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長野県へ一年間移住した ①

横浜市の小学校教師を退職して、2019年4月から2020年3月までの1年間、長野県でを過ごしたことについて、今日は書いておこうと思います。

2019年3月末、20年間続けていた小学校教師を退職して、長野県下伊那郡泰阜(やすおか)村に引っ越しました。


【きっかけは長女】

長女は小学校4年生から6年生の3年間、泰阜村で山村留学をしていました。

山村留学といっても、長女の行った「だいだらぼっち(NPOグリーンウッド)」は、小学4年生から中3までの18人が共同生活をしていて、食事・洗濯・掃除など身の回りのことは自分たちで分担しながら生活し、「話し合い」で自分たちのやりたいこと、やらなければならないことを決め、実現していく、自分たちの暮らしを自分たちで創るすてきな場所です。薪で焚く、五右衛門風呂、薪ストーブ、暮らしに薪割りがあります。食器やお箸を手作りで。イベントも話し合いで創り上げます。

NPOグリーンウッドの「根っこ教育」に共感し、参加を決めました。

といっても、行きたいと言ったのも、行くことを決めたのも本人で、私はその決めたことを親として応援しただけ。学校は村にある村立の泰阜(やすおか)小学校に通っていました。そして3年間、だいだらぼっちのイベントや学校行事があるときは泰阜村を訪れていました。

中学生になって、横浜に戻ってきた長女は吹奏楽部で大好きなtubaと出合い、部活に夢中になる中学生でした。自然豊かな場所で3年間過ごしてきたので、横浜でやっていけるのか、少しだけ心配がありましたが、明るく、社交的な性格で、部活では1年生の副代表を務め、そんな心配はいらない。といった様子で学校生活を楽しんでいました。

ところが1年たってクラス替えがあり、中学2年の5月ごろから、「体調が悪い」と学校を休むことが増えてきました

松葉づえがないと歩けなくなるようなけがをしたり、道の途中で倒れて意識を失い、救急車で運ばれたりしたこともありました。ほとんど病院にもいったことがない元気だった長女が学校に行かなくなり、もとの彼女をよく知る中1の時の担任の先生と体育の先生が心配して家まで話を聞きにきてくれたこともありました。

部活の先生は「部活だけでもおいで」と言ってくれていて、土日の部活には行けるのですが、7月になると、平日はほとんど学校に行かなくなりました。7月の個人面談の時期には、校長先生、学年主任の先生とお話をし、今後どうやって長女が学校に行けるかについて考えてくださったのですが、

「なんで学校で勉強しなきゃいけないのかわからない」と泣き「泰阜に帰りたい」とつぶやく長女。

山村留学は「もう継続しません」という決心のもと、戻ってきているので、彼女が言う「泰阜に帰りたい」は、山村留学に戻りたいのではなく、「泰阜中学校に戻りたい」のだということはすぐにわかりました。

彼女のもつよさやエネルギーがどんどん失われていくのを感じ、なんとかしたいと思っていた私は思わず「泰阜に引っ越す?」と言っていました。
勝手に口がそうしゃべってしまった。

私は5年生の担任、学年主任をしていたし、現実的に今引っ越すことはできないのだけれど。でも、彼女をどうにかしたいという気持ちでいっぱいで、その時の私には引っ越す以外の方法が思い浮かびませんでした。

彼女がクラスの雰囲気や先生の対応に対して「その場にいるだけで苦しい」という体験をしていることは伝わってきていたので、なんとかして学校に行かせたい。という気持ちにはなりませんでした。

学校に行かない。という選択肢
があることもわかっていましたが、長女の場合、本当に人が好きで学校というものがもともと好きだし、そういう場所が彼女を成長させてくれる場であると認識していたので、「家にずっといるのではなく、学校にはいってほしいなー」という思いがありました。

結局私が辞めるまでの半年間は私の母が娘の面倒を見るためについて行ってくれることになり、夏休みの間に泰阜村へ行って、住まいを決め、引っ越す日を決め、

8月17日に長女と私の母が引っ越し、
泰阜中学校2年生の2学期が始まりました。

その②【きょうだいはどうするの?】【私の退職】に続きます。


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pumpkin
子どもの生きる力を育み、子どものもつ才能や輝きを引き出す教育をテーマに記事を書いています(^▽^)/