『ギターの先生⑥』
第6練習 ギターとオバケとたんじょう日
「いらっさいませー」
この前と同じマル眼鏡の店長が受付にいた。
ドアを開けた瞬間にワタシだと分かったようで、セミを見つけた子供のように目を見開いた。
「よかった。また来てくれたんですねー。この前会員カード作っていただくのをすっかり忘れてしまったので。作っておきました!」
勢いよく受付台に出した真っ黄色の会員カード。手作り感のある、紙をコーティングしただけのカードは、きっと簡単に財布の中でレシートと混ざりあってしまうだろう。
「先日のポイントを付けておきました。10個貯まると、1時間無料になります。ギター、弾き放題ですね♪」
また背中を覗き込んでいる。
よっぽどギターをしている人間を応援したいのか。
きっと自分も弾くんだろうな。面白い人だ。
「あ、あと。ボクもあの曲好きです。この前と同じ部屋になります。ごゆっくり」
真正面の部屋。089号室。
ゴクリと生唾を飲み込む。
本当にいるのだろうか?オバケ少年。
受付からの店長の暑苦しい視線を感じながら、部屋に入る前にアイスレモンティーを淹れた。
今日は初老のカップルと1人で熱唱しているスーツを着た女性の2組が先客だ。
横目で他の部屋をチラ見しながら歩くと、089号室がだんだんと近づいてくる。
威圧感。
立ち止り深呼吸をしてから、確かめるようにドアノブに手をかける。
ドアを開くと冷気が一気に廊下へと吐き出されてきた。相変わらず寒い。
前回と同じようにガンガンに冷房が効いている。
部屋の中を見渡すが、やはり誰かいるはずがない。だって、ワタシがここの利用者だもの。
安堵感と変ながっかり感とが混ざった気持ちでドアを閉めた途端に、寒気が走った。
「待ってたよ」
振り向くと、そこには制服を着た少年。
「今日は遅いじゃん」
この、いちいち登場するたびに寒気を催すのが嫌だとクレームをしたが、
「いやあ、それはちょっとわかんない」
だそうだった。
先週と違う点は、少年がすでにギターを肩から掛けていることだった。
ギターを抱きしめている様子はマキオにも負けていない。
やはりバンド小僧だっただけあって、持ち方がワタシよりも全然様になっている。
「チューニングはOKだよね?ほんで今日は色男は何やったの?」
自分の子供くらいの少年、いやオバケに教えてもらっているこの構図。きっと傍から見たら奇想天外なんだろうな。なんだかクスッと笑ってしまった。
「良かった。笑ったね。なんか最初目が赤かったから心配してた」
ドキリとすることを言う。
どうして目が赤かったのか、理由はバレていないかな。家族がいるのに独りぼっちだと感じるなんて寝ぼけた理由。
一瞬でも悲劇のヒロインだと感じたなんて理由。
「で、何やったの?」
少年は心の声に聞こえないふりをしてくれたみたいだ。いいやつじゃん。
一瞬目が合ったけれど、今度こそ見透かされるのが恥ずかしくてワタシは自分のギターに目を向けた。
今日のレッスンは、3つのコードを使うだけの簡単な『ハッピーバースデートゥーユー』だったと告げた。
「なるほど。さすが色男。初心者でもC、G、Dコードで弾けるもんな」
すると少年は慣れた手つきでギターを奏でた。
♪ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデーディア
とここまで弾いてから、
「あなた様は、名前なんていうの?」
そうだった。教えてなかった。
ここまで来てやっと、お互いに自己紹介をしていないことに気づいた。
「俺の名前はミドリ。生まれたのが5月で、緑がきれいだったからミドリ」
いい名前。
きっと初夏のさわやかな陽気で、たくましく生い茂る緑の葉っぱの香りが鼻に抜けて、眩しいくらいにキレイだったのだろうな。
目を閉じると、笑顔で抱っこされる赤ちゃんのミドリが思い浮かんだ。
こんなにステキな名前を付けてもらったのに。それなのに。
「で、名前は?」
コメコ。
おんぷのママでもなく、もどる(パパの名前)の妻でもなく、誰かの何者ではなく、ワタシの名前はコメコ。
「上から読んでもコメコ~、下から読んでもコメコ~」
