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『栗ケ丘7②』

 

  第1幕 栗ケ丘の仲間と謎めいた男オジジ

 東京都沢村市栗ヶ丘町。

都心からは、私鉄奥村線の特急電車を使えば、都心までノンストップで四十分という通勤に便利な立地。都心から近い土地ではあるが、穏やかな時間が流れるのどかな田舎の香り漂う、素朴な町である。そんな両面を持ち合わせた栗ヶ丘町、住みたい町として人気が出始め、最近はマンションの建設ラッシュになっており、人口がどんと増加してベッドタウンとして有名になりつつある。

 栗ヶ丘駅の改札を出ると、嫌でも左側にまず目に飛びこんでくる無駄に大きい黄土色の建物がある。

栗林秋彦の祖父権造と、秋彦の父秋造が営む、甘栗工場だ。

もともと栗林家は、江戸時代から続く一般的な普通の農家だった。初代の権造は、たった三本の栗の木をとても熱心に栽培し、今の栗林の三分の一を育て上げたのだそうだ。その栗名人の名はいつしか将軍の耳にも届き、栗林を見るためにわざわざ江戸から家来を行列で引き連れて見学にくるほどだったそうだ。
そんな折、当時農民では珍しかったが、「栗林」という立派な名字の使用を許されたのだった。  
従業員は、パートを含めて約五十名。会社としては小規模だが、スイーツブームと女性の美容人気に後押しされ、コンビニやドラッグストアで販売する「剥き栗」の真空パックを大量に出荷するようになった。

また、可愛らしいモンブランケーキを作ったことでも知られ、昨今一気に知名度を上げたのだ。そのおかげか、それまでは冬場だけの食べ物だった栗も、一年を通して売上げはそれなりに安定している。

とは言うものの、栗林一族といえば栗ヶ丘の土地をほとんど所有している大地主だ。本当のところは商売などしなくても十分に食べていける家賃収入や不動産が腐るほどあるのだが、金の欲に突っ張っている栗林家はそれだけで満足するはずもなく、安い給料で従業員をこき使って私腹を肥やしているというわけだ。

「わしは生まれて此の方、自分の土地以外を踏んだことがない」

というのが、八代目栗林権造の得意文句だ。確かに、その言葉通り栗ヶ丘町の四分の三以上が栗林家のものだ。学校や図書館、消防署といった公共の施設が建っている土地は東京都や国のものだが、それ以外は本当に栗林家の所有となっている。
その栗林家所有の中で最も広大な土地なのが、前にも説明した一反約千坪もあると言われている、栗林である。林の中には何万本もの栗の木が生えており、その一本一本には毎年たくさんの実がたわわになる。そんな由緒正しい栗林は、昔からあまりの広さに迷子になる子供が続出したので、小学校や中学校では近づかないように注意を受ける立ち入り禁止区域だ。

「特に、戦争当時に使用されていた防空濠は危険なので、絶対に入ってはいけませんよ」
防空濠には栗のお化けが出るというのが、この町の子供達の定番都市伝説である。

「毎度ありがとうございましたー」
ソウルフルで威勢のいい女将さん、つまり大地の母親である松子の声が、店の外まで聞こえてくる。ここ『ぽんぽこ』という大衆食堂は、栗ヶ丘小学校からほど近い通りに面した場所で夫婦二人三脚、仲良く商売を営んでいる。「大地、早く帰ってくるんだよ」
「わかったよ。大丈夫。夕焼けチャイムが鳴ったら帰ってくるよ」
「今日の夕飯は、大盛麻婆丼だよ!」

 オフホワイトのすっきりとした外観、モダンな洋館風の建物は花沢医院。子供からお年寄まで安心して診てもらえる、いわば『赤ひげ先生』として有名だ。『イケメン赤ひげ先生』こと、花沢陽平はかおりの父親。
「あたしゃ先生の顔を見るだけで元気が出るよ。あ、これね、かおりちゃんにと思って、家で採れたトマト持ってきたんだよ」
「お父さん、わたしちょっと出かけてくるから。中里さん、お大事に」
「暗くならないうちに、帰るんだぞ」

 「松っ、とろとろしないで運べ!馬鹿野郎!」
栗ヶ丘町の建設ラッシュ。自然も多いが都心に近いということで、最近ベッドタウンとして急に人気が出てきたせいか、寺内工務店は忙しい。
「よしお、何してんだ!こっちだよこっち」
すばしっこく鉄と鉄の間をすり抜け、腰にはたくさんの工具をぶら下げて高さ十メートルの細い足場を掛けぬける。猿のような身のこなしと愛情深い仕事ぶりで有名な寺内三太。そう、俊足の健太の父親だ。
寺内工務店は、地元大手の鬼丸建設の下請けとして長年仕事を請け負っている。  
「父ちゃん、ちょっくら出かけてくるよ」
「帰ったらちゃんと宿題するんだぞ」

