、別に」
気を取り直して見ても、やっぱり僕の嫌いな茄子色の空と地面が、挽肉色の太陽を上と下からサンドしていました。そして、サンドされた赤オレンジ色の光が身震いするほど美しく、あの『チヨの森』を照らしました。
「あんなに綺麗なのに、本当に魔物が棲んでいるのかな。烏森君は、どう思う?」
夕方は、榊君のような人間の心でも、感傷的にするのでしょうか。それとも森が悲しそうなのでしょうか。
「魔物は、いないと思う」
僕がそう言うと、榊君は黙って頷きました。