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長野県へ一年間移住した③

その① その②からの続きです。

【中2娘の引っ越し】


中2の娘が8月に引っ越して、どうなったかというところに戻ります。

学校にいけないことが増えてきた6月、朝起きることができませんでした。

もともと朝起きることは超苦手。「起立性調節障害」の症状だと言われたこともありました。そんな長女なので、引っ越したところで学校に行くようになるのか?という声もあったわけなのですが、

登校初日から「楽しくてしかたない」という以前の彼女に戻りました

6年生まで一緒に過ごしていた友達がいる教室でしたが、自分が転校してくることは内緒にしていて、登校初日はみんなをびっくりさせようとワクワクしていて、初日から笑顔の長女を見て、教頭先生から「転入生はたいてい緊張しているのですが、そういう様子がまったくありませんね」と言われました。

朝起きることが苦手が解消されたわけではないので、これまでの長女の起きる姿をよく知らないおばあちゃんをだいぶ困らせました(起きないから)。遅刻することなく、休むことなく、毎日学校に楽しんで通うようになりました。

よかった!

しかし、1つ問題があるとすれば、それはスマホでした。

学校に行かなくなる頃スマホばかりやるようになり、朝起きられない原因になっているように感じられました。学校に行かなくなった原因は他にあるとはいえ、スマホとの付き合い方を見つめなおしてほしいと思っていました。

引っ越して、親がいない環境で、夜遅くまで見る状況は続いていて、毎週末のようにかかってくる母からの電話で「スマホをやめさせるべき」「おばあちゃんの立場からは言えない」などあれこれ言われていて、なんとかしたい思いもあり、結局「スマホは横浜預かり」ということになりました。

学校の方は友達とも先生とも良好な関係でいられ、ほっとしました。

私はあとになって知ったことですが、長女が転入したころの中2の教室はあまりいい雰囲気ではなかったようです。その雰囲気を変えるきっかけになったのが長女の転入だったようでした。

先生との信頼関係、クラスの絆がすばらしくて、ここに引っ越してきてよかった!と卒業の時実感するクラスでしたが、

やっぱりいろいろあるのが中学生。

特に中2!

いろいろあるのが中2なんだな。って、身をもって体験したのでした。

【4月からの4人での生活】

2019年3月末、私、長男、二女の3人も泰阜村へ引っ越し、家族4人で暮らすことになりました。(夫は仕事のため、そのまま横浜在住)

私は転入手続きをしたその日に役場の方から「教員免許をお持ちなんですよね」と尋ねられ、中学校の支援員の仕事をいただきました。

長女の通う中学で一緒に過ごす1年を送れることになったのです。

長男と二女の通う小学校も連絡通路でつながっています。これまで仕事で授業参観に行けないこともあったし、運動会が重なっていけなかったこともありました。それが、

この1年は同じ学校で過ごせるなんて!ラッキー♪

そして、この仕事をさせてもらって、子どもの成長にかかわるこの仕事、どうすれば子どもにとってよりよい授業になるか、子どもとどんなかかわりを持てばいいかを先生たちと一緒に考えること、保護者に子どものがんばりを伝えること、こういう一つ一つが私は好きだなって気づかせてもらいました。

出会った先生方がステキな方ばかりで、刺激になりました。

特に担任の先生には、長女をよみがえらせてくれて、発揮する場を与えてくれて、よさを認めてくれて、学級経営がステキで(いつも悩んでいたけれど。そこがまたステキ。)、感謝しかないです。

小学生の二人は、前からいるみたいにすぐにクラスになじむことができ、4月から楽しんで通いました。放課後はNPOグリーンウッドが村から委託されて行っている学童「いってきました」に毎日通い、18時まで豊かな自然の中思いっきり遊んでいました。

「いってきました」では、のこぎりで木を切って木工をしたり、畑をつくってきゅうりを育てたり、大根を収穫してたくあんを作ったり子どものアイデアとやる気でいろいろなことをさせてくれるすてきな学童です。

アクティブな小3、小6のうちの子たちにピッタリの環境で、家からの徒歩圏内にこんなすばらしい場所があり、横浜にいたらできないような経験をたくさんさせてもらいました。

NPOグリーンウッドの山賊チャンネルが開設しました!ぜひご覧になってください。ここに住んでいました!https://www.youtube.com/channel/UC3x_joVY-jREKqDY-MoxjZg

長女は中3の一年間、同じ場所に先生として私もいたわけなのですが、とにかく「毎日学校が楽しくてしかたない」という以前のエネルギッシュな彼女でした。文化祭のクラス合唱をリードしてみんなで創り上げる姿や音楽会のピアノ伴奏など、音楽でたくさんの活躍の場を与えていただきました。

文化祭では歌や伴奏で出番が多く、たくさんの人に長女の歌とピアノをほめてもらいました。彼女の音楽性や音楽が大好きだという気持ちはすべてこの泰阜が育ててくれたものです。

親として子どもの才能発揮のためにできることなんてない。
と、わかる。

できることがあるとすれば、本人の求める環境を常識にとらわれず整えること
かな。

あのタイミングで引っ越しをしたことは我が家にとって正解だったのでした。


その4(最終回)「子どもを応援する母でいたい」へ続く


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pumpkin
子どもの生きる力を育み、子どものもつ才能や輝きを引き出す教育をテーマに記事を書いています(^▽^)/