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日本社会の部分肯定と部分否定

人はどうしても、何から何までダメと全否定したり、何でも美化して全肯定したりと、両極端に振れがちです。

でも実際のところ、この世に完全な人間はいないし、完全な社会も存在しません。長所と短所、プラス面とマイナス面の両方があるんですね。

相手(や自分)を全否定せずに、どうにも許せない部分は否定しつつ、良い部分やプラス面は肯定する。
それが「尊敬」なのだと、私は考えます。

さて、私は日本で生まれ育ち、何十年も日本で暮らしてきました。

海外旅行は少しだけ、外国について語れるほどの経験値はありません。
ですが、日本については語れます。

全肯定でも全否定でもなく、日本社会を部分肯定と部分否定で語ってみますね。

日本社会の部分肯定)
○食べ物はあり、餓死する人はほとんどいない
○清潔な水が豊富、水道水も飲める
○初等教育が普及しており、識字率は高い
○公的な医療保険が普及しており、平均寿命が長い
○凶悪犯罪が比較的少なく、今のところ治安が良い

日本社会の部分否定)
●近年は貧富の格差が広がり、相対的貧困が増加している
●弱いところ、ぶつけやすいところへ痛みや歪みを押しつける社会構造
●自殺者は一時期より減ったものの、それでも年間2万人以上
●子供の数が減少しているのに、子供の自殺は増えている

富める者がますます富むのは、好きにすればいい。

しかし、貧しき者がますます貧しくなり、まともな食事ができなかったり、ささやかな趣味に使うお金や時間さえほとんど無かったり、子供を授かっても育てることが難しく、それを「自己責任」という言葉だけで切り捨てるのは問題だと考えます。
また、本人やその子供が力を尽くして、貧しさから合法的に脱出するルートを(できれば複数)用意しておくべきでしょう。

それでは、弱いところ、ぶつけやすいところへ痛みや歪みを押しつける社会構造とは?

たとえば、あなたがAさんからヒドイ仕打ちを受けたとします。体や心に痛みや苦しみを感じ、怒りや恨みさえ沸き立つかもしれません。
あなたがAさんに反撃するなら、それも選択肢の1つです。(なるべく法律の範囲内で。それと、受けた被害以上にやり返すのはやめておいてネ )

けれど、もしあなたがAさんではなく、苦痛の原因ではない、別のCさんに怒りをぶつけたとしたら?
あなたよりAさんのほうが力関係はかなり上で、なかなか反撃できない。でも苦しみや怒りは収まらない。なので、力関係が下のCさんに、怒りや暗い欲望をぶつけて、一時的にスッキリする。

この文章を読んでいるあなたは、そんな事はほとんどしないかもしれません。しかし、こうした構図は、日本のあちこちに見られます。
家庭で、学校で、会社で、公的機関で、リアル社会で、インターネットで・・・

痛みや歪みを押しつけられて苦しんでいても、その苦しみを別の誰かに押しつけることができない、あるいは押しつけない人もいます。
だけど人間の心の耐久力は有限です。かかえこんだ苦しみに押しつぶされ、自ら命を縮めてしまう人も出てきます。

また、子供は本来、守り育てる存在です。
ところが、大人と子供の関係は、容易に権力関係へとすり替わってしまいます。幼い子供は腕力で大人にかないません。中学生くらいになれば腕力で大人に負けなくても、経済的にはまだ大人に養ってもらう必要があることがほとんどです。
近年では教育虐待という言葉も出てきました。大人が主観的には良かれと思って押しつけていることが、結果として子供を追いつめ、ときに潰してしまう例もあるのです。

日本社会の長所やプラス面を生かしながら、短所やマイナス面にどう対処していけばいいのでしょうか?

小児科医の熊谷晋一郎先生は、
 自立とは、依存先を増やすこと
 絶望を分かち合うことができた先に、希望がある
と語っておられます。

私なりに言い換えてみますと、支えあいの態度や行動が、お互いの依存先を増やしていく。
強制されなくてもやってしまう事や、苦もなくできる事で、誰かの支えになる。その一方で、苦手な部分は、誰かに支えてもらえばいい。

人間は本来、支えあって生活し、命をつなぐように設計されているのですから・・・

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