長野県へ一年間移住した②
【きょうだいはどうするの?】
うちはきょうだい3人、とても仲良しです。
母親の私が忙しく、3人で助け合って生きてきたところもあるので、結束力がありながらも、それぞれ年齢の割に自立していると思います。
当時小2の二女、小5の長男も、長女が学校へ行かないことを心配していました。
家ではいつもと変わらない長女だったので、家の雰囲気は明るかったのですが、3人で1つのベッドに寝ている姿を見て、「長女に寄り添おうとしているのだな」と感じていました。
そして、自分たちも転校しなくてはならない。
ということについて、二女は「一緒に住みたいから行く」そして、長男「行くのは嫌じゃない。でもサッカーが続けられなくなるのが嫌」ということでした。
そりゃそうです。
5歳の時からからずっと地域のサッカーチームでやってきて、「最後の1年間、この仲間でサッカーがしたい。」という彼の思いは当然だと思いました。
長女に自分のよさを取り戻してほしいと行動したことですが、そのことで長男が大切にしてきたサッカーを奪うことはできないと考えました。
長野で探せばサッカーチームに入れるかもしれない。でも、彼の望みはサッカーを続けることではなく、自分の今いるチームの仲間と最後の一年サッカーをすることです。
長男は横浜に夫と一緒に残るという方法もありました。でも、ずっと忙しくしていた仕事から離れ、お母さんでいられるようになったのだから、長男の小学生としての最後の1年、側にいたい。
そこで考えたプランは、週末高速バスで横浜に戻ってきて、サッカーを続けること。
「それなら(長野に)行く」という返事で、決まりました。
人からは「それは続かないんじゃないかな」と心配されました。
しかし、一年間、雨天の予報や行事以外はすべて行きました。
金曜日15時半に私が車で学校まで迎えに行き、そのまま高速バス乗り場まで約40分。夕方便の横浜駅行高速バスに乗って、21時に横浜駅に到着。日曜日の夕方便でこちらに夜着くような毎週でした。
家を出てから家に着くまで約6時間。本当によくやったと思います。本人は飄々とやってのけてました。バスの時間も上手に楽しんでいる様子。
そもそもエネルギー過多な長男なので、くたくたになりそうなことを常にやっているのが彼にはあっていると私は思っていて、「やれるだろうな」とは思っていました。彼にとって大切なサッカーを仲間とともに続けられたことがよかったと思っています。コーチが子ども達やチームの成長を自分の子どもを見るように応援してくれ、チームのメンバーとの仲もよく、ここで最後の1年間ができて本当によかったと思っています。
毎週末長男が横浜に行くことは、仕事で横浜に一人残っている夫にとっても、よかったです。野菜を鍋一杯分切った「豚汁セット」or「カレーセット」を長男に持たせ、週末の食事にしてもらっていました。
私は、運転が大変だったな。サッカーの応援や、長女のチューバレッスンのためなどで一緒に横浜まで車で運転して行く週末も月に1回はあり、「長距離運転できない」と思っていた私の枠は、はずれました。
【私の退職】
「よく決意したね」と言われます。
その前の年は6年生の担任だったこともあり、「今5年生の担任だから次は6年生だろうな」と思ってくれた人はいただろうし。
土日も仕事しに学校へ行き、平日も帰りが遅く、毎朝早く起きてその日の教材研究のために仕事し、というノンストップな自分の働き方にずっと「このままでいいのか」という思いを抱えていました。
自分が本当にやりたい教育はここではできていない。という葛藤もずっとありました。
いつも仕事のことばかり考えていて、自分のエネルギーのほとんどを仕事に向けていたので、今こそ自分の子ども達にエネルギーを向ける時なのだな。そんなお知らせが来たのだな。と、わかったし、「(余裕がなく)もう辞めたい」と言っていたわりに、辞める決意ができなかった私にとっては、チャンス♪でした。
離任式はとても幸せで報われる日でした。
自分が何気なく発した言葉に勇気づけられたというお手紙をいくつもいただき、そのことにとてもとても勇気づけられました。ストレスも多く感じたし、自分の時間のほとんどを費やしてきた仕事でしたが、やっぱり自分はそうやって人を励ましたり応援したりすることがたまらなく好きだったんだということも改めて確認できました。
「私はいつも鈴木先生のことを応援しています」
「鈴木先生はこれからもそうやって多くの人を救っていくのだと思います」
人のよさや才能を応援すること、ただただ承認すること。そのことが伝わっている手紙をもらって、本当にうれしかったし、自分のこれからの希望になりました。
伝えてくれた子ども達や保護者にはとても感謝しています。
そういう気持ちにこたえられる自分でいたいと思ったし、「伝える」というあたたかなパワーを感じました。