ペットの癒し,その2

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みなさん、こんにちは。
こころとからだを癒す
もばらの医師、ながの おさむです。

「つくし(飼い猫の名前)どうしているかな」
「つくし元気かな、ちゃんとごはん食べているかな」

旅先で何度も同じフレーズを耳にしました。
先日、1泊2日の家族旅行に行ったときのことです。
飼っている猫を自宅で留守番させて(してもらって)
家族5人で旅行に行ったのですね。

はじめてのことだったのでみんな猫のことが気になって
しょうがなかったんです。

でもなぜかその話をしているときは飼い猫が思い浮かんで
こころがふわっと温かくなってくるのです。

そして猫を撫でているときの毛並みの感覚や体の温度なども
思い出してくるのですから不思議なものです。

「はやくつくしに会いたいね。」
そのような言葉で家族の会話は締めくくられます。

今までの僕はペットが近くにいて眺めることができたり
傍にいて触れることができたりして初めて癒されるものだと
思っていました。

きっと猫カフェとかフクロウカフェとか
行ったことはないけれどもそのような感覚になるのでしょうね。

ただ今回、飼い猫と離れた旅先でもその感覚が
生じてくるなんて・・・

それは私だけでなく家族全員がそのような様子でしたから
ペットの癒し効果ってどこまで繋がって広がっていくのだろうと
考えてしまいました。

そして、もう一つ気づくことがありました。
旅先で「猫の小道」と名付けられた路地裏の小さな通りを
通ったときのことです。

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こんなふうに猫の絵がところどころに描かれていたり
猫の置物があったりそれらの猫を見るだけで
「わぁ、かわいい」って思ってしまう。
明らかにペットを飼う以前とは違った自分がいました。
(もちろん家族もそうでした)

人の意識ってこんなにも違うものなのか。

たしかに車やメガネなど何か欲しいものを買おうと考えると
途端に街中を走る車が気になったり、電車の中で他人が
付けているメガネが気になったりすることってありますけれども

ただその意識が向いたものに癒しの感覚が結びつくのはなぜだろうか。

猫だからなのか。犬だったらどうなのか。

今までに同じような感覚を持ったことはないだろうか
と考えたら自分の息子たちが赤ちゃんだったころ
同じような癒しの感覚を他人の赤ちゃんを見ても
思い出していたようなことが浮かんできました。

どうやら
自分の好きなものを眺めたときの記憶と感情が
リンクしているのかもしれません。

それは動物でも植物や花や物であっても芸能人や
スポーツのチームであっても同じことなのだと気づきました。

つまり
何かを見たり、聞いたり、感じたりしたときに、
湧き上がってきた喜怒哀楽の感情と、その物や
その経験が結びついて記憶されるのですね。

ふと
「人は記憶で出来ている。」
この言葉と

脳科学では、記憶の中枢の海馬は、感情の中枢の偏桃体と
連動していて何らかの出来事はそのときの感情が添付されて
記憶されることを思い出しました。

たとえば
蜂に刺されて痛い思いをした人は、次に蜂を見たときには
その痛い経験が思い出されてその場から離れますね。

これって
原始の時代まで遡って考えるとこういった脳の機能が発達した
人種が生きのびてきたように思います。
つまり
今の私たちにとっては当たり前のことなのかもしれません。

そうなると
喜怒哀楽の感情のうち、「喜ぶこと」「楽しいこと」の
感情が結びついた物や経験を増やしていくと
日常生活が「喜」と「楽」で溢れていくように
なるのでしょうね。

そして
これからの人生で自分の気持ちが大変になったときに
癒しの感覚がふっと湧いてくるようにもっとたくさん
つくしと触れ合っていこうと思っています。

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