誰かを支える祈り 東大寺のお水取りのこと
はじまり
「お水取りには行かれますか?」
電話越しに尋ねる声は、質問というより、念のための確認に聞こえた。
電話の声は、奈良公園の中にある青葉茶屋の女将だ。
正直、よくわからなかったが、女将がそう言うならと思って「はい」と答えた。
「それなら夕食は20時半にしますね。コロナでいつもよりは空いているとは思うけれど。夕食は精進料理になります。」 お水取りは夜で、混雑するもので、精進料理を食べるのか。 私は、お水取りについて何も知らなかった。
オミズトリとは?
お水取りのために、計画した旅ではなかったが、せっかくの機会だ。調べてみると、東大寺で毎年行わられる修二会という儀式の一部をお水取りと言うらしい。修二会の期間に行われる燃え盛る松明を持って二月堂を僧侶が走る様子を眺めることが、「お水取りに行く」ことを表すようだ。この様子にちなんで「お松明」とも言うらしい。そういえば、夕方のニュースでそんな映像を観たことがあるかもしれない。
修二会の歴史と執り行われる儀式
さらに調べてみると、修二会は東大寺で1250年あまり1度も途絶えずに続けられているらしい。ものすごい歴史。正式には「十一面悔過」と言い、二月堂のご本尊である十一面観音に対してひたすら懺悔することがこのイベントの趣旨のようだ。
何を懺悔するのか? それは他ならぬ全人類が日々犯しているあらゆる罪をだ。ものすごいスケール。この大罪を東大寺の僧侶が代表して、懺悔してくれるイベント。それが修二会だった。2週間余の間、11人の精鋭僧侶が1日6回にわたる悔過作法を行うという。この作法にはたくさんの決まり事があり、毎日異なるそうだ。ご本尊である十一面観音の周りを走ったり、床に激しく膝を打ち付ける行法もあり、骨折する僧侶もいるとか。。。全人類の大罪を懺悔するというのは簡単ではないのだ。1日に6回ある悔過作法の夜の部を行うために、二月堂に上がるとき、明かりとして松明を持っていく。そのシーンが有名なお松明となる。
そして、お松明本番
夕方18時頃、奈良公園を歩いて二月堂に向かった。近づくにつれて、人は増えていき、到着した時にはお堂のすぐ下のベストポジションは既に満員だった。少し離れた場所に陣取り、二月堂を眺めた。けっこう遠かった。プロかアマかわからないが、カメラと三脚でスタンバイしている人もたくさんおり、このイベントへの注目度の高さが伺えた。始まりのアナウンスがあり、周囲の街灯が消され、二月堂の急な階段を精鋭僧侶とお松明係がゆっくり上がっていく。周囲は真っ暗なので、遠くても赤々と燃える松明がよく見える。二月堂に上がると僧侶はお堂の中へ入り、お松明係は燃え盛る松明を高く掲げ、二月堂の縁側みたいなところを端から端まで走るのだ。これがなかなかの迫力で、この儀式のハイライトだ。端まで行ったら、松明を縁側の外に掲げて、全て燃えるのを待つ。この一連の流れの中で、松明に使われている杉の葉の燃え滓があちこちに落下し、拾った人はご利益を得られる。これが僧侶の人数と同じ11回繰り返されるのだ。11回もあると掲げ方や走り方などにも違いがあり、この人は魅せるな、などの比較も楽しかった。
ミレーの落ち穂拾いのように
翌朝、少し早起きをして朝食前に二月堂まで散歩に出かけた。既に職人さんたちが竹と杉を使って夜のお松明を準備していた。二月堂に登ると、晴れた空に奈良の街が広がり、とても美しく平和だった。印象に残ったのは、二月堂の周りで金属の大きなトングを使って昨晩の杉の葉を拾い集めてる人がたくさんいたことだ。階段の隙間からトングを伸ばし、それはそれは熱心に拾っていた。その姿によそ者の私は、そこまでしなくても、と少し興醒めした。
朝ごはんのとき、女将にすごく熱心に杉を拾っている人がたくさんいたと、何の気なしに話した。「私にはわかるわ。その気持ち。年をとると体のことも含めて心配や不安が本当に増えるの。だから、支える物が欲しいのよ。」女将は答えた。
トングで杉を拾う姿は、誰にでもある幸せに健康に過ごしたいという、ささやかでひたむきな行動なんだと思い直した。祖母が好きだったミレーの落ち穂拾いの絵を思い出していた。祖母は若い頃は貧しく、やっと生活が落ち着いた頃に祖父を亡くし、とても苦労した人だった。
この旅行中、地元の人からあちこちで、お水取りは行きましたか?声をかけられた。そう尋ねる姿はみんななんだか少し誇らし気だった。奈良ではお水取りが終わると春が来ると言われている。1250年続くこの儀式は奈良の人々の生活にしっかり根付き、そして多くの人を支えている。
あらゆるイベントが中止になる中、東大寺はこんな時だからこそ、修二会をやらなければならないと強い意志を貫いてきた。ワクチンや薬は多くの人を救うが、祈りもまた、たくさんの人を救うのだ。そんなことを感じた初めてのお水取りだった。
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