クリエイターをなめてんじゃねーぞ!地域のため=やって当たり前じゃない!
忘れもしない、
小2の図工の時間に画用紙をちぎり、版画を作ると言う授業があった。
ダイナミックに作ろうね!と言う先生の言葉通りに、ゾウさんに乗る子供の版画を紙をちぎって作ったのだが、
版画を刷る板のサイズからはみ出してしまった。
それを、先生は、はみ出しているところはちぎろうと、私に了解も得ずにちぎってしまった。
その時の、信じられない、ショックだと言う感覚は今でも鮮明に覚えている。
そのはみ出し具合も私の意図したものだったし、勝手にちぎるということで、私の美を無視して、先生の美を押し付けられている気持ちになった。
自分のこれだ!と思う作品を勝手にいじくりまわされて、壊された気持ちになった。
(ちなみに、この先生、とても優しくて子供たちにも人気のある良い先生だったので、この時以外は、めっちゃ好きでした)
今、私の周りにはたくさんのもの作りをする人たちがいる。
それは、私のようにミシンでつくるものだったり、様々な素材を繋げてアクセサリーにする人だったり、絵を描く人や、折り紙で表現する人もいるし、料理を作る人、
音楽を作る人もいれば、小説を書く人もいる。
街をつくる人だっている。
つい最近、地域の集まりの中で、
仲間の作った曲を巡って口論になる事があった。
私の怒りポイントは、地域のために作ってもらった、その曲に対しての扱い方、作者に対しての敬意のなさ、だったのだが、一体、この想いはその場にいた何人に伝わったであろうか。
(後から思うと、私の伝え方も未熟だったなぁ。)
集まり後、仲間の一人が、
「クリエイター脳を持つ人と、そうでない人が居ると思う。と、なると、作物を大切にしてほしいと言う考え方自体が、そもそも伝わらないのかもしれない。」
と言った。
その通りかもしれない。と思った。
もともと、視点が全く違うのだから、クロスすることなどないのかもしれない。
私は、ただ単純に、作品と作者を大切にしてほしいと思うだけなんだが、それすら伝わらない。
私たちは、地域の駒ではない。
やった事は、評価されるとまで言わないが、理解されるべきだと思うし、
やってもらったことには敬意を持って感謝するべきだと思う。
''地域のため'' =''やって当たり前''
に変換しないでほしいと思う。
''地域のため'' は、そこに関わる人、みんなが持ちつ持たれつ、理解しあって、ありがとうの気持ちで、win-winでいなければいけないと思う!
これは夢物語なのか、、、
私の作りたい地域とはなんなんだ。
子供たちに、ここが好き!と思ってもらえる場所。
そこに住む人が、この街に住んでいてよかった!と思える場所。
人と人がなんとなく支え合って、なんとなく楽しい暮らしを送る。
そんなことでいいんじゃないか。
それぞれの思う、町の形、暮らしの形には、きっと正解も不正解もない。
そうなると自分の芯をしっかり整えておかなきゃいけない。
まだまだ弱い。
そんな場を作るために、どうやっていけばいいのか、誰と組むのか、どこに視点を持って行くのか、また振り出しに戻って考える!
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