ミドリはコメコという名前をメロディーに乗せた。軽やかなギターの音色が、ワタシをどこかへ運んでくれるような錯覚をした。
「コメコ~、コメコ~、パンも好きだけど~コメコ~」
10代の男の子(いやオバケ)に自分の下の名前を連呼されるのも、なかなかいいものだ。
思い出したように咳払いをして、「じゃあ改めまして」とミドリはギターを構えなおした。
♪ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデーディア コメコ~~~
ハッピーバースデー トゥーユ~♪
おたんじょう日、おめでとう!と言われてうれしかったのは何歳までだったのだろう。
この世に生を受けて、地球の一員として活動することになった日。
小さなころは希望の未来しかなかったはずだったけれど、擦り傷を何回か経験して人格が形成されていった。
元々の性格や資質もあるけれど、やはり周りの環境も無視はできない。
ワタシは誇れる46歳になっているのだろうか。目立った才能もなく、いい母でもなくいい妻でも、いい子供でもないのかもしれない。
ただ流されるように46年間生きただけではなかったか。
人生に通知表はないから、合っているのか合っていないのか。
「はいストップ。考えすぎじゃない?」
よっぽど時間が経ったのだろう。ミドリが話しかけてきた。
「なんだか負のループみたいなダークな世界に没入しそうだったから、引き戻したけど」
そう、ワタシの悪い癖だ。
やはりホルモンのバランスが崩れているのか。年齢には抗えないのか。
「ホルモンのバランスのことはわからないけど、多分反抗期なんじゃない?」
ミドリはギターを軽やかに弾き続けた。
「俺は死んじゃったから偉そうに言えないけど、多分今コメコは反抗期で悩み中なんだよ。ということは、まだ成長途中だろ?だったら伸びしろがあるということなんだと思う」
野外のフェス会場。
周りにも、ミドリの歌声を聴きに来ているオーディエンスがたくさんいる。
花の香りがする。鳥がさえずっている。
日差しがやわらかくて、風が頬を撫でる。
「今日はみんな、来てくれてありがとう!心を込めて歌います。反抗期に乾杯!聴いてください。ハッピーバースデートゥーユー」
ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデーディアみんなー
ハッピーバースデートゥーユー(×3)
「コメコはギターを始めた。何かを突き破ろうとして始めた。
それって、ロックンロールだよ。理由がなんであれ、ロックンロール」
指をリラックスさせて、コードを押さえた。
今まで出せなかったきれいなCコードがギターから生まれ出た。
続けてGコード、そのあとDコード。
どの音も今までで一番余計な雑音が入らない透明な音だった。
ミドリに教えてもらいながら、コードを曲の順番に押さえてみる。
スムーズに運べるようになった。
そして右手も手首を滑らかに動かしてみる。
どこかで聴いたことのある曲。そう。間違いなくハッピーバースデートゥーユー。
「おめでとうございます!」
店長が山盛りの野菜スティックを持ったままドアの前で号泣していた。
「きれいな音、おめでとうございます。できましたね」
こいつ、いつからいたのだ。
いくらなんでも覗き過ぎだろうよ。
「これ差し入れです。とっても、とっても良かったです」
落ち着いてから、忘れないようにもう一度弾いてみる。
肩の力を抜いて、心を解放させて指に命を込めて。
「いいじゃん。上手にコードを押さえられてるよ」
たまに失敗することもあったけれど、その後も安定した演奏ができるようになった。
ミドリはやさしく微笑んだ。
カラオケの利用時間終了を告げる電話がけたたましく鳴り、ワタシはギターをケースに丁寧に仕舞った。
「じゃあ、また来週。家練(家で練習の略らしい)がんばれよ」
「あ、そうだ。忘れてた。新しいコメコ、オタンジョウビオメデトウ」
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