奇跡日記 part3 〜父のこと〜
7月30日
今日は、建築屋さんが初めて実家にきてくれて
打ち合わせをしました。
角地の17坪
風が通る
人が集まる場所にしたいこと。
お店の名前を決めたことなどをお話しました。
父のこと
父は今年の3月に亡くなりました。
10年前に、ステージ4の胆管癌
余命3ヶ月と宣告されました。
具合が悪いからと病院に行ったきり、そのまま入院
高熱が続き、血圧も下がり夜中に呼び出されました。
お酒を浴びるほど飲んで暮らしていたけど、
建設業を営むには必要なお酒だったんだと思います。
当時67歳。
この病院にいたら、このまま終わってしまう。
ネットで調べたら、国立がん研究センターに胆管癌の専門医がいることがわかり、
一度先生に診てもらいたい!と、
ダメもとで電話をしてみました。
数か月待ちの方もいるぼどの病院。
セカンドオピニオンを聞きたいと、
状況を話してお願いしたところ
明日の診察に、
キャンセルが一人でたので、
その時間に来てもらえれば診てもらえると。
本人の承諾がないと、
他の病院での診察ができません。
父は、固く固く拒みました。
どうにかならないかと、
入院先の先生に相談しました。
通常は、紹介状や病状を書面でもらうためには数日かかってしまいます。
そんな中
その先生は、「ここにいても何の治療もできないと思うので、僕が準備します」と。
父を説得してくれ、準備が整いました。
すでに
奇跡は始まっていたんです。
その先生は
研究生で、明日でこの病院を離れるから、
できると。
翌日
外出許可をもらい、築地の病院に連れていけました。
がんセンターのにM先生が一言。
「大丈夫です。 がんでは死なせません。」と
入院しているドクターに電話をしてくれて、
転院することができました。
あの時の安堵感は忘れられません。
それから父は仕事をすることができるまでになり、
多額の会社の借金を返済することができました。
大好きなお酒を飲み続け
母と二人でドライブや温泉にと、
オープンカーを購入して、
毎週末のようにでかけていました。
たまには
遠くへの旅行も。
肺活量を鍛えたいと、
サックスもはじめ、ヤマハの音楽スクールに通ったり
孫を訪ねて北海道に行ったり
これまで働きつづけてきて休めなかった分を
取り返しているようでした。
しかし、その時間には期限がありました。
徐々に身体がだるくなり、再び受診。
ガンが再発
別の新たながんも見つかりました。
最後まで自宅で過ごしたいと、
父の意思を尊重し、
在宅ケアを選びました。
まさか、コロナウイルス感染症が広まると
思っていなかったので、
在宅介護を選んで本当によかったと思います。
最後まで、家族と一緒に過ごすことができました
父が他界して4カ月。
父が残してくれたものの
おおきさを日々感じています。
「一階を店舗に
二階を母の居住スペースに」
と言っていました。
父の言葉が実現に近づく話は
また、明日書き込みます。
長い文章を読んでくださり、
ありがとうございました。