 町営住宅の玄関横に、白いワンボックスカーが止まっている。
「ごめんなさいね、買った時にもさんざ説明してもらったのに。あたしゃハイカラな機械モノに弱くて」
決して訪問介護ではない。土谷電気店の無料出張サービスだ。
店長は土谷忠志、悟の父親だ。
「息子さんも機械に強いのかい?」
「そうですね。最近の子どもは、本当に機械に強くて」
「頼もしくていいわね。楽しみね」
「でもあいつ引っ込み思案だから、心配は尽きませんよ」

 味も素っ気もない長方形の社宅前が、正一の父目黒勝己が勤める栗ヶ丘町役場だ。灰色の外壁は亀裂が走り、栗ヶ丘町役場のプレートの金メッキは剥がれてまだらで汚らしい。
良く言えば趣がある四十年以上前に建てられた役場への通勤時間は、片道約一分。往復約ニ分。ウルトラマンが登場して怪獣を倒して星に帰る間に行ったり来たりできてしまう。
「おはようございます!」
努めて明るく元気に挨拶するが、湿度が高いのかじとーっと肌に纏わりつくような雰囲気は変わらない。
「目黒、さんは…」
この四月から赴任してきた栗ヶ丘町役場の建築交通担当課課長、早乙女光氏(五十三歳独身さそり座A型趣味はお菓子作り、特にブラウニーが得意だ)が、話しかけてきた。
「いつも、元気、ですね、うらやましい…」
どうもこのリズムについていけない。毎日役所に来るお年寄りにゆっくりはっきりと話を伝えようとしているうちに、この「ナマケモノリズム」が日常になってしまったのだそうだ。
「ははは。わたしは無駄に元気でして」
「いい、こと、ですよ、職場、まで、明るく、活気が、出るようです、ね」勝己は思わず顎のあたりをさすった。今の時間で髭が生えたのではないかと。
「そう、だ、出社そうそう、申し訳、ないのですが、二丁目の外灯の、電池が、切れて、いるようなので」
言葉の波に酔いそうだ。
「あと一杯、飲み屋、『じゅん』の、ママから、立ちションが、増えて、困ると、今朝、電話で」
「かしこまりました。今すぐに業者に電池取り替えと立ちション禁止看板設置の手配をいたします!」
早乙女さんに一礼してからいそいそと席に戻り、電話に手を掛けた。
「おはようございます、そしてお疲れさまでした。よく吐きませんでしたね」
隣りの席の間口さんは、正一と同じ栗ヶ丘小学校に通う二年生のお父さんだ。
「いえいえ。早乙女課長はいい方ですから」
「僕も、最初はあの話し方に慣れなかったんですけど、目黒さんもじきに慣れますよ。どんなことも時間が解決してくれますから」
それだけ言うと、間口さんは自席のパソコンで途切れることなくブラインドタッチを始めた。
建築交通担当課のメンバーは、全部で四人。早乙女課長、間口さん、目黒、そして紅一点の音無さんだ。
「あれ、音無、さんは、どう、しましたか、ね」
まだ登場していない音無さんは、遅刻の常習犯である。それも、五分とか十分とか、わずかな遅刻を繰り返すのだ。

「来た」
間口さんが、パソコン画面から目を外さずに呟いた。それと同時に、早乙女さんの頭髪につけているポマード臭をも吹き飛ばすくらいな威力の、甘いバニラアイスクリームのような香りが近づいてきた。
「すみませんでしたすみませんでしたすみませんでした!電車で人身事故がありまして、隣りの駅で動かなくなってしまいまして。本当にすみませんでした」
音無さんは、まっすぐ早乙女課長の席に行き、質問できないほどの早さで捲くし立てた。
「あ、あ、そうでした、か。明日は、気をつけて、ください、ね」
「以後気をつけます」
音無さんはそれだけ言うと、長い髪を歌舞伎の連獅子みたいに振り回して、颯爽と席に着いた。
「はー朝から疲れた。まいったまいった。コーヒー煎れてこよ。あ、目黒さんと間口さんも飲みます?」
まったく反省の色はなく、遅刻をした割には化粧は舞台用かと間違えるほどしっかりとされていた。
「あ、じゃあいただこうかな」
「じゃ、ついでに僕のも。それから、早乙女課長にもいれてあげてね」
音無さんは立ちあがりながら言った。
「目黒さんまだまだですね。早乙女課長は健康に気をつけていらっしゃるので、自宅から持ってきた中国茶以外は飲まないんですよ」
彼女は一体、出来る女なのか出来ない女なのか。

