
『栗ケ丘7④』
第3幕 小さい事件
店の外では、野太い犬の吠える声が聞こえる。子供達に威嚇しているのか、その鳴き声は激しさを増すばかりで終わる様子が感じられない。犬のくせに性格が悪そうと言うか腹黒そうというか。
「お、栗林くんじゃない。元気?」
どう見てもおっさんにしか思えない風体の人間が、『ノア』の小さな入り口付近に立ちふさがった。あまりの大きさに、入り口が消えてなくなったように思えるほどだ。笑顔を作っているようなのだが、怒っている顔に見えてしようがない。がっちりとした腕には、金色で宝石がちりばめられてあるごっつい時計が似合いそうだし、太くてしっかりとした足にはエナメルの靴がしっくりきそうだ。だから、彼が履いているかわいい普通の青いスニーカーが不釣合いで、バランスが取れていない。
栗ヶ丘町には、個性的な子供が多数生息しているらしい。僕のフィールドワークもまだまだだ。
「ああ。どうも、鬼丸くん。いらっしゃい」
そう言って、秋彦はその人間に平気で近づいて行った。ひ弱な秋彦が近づいたら、食べられてしまいそうだが。
「正一もおいでよ。一応紹介しておくから」
どうせなら遠慮しておきたいところだったが、そうもいかなさそうだ。子供の社会も、大人と同様何かと人間関係がもつれたらやりにくい。気乗りしないまま秋彦に伴われて、店先へと歩き出した。
「ウーワン!ワンワンワンワンワンワンワン!ワン!」
随分前から聞こえ続けていた犬の声は、鬼丸の愛犬(どう見ても闘牛にしか見えない)、「鉄(ブルドッグ三歳オス)」のものだった。犬は飼い主に似るというが、ここまで笑えるくらいにそっくりなのは初めてだ。まるで同じ血を分けた兄弟だ。
「こちら、鬼丸文太くん。僕らの一級上で、栗ヶ丘小学校の大将だよね。お父さんは、僕のおじいちゃまの所有する広大な土地を有意義に活用してくださる、鬼丸不動産兼鬼丸建設の大社長の鬼丸銀太さんだよ。こちらは目黒正一くん。この四月に転校してきたばかりの新入り。僕と同じクラスなんです。僕共々、どうぞよろしくお願いします」
人を値踏みするように、鬼丸は僕の上から下まで舐めるように眺めた。その視線に合わせるように、僕は丁寧にお辞儀をした。
「へー。なんか都会っ子って感じだな。垢抜けた顔しやがって。そいで、貴様のお父さんは仕事何してるんだ?」
初対面で、貴様って。貴様って言葉も古いだろう。本当にこいつは子供なんだろうか?子供だとしても、小学校を何年か留年しているのではないか?と疑問に思うほどおやじ臭い。
それに、その注連縄みたいなリードに繋がれた鉄という犬。
さっきからうなりっぱなしで、たくさん店にいたはずの子供達が、まるで蜘蛛の子を散らすように怯えて消えていなくなってしまった。
「こんにちは、初めまして。その、僕のお父さんは、町役場で交通建築担当課に、勤めています」
「ほう。じゃあ、うちのパパとも仕事で関わることもあるかもしれねーな」パパって…。散々その態度で、パパはダサい。
思わず口に出して突っ込みそうになったが、自分の中の理性が勝り、引き止めてくれた。
「けど、うちのパパは偉いからな。お前の父親は足元にも及ばねえけどな。お前の住んでる社宅も、うちのパパの会社が作ったんだからな。かっかっか」
このおやじ子供、早く帰ってくれないかなあ。そんな風に思っていた矢先、自宅の和室からオジジが竜巻のように出てきて、無言で容赦なく鬼丸の胸倉を掴んで、和室に押し込んだ。
「おい鬼丸文太。お前、健太に万引させたのか!そうなのか!答えろコノヤロー!」
今、この店の中で鬼丸をやっつけることができるのは、このオジジしかいない。
オジジ頑張れ。
「いいい、いえ、違いますよ。なんでそんなこと」
大きい鬼丸の体が、少しだけ宙に浮いている、気がする。
「健太がな、さっき、消しゴムを万引しようとしたんだ。こいつはそんなことするような子じゃないのは、俺がよーく知ってるよ。小さな頃から父ちゃんの仕事手伝ったり、将来は父ちゃんみたいな正直で心の篭った仕事をする大工になりてえって言ってるのを、俺は知ってる。文太よう、お前オヤジさんが偉いかどうか知らねえけどな、子供の世界では通用しないんだよ。子供はみんな平等なんだよ。健太の父ちゃんは、確かに鬼丸不動産の下請けをしてる大工の棟梁で、それで家族は生活してる。でもな、だからと言ってお前が健太の上司じゃねえんだよ。もしな、このままこんなこと続けるんだったらな、お前はこの店出入り禁止だ!いいな!それから今日のことで、健太の父ちゃんにお前のオヤジさんが意地悪をするようなことがあったら、俺はただじゃおかねえぞ!いいか!泣き言言いたきゃ、優しい鬼瓦みたいなお前のパパに、俺のことだけを告げ口でもするんだな!俺はいつでも受けて立ってやるって言っておけ!」
