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久しぶりの場所で②~松涛美術館~
すこし時間が経ってしまったけれど、7月半ばの金曜日、夜間開館を狙って、ものすごく久しぶりに松濤美術館に行ってきた。
ここは庭園美術館と並んで、美術館としての造りが大のお気に入りなのだけれど、いかんせん、渋谷の雑踏を抜けないといけないというハードルが高く、いったい何年ぶりかわからないぐらい久しぶりだった。
前回こちら方面に来たのは、過去記事にも書いたBunkamuraの最後の展示の時なので、今回、東急本店がなくなって景色が変わっているのにびっくりした。
Bunkamuraができる前はあまり、こちらまで来ていないから予定、それがなくなった景色は衝撃的といっていい感じだった。
周辺のお店もなんだかラーメン屋さんが増えている感じで、見慣れたものとは違っている気がするけれど、美術館に近づくにつれて、松濤らしいお店が増えて、ちょっとほっとしたりもした。
さて、展示は「111年目の中原淳一」
この夏は昭和レトロの展示が多くて、楽しみなのだけれど、その一つである。
中原淳一の絵は何度も見ているのだけれど、夢二のたおやかさより、きりっとしたモダーンな感じと華やかさが私を引き付ける。
昭和のくすんだ生活の中に、彼がもたらしたいろどりは本当に明るくて、華やかで、あこがれという言葉がふさわしい。
しかも絵だけではなく、衣類や小物、家具なども含め、実際に作れるようになっている上に、時代を感じさせるつぎはぎやアップリケなども多用されていて、それぞれが自分にあわせて手が届くようになっている。
イラストの切れ長の瞳で細い腰の女性や少女たちの華やかさと、現実の不思議な融合が中原淳一の魅力だと思う。
夢二や高畠華宵も美しいけれど、中原淳一は全く別の存在なのだ。
そんな唯一無二の存在だけあって、昔はいろんな付録に厚紙を切り抜いてつくる着せ替え人形がついていたのだけれど、中原淳一のコピーのようなものも多かった気がする。
そんな懐かしい思い出とセットになっているのが私にとっての中原淳一なのだ。
ネットの情報だといつもより混んでいるとなっていたが、中に入ると、建物を解説しながら案内してもらえる美術館ツアーの入場者以外はちらほらという言葉がぴったりの感じで、美術館ツアーと重ならなければ、静かにゆっくり、展示を楽しむことができた。
そして、中に入るとすっかり忘れていた美術館自体の造りも思い出す。
ああ、これこれという感じ。
中央が吹き抜けになって、中庭があり、渡り廊下でつながっているのだけれど、今はその廊下は渡れないようだった。
展示会場は2階と地下。
エレベーターを使ってしまうけれど、ほんとうはらせんの階段もすごく好きなので、見にだけわざわざ行ってみた(笑)
会場それぞれの入り口近くには等身大のイラストの女性が二体ずつ。窓越しの中庭の噴水を背景に立っている。
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この日は夜というか夕暮れだったけれど、昼の明るい陽射しで見るとまた違った印象になるだろう。
途中で展示替えがあるとのことなので、もう一度昼の陽ざしの中の彼女たちに会いに来ようかと思っている。
たくさんのイラストの中でお気にいりはもちろんあるのだけれど、その時々の気分で、目を惹くイラストは変わったりする。
今回も展示の内容的に分量もあるのもあるけれど、少女というより、大人の女性のイラストが目についたりするのは、自分が年をとったのもあるかもしれない。
でも、だからこそ、少女のイラストに目が行くこともある。
何度見ても飽きない。
それが私の中原淳一なのだ。