確かに僕は、まだこの栗ヶ丘町役場建築交通担当課のことを何も知らないのかもしれない。
「音無さん、遅刻は常習だけど記憶力だけは抜群なんですよ。だからなかなか侮れないですよ、目黒さん」
間口さんは、相変わらずパソコン画面から目を離さずにそう呟いた。

「ナナ。今日も良い天気だね」
午前十二時ジャスト。お天道様が、一日の半分を働き終わってしまったその頃に、やっと駄菓子屋『ノア』は開店する。
灰色の毛糸の網帽子に丸眼鏡、耳には精密そうな補聴器をつけている。最近腰痛がひどいこの謎の老人、通称『オジジ』。
どうしてオジジなのかは分からないけれど、この店が出来た当初からみんながそう呼んでいるから仕方ない。その上、本名はおろかオジジの過去も素性も、まったく謎めいている。
それまでのオジジは、『007』のような国家スパイだったと言う人もいれば、闇の組織の幹部だったと言う人、本当はどこか有名大企業の大株主が趣味で駄菓子屋を始めたのだと言う人までいる。
そんな謎めいたオジジが今から八年前、どこから来たのか突然現れて、手品のように駄菓子屋『ノア』を栗ヶ丘町のほぼ中心に開店したらしい。

「おう、今井さんおそよう」
「オジジ、おそよう。今日はいい天気だから腰も痛くないだろう?」
「そうだな。でも、俺のは万年腰痛だから意味ないけどな」
近くの心優しい肉屋『今井』の主人は、最近流行りのメタボリック症候群で、四十五歳四人の父親。少子化の昨今、なんと頼もしいことだろう。
「オジジ、栄養のあるもの食べてるか?今夜もコロッケ持って行くから、ナナと食べてよ」
今井さんのパツンと張った白い前掛けの下には、情と思いやりが詰まっているのだろう。その頼もしい後ろ姿に、オジジはいつも癒されていた。

「オージジ、メロンパンとコーヒー牛乳ね」
「俺はこっちのチョココロネとジャムパン」
僕らが通う栗ヶ丘小学校の裏手にある、栗ヶ丘中学校の生徒の中には、昼にこっそり学校を抜け出してこの店をヒイキにする者がある。本人達は先生にバレていないつもりだが、学校にはしっかりと伝わっているのだ。その愛すべき連中の為に、オジジは日曜以外毎日お昼きっかりに開店する。
「おうおう松本守、昨日お前が万引きしたクリームパンの百五円はつけてあるから。それから清水祐介も焼きそばパンの分な。今日一緒に払え。そうすれば鬼の並木先生には言わないでおいてやろう」

生徒の顔が一斉に凍りつく。まるで氷河期に突入したかのようにカチンコチンだ。
最初のうち、オジジをただの年寄りと侮って万引する輩は後を立たないらしい。が、オジジの能力は計り知れない。
超人的なのは、全員の名前を完全に覚えていることだ。中学校だけではない、小学校の生徒の分も余すことなくに、だ。それもフルネームで。
「すみませんでした。ちょっとした出来心で」
とにかくすごい観察眼と記憶力で、まるでコンピューターのようだ。普段店で見かける様子では、子供の顔をそんなにじろじろと見ているような素振りはないのだが。店内を見まわしてみても、隠しカメラを設置している様子もない。
「いい、いい。松本も清水も分かればいいよ。ただし、許すのは一度だけだぞ。もし今度もう一度やったら、いくら俺でも柿本校長先生に相談しちゃうかもしれないぞ」
「校長先生」というキーワードは、中学生達の急所に見事入ったらしい。「すみませんでした。本当、もうしません。ダチにも言っておきます。だから、だからお願いですから校長先生には…」
「そうだな。じゃあ、高橋宏治と深井直也と中山一郎と山田徹男と水川英次と中森伸介にも、近日中にパクった分の代金を持って来いと言っておくように」
顔を見合わせて青ざめる中学生。なぜ生徒たちの名前を全て熟知しているのか、やっぱり謎だ。
「笑顔で言われるから、余計恐いな」
それが泣く子も黙る、『ノア』の店主兼、謎めいた男「オジジ」である。

 

 

 

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