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スコットランドの不思議な旅ーその[15]フィンドホーンの時間、めぐる縁と小さなルール
「スコットランドの不思議な旅」も、もう15回目。なのに、まだ2日目が終わらない。
「あと5日分もあるんだけど......どうする、これ?」
でも、結局何とかしようという気もあまりなく、思うがままに書いてしまうのが私のスタイルだ。
そもそも、頭の中で文章を組み立てるのが苦手なので、書いて、崩して、並べ直して.....を延々と繰り返すしかない。
400字詰め3枚分の文章を書くのに、その10倍は下書きを書く。考えて整理するよりも、まず書きまくるしかないのだ。
そんなことをぼんやり考えながら、また書いていく。
「おかわり」の30分ルール
そうそう、食事の話をひとつ。
フィンドホーンでは、なぜか普段の生活よりも空腹を感じる。食事は十分にあるし、決して粗末なものではないのに、それでもみんな、ものすごくおかわりをする。
そんな中、滞在中に気がついたことがあった。
「おかわりにはルールがある」
その名も「30分ルール」。
つまり、食事開始から 30分が経過しないと、おかわりをしてはいけない、というものだった。
ところが、私たちのグループは、そのルールを最初に聞き逃したのか、忘れていたのか、はたまたフォーカライザーが「言ったつもり」になっていたのか......普通に20分くらいでおかわりをしていたのだった。
それに気づいた世話役のCさんが、ちょっと困った顔で説明した。
「おかわりは、食事開始から 30分経ってからにしてくださいね。」
「えっ、そうなの!?」
私たちは顔を見合わせた。
すると、ドイツ人の男性が冷静に腕時計を見て、「今、6時25分だから.....あと5分経ったらおかわりできるね。」と確認。律儀に時計を睨みつつ、「あと3分」「あと1分」とカウントダウンしながら、30分きっかりでおかわりの列に並ぶようになった。
私も、大きな時計を見ながら、「あと5分、あと3分.......よし、28分になった!今歩き出せばちょうど30分だよね!」とタイミングを計って席を立った。
しかし。
何人かのヨーロッパ人は、そんなルールなどどこ吹く風。
「うん、分かったわ。」と頷いたはずの女性が、しれっと 25分くらいで立ち上がる。Cさんが、「ねえ、30分経ってからにしてね?」と優しく声をかけると、彼女はにっこり笑って言った。
「分かってるわ。でも、お腹が空いてるの。」
分かってるのか、分かってないのか。いや、多分分かってるけど、単純に「空腹>ルール」なのだろう。結局、誰も怒ることはなかったし、罰則があるわけでもなかった。
それにしても、これほどみんなが食事にがっつ<コースも珍しい。
よく眠り、よく働き、よく考え、そして、よく食べた1週間だった。
エンジェルメディテーションと「感謝」のカード
2日目の日曜日、午後の最初の時間はエンジェルメディテーションだった。
場所は「サンクチュアリ」。みんなで静かに瞑想をし、それからエンジェルカードを引く。まず、グループ全体のカードを引き、次に各自が自分のカードを引いた。
私は「感謝」のカードを引いた。
.....うん、なんとなく分かるような、分からないような。
カードの意味がすぐにピンとこない人もいたけ
フォーカライザーのCさんとSさんは、**「意味が分からなくても大丈夫。体験週間の間に自然と分かることもありますよ。」**と優しく言ってくれた。
それを聞いて、私は少しホッとした。
結局、後になってからじわじわと**「感謝」の意味を理解することになる...のだけれど、それはまた別の話。
「パーク」へのツアーと、不思議なキャラバン
午後1時半。私たちはバスに乗り、フィンドホーンのメインエリアである「パーク」へ向かった。
外はまだ雪が残り、道は凍っていたけれど、Sさんは慎重に運転してくれた。
「パーク」に到着すると、案内のスタッフが主要な建物を一つひとつ紹介してくれた。
• レストランのようなカフェ
• ユニバーサルホール (コンサートや映画上映
劇などの多目的ホール)
・陶器や機織りの工房
・ウィスキー樽が並ぶ小さな工場
・冬は凍っているけれど、夏には活躍するプールとジャグジー
・風力発電やソーラー発電所
そして、一番印象的だったのが、ーフィンドホーンの創始者たちが最初に住んでいたキャラバン」だった。
1960年代からそこにあるというキャラバンは、不思議なことにほとんど劣化していない。
さびてもいないし、壊れてもいない。
そして、その前に立った瞬間、私は言葉にできない感覚に包まれた。
「ここには、何かがいる。」
目には見えないけれど、確かに「何か」の存在を感じた。
「パーク」のツアーの後、私たちは「サンクチュアリ」に戻り、インナーライフシェアリングの時間を持った。
「パーク」のツアーの後、私たちは「サンクチュアリ」に戻り、インナーライフシェアリングの時間を持った。
そこに、一人の女性がいた。
「Oさん」
70代半ばのアフリカ系の女性。彼女は、自身の人生とフィンドホーンとの関わりについて語り始めた。
話を聞きながら、私はずっと考えていた。
「この人、どこかで会ったことがある......。」
デジャヴかもしれない。でも、それにしては、強烈な「知っている」という感覚があった。
「でも、いつ?どこで?」
彼女の話を聞いているうちに、記憶の糸がつながりかけてきた。
そして、Oさんが「かってシュタイナー教育の学校で教師をしていた」と
語った瞬間一
すべてが一本の線になった。
私は、6年前、ロンドンのムーブメントアートのカレッジで〇さんに出会っていたのだった。
フィンドホーンに来るための布石は、6年前から、いや、もっと遡れば10年前からすでに始まっていたのだ。
繋ながりかけてきた。
そして、Oさんが「かってシュタイナー教育の学校で教師をしていた」と
語った瞬間一
すべてが一本の線になった。
私は、6年前、ロンドンのムーブメントアートのカレッジで〇さんに出会っていたのだった。
フィンドホーンに来るための布石は、6年前から、いや、もっと遡れば10年前からすでに始まっていたのだ。
人生に無駄な出来事はひとつもない。
そう確信しながら、私は〇さんにお礼を言いに行った。
「私は、あなたの話を聞いて、とても勇気づけられました。」
〇さんは私を抱きしめて、こう言った。
「私もよ。ありがとう。」
さて、今回も長くなってしまった。
どこまで続く?
続くまで......続く