カーと、烏が一声上げた。
偶然店先を通りかかった中田大地が、手に棒付きの飴を持ったまま店内で身じろぎもしない。お茶碗を洗い終わったかおりが、コタツの上を片付ける手を止めて、目を真ん丸にしている。秋彦は、真っ白い顔を一層白くさせて、マネキンのように硬直してしまった。
ブルドッグの鉄はというと、ナナのお尻をしつこく追いかけている。
「く、くそじじい!パパに、パパに言いつけてやるからな!パパに睨まれたら、この場所で、この店で商売できなくしてやるからな!」
鬼丸は子供らしからぬ捨て台詞を吐き、ナナを追いかける鉄の太過ぎるリードに足を引っ掛けて、店先の些細な段差につまずくと、栗ケ丘全体が揺れたんじゃないかと思うほどの勢いでどしんと転んでひっくり返った。
ざまあみろだ。
「お、おぼえていろよ!行くぞ!」
こそこそと隠れていた腰ぎんちゃく達が、勢い良く走り去る鬼丸の後を追う。あれが、六年の鬼丸文太か。なるほどプチ不動産屋といった風情だ。
「オジジ、大丈夫なの?あんなこと言っちゃって。鬼丸不動産って、本当にたちが悪いって聞くわ」
かおりはオジジの身を案じて、心配そうにしている。
「僕、僕ごめんなさい。僕…」
健太は全身を震わせて、涙を必死に堪えている。事情を知らないこちらまでもが、とんでもなく怒りを覚えた。鬼丸という一家は、なんて非道な家族なんだ。
嵐の過ぎ去った後のようにしんと静まり返った店の中で、オジジはそっと健太の肩を抱き寄せた。
「いいんだよ。健太は、父ちゃん想いのいい子なんだから。しかし、万引しなかったらお前のオヤジに仕事やらないぞなんて言って健太に命令しやがって。ありゃ、最低最悪のクソだ。まあ父親のDNAをしっかりと受け継いでることには間違い無いがな」
さすがのオジジも呆れ顔で首をうなだれた。
「大丈夫よ、健太くん。オジジだけじゃない、わたし達も守ってあげるんだから。ね?正一くんと秋彦くん?」
呼びかけられて、秋彦は放心状態から解放されたらしい。瞬きも忘れて首を上下に振った。もちろん僕も。
「この飴あげる。僕三年一組の中田大地。君、二組の寺内健太くんでしょ?健太くんのお父さんが、ウチの店を作ってくれたんだって。丈夫で使いやすい建物を造る、本物の立派な大工さんだって、お父さんがいつも誉めてるんだ」
偶然立ち会ってしまった大地も、いつのまにかオジジの隣りにいた。
「あのー。遅くなりました、土谷電気店ですけれども…」
亡霊のように話の輪に入りこんできた少年は、音も立てずにナナのそばに寄り、手馴れた様子で『7』を手に取った。
「おうおう、悟来たか。その、発信機がどうも調子悪いらしくてな」
小さなメカニックは機械を素早く分解すると、口角の右端をくいっと持ち上げた。
「これは、電池が切れているだけですので、問題ないです。今日は新しい電池を交換するということで…」
ウェストポーチから丸い形の電池を一つ取り出すと、目にもとまらぬ速さで作業を終了した。これまた新種の子供を発見。
「ご苦労さん。電池代とは別で、店の中の好きなもの、百円分どれでも持ってけ。それが悟のお駄賃だ」
悟はまた、嬉しそうに口角の右端だけを持ち上げて、駄菓子を物色し始めた。
悟の行動を、じっと見つめる五人衆と一匹。見つめられた悟が、怯えたように口をすぼめた。そして、そのまま視線をオジジにスライドさせる五人衆と一匹。
「わんっ」
ナナが可愛らしく鳴く。まるで、僕らと同じことを言わんとしているかのように。
「わかったわかった。正一も秋彦もかおりも健太も大地もみんな、百円分持ってけ泥棒」
こうして僕ら六人と一匹は出会い、店で情報交換をするようになっていった。
ある日の午後。もうすぐ梅雨の季節が到来する六月初め。
僕ら六人と一匹が『栗ヶ丘7』を結成するきっかけとなった事件?が発生した。場所は栗林と神社の前を通る細い道。人通りが全く無いわけではないが、学校から近かったり診療所が近かったりするので、案外油断する魔の場所なのだ。
