父なるものと母なるもの~追悼 八巻秀先生②~
八巻先生の訃報から少し日が過ぎて、八巻先生のことはもちろんだけれど、もうひとりの先生のことも思い出す。
もうひとりの先生はY先生と呼ぼう。
私の中では固有名詞なしの「先生」という言葉で思い浮かべるのはY先生で、その他の先生は〇〇先生と名前が入ったり、違う呼び方だったりする。
Y先生を見送ってから今年はちょうど17回忌なのだけれど、先生を見送ったのもやっぱり8月で、私も他の教え子もみんなさめざめと泣いていた。誰かが「夜道で明かりを失ったみたいだね」と言ったのを本当にそうだ思ったのをよく覚えている。
Y先生のことはそのうち、記事にしたいと思っていたけれど、書いてはいなかった。産業カウンセラー取得後の講座で知り合い、亡くなるまで10年弱お世話になったけれど、直接ほめられたのは2回だけ。カウンセリングで1回、エンカウンターグループで1回。不肖の弟子である。
ではたくさん叱られたかというとそうでもない。叱られさえしなかったというのが事実で、ただただひたすら私がいることを認めてくださった。いわばロジャースの受容を体現してくださったのだ。
技法がどうの、理論がどうのという教わり方をしたことは全然ない。他の仲間は先生の陪席をしたり、話を聴いたりもあったようだが、私はある意味何もなく、ただいつも受け入れてくださり、そしてカウンセラーとしての私を世に送り出してくださった。
私はただ一度ほめられたその回のカウンセリングを身体と心に刻んで、人の話を聴いている。
Y先生は私にとってカウンセリングをする上での母なのだと思う。
産み出し、認め、送り出してくださった、母そのものである。
一方、八巻先生は私にとって全く違う存在で、一言でいうなら「新しい世界を開く人」であった。
概念や思想を含んだ上での理論を踏まえ、それまでの視点と全く違うものを見せてくれた。
そして新しい世界に踏み出す中で、疑問や不安が生じたときには、きちんと根拠をもって説明をしたり、意見を述べてくれる頼りになる存在で、時には厳しい意見もあるが、勇気づけてくださる人だった。
八巻先生がいることで、実際に頼らないとしても、安心して先に進める、頼りになる存在であり、いわば臨床上の父なのだと思う。
母に続き、父もなくしてしまったのが今回なのだ。
順番でいけば致し方ないとはいえ、父も母もそれぞれに大きな存在であり、喪失感は計り知れない。
唯一の救いは前回も書いたけれど、それぞれに仲間を残してくれたことである。なんとか手を取り合って、生き延びていかねばならない。
そして、それぞれの想いをつなぎ、できるかどうかはわからないけれど、いつか私が誰かの父母のようになれるよう努めていくのが、自分にできる恩返しなのかと思う。
改めて二人の恩師に心からの感謝と哀悼の意を捧げたい。
合掌。