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授業参観で発見したのは「息子」ではなく「自分」の成長だった
小学2年生の息子の、授業参観に行ってきました。
昨年は密になることを避けるため、授業参観は行われず動画配信という新しいスタイル。
しかし今年は時間帯を2つに分けて、密にならないように配慮してのリアル授業参観が行われました。
授業の内容は、国語の音読。(子供達は同じ内容の授業を1日に2回受ける!)
母である私は、生まれて初めての息子の授業参観にちょっと緊張した面持ちで参加したのです。
そこで発見したのは、意外なことに息子の成長ではなく、昔の自分と違う今の私の価値観でした。
この記事では、「ねばならない」と信じていた過去の自分が、いつの間にかいい感じに力が抜けていたことに驚いた経験をシェアします。
授業参観中の息子は集中力0状態
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息子が通う小学校は私立だけあって、美しいお母様達が笑顔で教室の後ろに並んでいた。
人の少ない場所をと私が選んで立った場所は、なんと息子の真後ろ。
教室の一番端っこの一番後ろの席に、息子は座っていた。
後ろからクラス全体を見渡すと、子供達の個性がよくわかる。
落ち着きがある子、自分から積極的に発言する子、お利口さんな子、全く集中していない子・・・などなど。
我が息子に目をやると、せわしなく椅子をギッコンバッコンと揺らしている。
それも今にも頭から後ろにひっくり返りそうな、かなりの勢いで椅子を揺らしている。
よっぽど後ろから頭を小突いてやろうかとも思ったが、その時思ったのだ「まぁいいか。」と。
なぜなら、その場を取り仕切っているのは、心から信頼できる担任の先生だから。
注意するなら担任の先生であって、母親がしゃしゃりでるところではないと思ったのだ。
そこでふと気がついたのだ、「昔の私だったらどうだっただろう?」と。
昔の私だったら、息子を周りの子供達を比べて「恥ずかしい!」と思った可能性がかなり高い。
なぜなら、私自身が「大人の期待に応えることに喜びを感じる」頑張り屋さんな子供だったからだ。
授業参観で過去の自分をしみじみ思い出す
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私は教育熱心な母のおかげで、世間的にはいい感じに育った子供だった。
でもそれは本当の自分だったのかと言うと、かなり疑問が残る。
勉強はできないといけない
足は速くないといけない
人に親切でないといけない
お友達と仲良くしないといけない
大人の言うことは聞かないといけない
この考え方が決して悪いわけではないのだが、大人になっても私を苦しめた「〜ねばならない」の思い込みの根源だった。
極端に失敗を恐れ、無難で手堅い選択しかできない。
自分の心の声を無視し、自分の好きなこと、嫌なことがわかなくなるほどに、感覚が麻痺したまま大人になった。
30代になって、仕事も恋愛もうまくいかなくなったときに、初めてこの事実に気がついた。
「私は私のことを知らない」
そこから私は必要のない「〜ねばならない」を1つ1つ手放し、いまもその心の断捨離が続いている状態だ。
息子の授業参観で自分の成長に気がついた
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もし昔の感覚のまま私が母親になっていたら、授業を聞かずに全力でつまらなそうにしている息子にイライラしたに違いない。
息子は手をあげて発表することもなければ、全員で音読するときは「口パク」で授業を乗り切った。
実は私も小学生の時、授業がつまらないと感じた記憶がある。
自分のペースで物事ができないことに、息苦しさや不自由を感じた記憶がふと蘇った。
本当はお利口さんではないのに、私はお利口さんを大人のために演じていたのだ。
できれば息子には休み時間だけでなく、苦手な国語の授業だって楽しんで欲しい。
でも、誰かのために「自分じゃない人間」になろうとはして欲しくない。
学校から帰ってきた息子に、「今日の授業参観はどうだった?」と聞いてみた。
すると、「かあちゃんが見てると思うと、緊張したよ」と意外な返事。
あんなにも退屈そうに、しかも椅子をゴンドラのごとく揺らしていても緊張していたのか!?
さらに息子は続ける。
「2回目の授業参観の時間はさ、ついつい眠っちゃったんだよ。そしたら先生に起こされて、後ろにいたお母さん達に笑われちゃった。」
そうか・・・本来なら寝ているところ、私がいたから緊張して起きていたのだ。
・・・て、大丈夫か?息子よ。
授業をしてくれる先生には申し訳ないが、自分の心に素直に行動する息子に「〜ねばならない」が刷り込まれいないことを嬉しく思った。
こう思えた自分に、「昔よりずっと自由になった」と発見できた授業参観だった。