最初の「ハローブリーフマン」犠牲者は、四年四組の土谷悟だった。その日、秋彦の家に大画面の最新液晶テレビを納入する為に忙しかった父親の代わりに、悟は栗ヶ丘神社の神主さんに呼ばれていた。神主さんは、七十歳を過ぎてはじめて購入したパソコンの操作に悪戦苦闘しているので、教えに来て欲しいとのことだった。どうにかこうにかインターネットも接続し、メールやエクセル、ワードやパワーポイントなどの操作も教え終わった頃、大体午後五時くらいだっただろうか。
「今日は悪かったね。そうだ。うちで夕飯でも食べていかないかい?」
悟の家は、今晩カレーライスだ。お母さんが今朝、学校に行く前にそう言っていた。一日中それだけを楽しみに過ごしてきたくらいだ。それに引き換え神主さんの家は、奥さんが作る消化はいいけれど、子供の口には渋過ぎる山菜の煮物だ。さっきから醤油の甘辛い匂いが立ち込めていたので、何となく察しがついていた。
「あ、いえ、そんなお構いなく。仕事が終わったら早く帰ってくるようにときつく言われてますので…」
何度も引き止められたが、やはりカレーライスの方が断然食べたい。それに、前に一回神主さんの家で食べた山菜の煮物でお腹を壊してしまった、という苦い経験もある。
「そうかい?じゃあ、仕方ないね。またおいで」
最近では、関西に嫁いでしまった長女もなかなか遊びに来ていないようで、元気がなくて淋しそうだ。がっくりと肩を落としてしまった。
「わ、わかりました。じゃあ少しだけなら…」
その言葉を聞いた瞬間、悟にも分かるくらいに神主さんの目と奥さんの目が同時に輝き、いそいそとテーブルの上を片付け始めた。
「美味しいのよ。山菜の煮物。体にもいいしね。育ち盛りの悟ちゃんにはたくさん食べてもらわなくちゃ」
たくさんは食べられないとげんなりしたが、仕方ない。やっぱりお年寄には優しくしなくちゃね。
「どうも、ご馳走様でした。美味しかったです」
「もういいのかい?焼鮭もあるけど。きゅうりのぬか漬けもまだまだあるぞ。遠慮しないで」
「いえ、本当にお腹いっぱいになりました。もう六時半になりますので、そろそろ帰ります」
送る、と断固言い張っていた神主さんを宥めて、悟は一人で神社を後にした。山菜の灰汁で体中に溜まったゲップを、栗林の細道で人知れず全部吐き出してしまいたかったからだ。
帰り道、神社の前の栗林を抜けて喫茶店『マロン』と本屋が見えれば後少し。薄暗いけれど街燈もあるし安心だ。
「慣れているけど、栗林はやっぱり少し恐いな」
どこまでも真っ暗で向こう側が見えない栗林からは、聞こえない音まで聞こえてきそうなオカルト的な要素がある。栗林の向こうにはきっと隣町があるのだろうけれど、夜になるとそんな理路整然とした考え方はできなくなるものだ。
「はあ。後少し後少し」
その時だった。
「ハローハワユー。ハローハワユー」
雨は降っていないのにビニール傘を差し、ピンク色のコートを身にまとい、髪を赤と青に染め人が、どこからともなく不意に現れ、悟の目の前に立ちふさがった。
その人は割と長身で、スタイルもいい。ただ、日本人なのか?外国人なのか?という点だけがはっきりとしない。
「ハローハワユー、ハローハワユー」を、ただただ繰り返す。悟が聞き取れるような思いきったカタカナ英語なので、本当は英語を喋れないのだろう。
それよりも何よりも、悟は余りのことにびっくりして身動きが取れない。今まで生きてきて、こんな生き物に遭遇したのは、生まれて初めてだ。UFO(未確認飛行物体)が突如出現し、そこから出てきた宇宙人とバッタリ目が合ってしまったかのような緊急事態だ。
「ハローハワユーハローハワユー」
魔法をかけられたように悟の足は動かない。そのうち、その人は笑顔で悟に近づき、コートの前を、クジャクが羽根を広げるようにきれいに広げた。
自分のブリーフを見せると任務完了なのか、一目散に栗林の方へと駆け出して、その人は幻のように消えた。案外足が速い。十秒前にはここにいたはずなのに、もう姿形を確認できないほど遠くへ逃げてしまったようだ。
悟は、あまりに帰ってこないと心配になったお父さんに、栗林の前の細道で腰を抜かしているところを発見された。
一晩中熱にうなされて、
「ハローハワユー」
と、念仏のように唱えていたのだそうだ。