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すでに持っているあなたの才能
あなたは、できた。
私は、できなかった。
あの子は、とても目立ってる。
私は、そんな目立つ存在ではない。
あの子は、勉強でトップになれた。
僕も、私も、精一杯やってるけど、なかなか結果が現れない。
そうやって、周りの存在があるから故、比べてしまうもの。
比べると、
時には、『ない』ばかり目を止め、自分を否定したり、
私が、頑張ればなんとかなると、
“必死” “がむしゃら” “努力” “根性” などの言葉を応援する言葉として選び、
どんどん負荷をかけてしまう人もいるかもしれない。
私は、中学生時代からまさに孤独に頑張り続ける自分を演じ続けてきた。
他の人よりも認められたり、褒められたりする事で、必要とされてる自分を感じ、必要とされなくなる事を怖がって生きてた。
無理と気づけないほどの無理をしすぎて、
生死ギリギリのところまで、
体にエラーを起こさせたこともあった。
自分に厳しく、相手にも厳しい見方をしていた私だったから、子育て、対人関係に関しては悲壮感で一杯だった。
本気で辛かった。
ただ…ただ…
自分にも、相手にも優しくなりたかった。
けれども、やり方がわからなかった。
でも、ママ講座に入って教わった、
初めて自分に聞いた問い…
「私はどうしたい?」
衝撃的な問いだった。
私が⁇私は⁇
私がしたい事を言って良いの?
そんな気持ちでいっぱいだった。
でも、出てこない。
その為にした努力として、
まず私は、
誰のためにではなくて、
私が私自身を幸せにすることが必要で、
私を知り、私を愛し許してあげることが必要だった。
私が講座を受けて、どんな私も愛し許せるようになったワークは、
前回、書いた
『唯一無二を生きる』というものだったが、
あと一つ…
それは、
『才能』の捉え方だった。
『才能』…
継続できることも『才能』
素直になれることも『才能』
努力し続けることができるのも『才能』
など、、
結果ではない、それまでの過程を認める意識。
それが、
『才能』と言う受け止め方だった。
まるで、新しい世界が目の前に現れたように
『才能』の捉え方が変わった。
『才能』とは、特別なものでないといけないもの。
また、他の人よりも突起していないといけないものと認識してたけれど、
ともこさんが教えてくれた『才能』という言葉の捉え方によって、
以前のトゲトゲした自分に厳しい心は、
“愛”ある心に変わっていった。
それは、子供にも、対人関係にも
とてもとても良い状態で変化が現れて行った。
私の子供は、今、受験を控えてる。
成績が良い、悪いで評価をするのではなく、
私が本来築きたかった、子供との関係は、
そぅ…
私は、子供の『唯一無二』、そして、この『才能』の方を讃え受け入れた状態で、
子供の心赴くままの姿を応援したかった。
ただそれだけだった。
素晴らしい才能があったのに、その部分を見てあげられず苦しんでいた時期は相当長かったのだけれども、
本当に、子供の受験の前にママ講座を受けられた事で、本当に私は、救われた。
私の目には、今、子供のこの『才能』ばかりが目に映る。
このような素晴らしい、力強い『才能』があるならば、必ず、唯一無二の自分を見つけられ、
力強く生きていけるだろうと心から思える。
どんなことがあっても、
決して不幸にはならない。
大丈夫!!
しっかり歩めていける。
その気持ちを軸に持ち、主人と子供と過ごせる事を今、とても幸せに感じられる。