昭和は物を持つ時代、令和の新時代は空間を持つ時代!
毒親に育てられた夫と暮らす妻
幸せパンダです。
実家の片づけを頑張っている
私ですが、母は大きな棚を
のけた後の空間をすぐ物で
埋めようとします。
物が溢れた部屋を少しでも片づいた
ようにみせようと隅っこに固まって
いる物を分散して使いやすくしよう
と考えているのかわかりませんが、
空間が空いたら物を置かない
ともったいないやん!という
気持ちになるそうです。
お菓子の箱が空けば何かに
使えると残しておく、食品や
日用品のストックがないと
不安になる。
服をたくさん持っておしゃれを
楽しみたいからさまざまな
柄や色の服を持つ。
食器は毎日柄違いの食器が
使えるくらい持っているのに
結局気に入ったお皿を使っている
だけで他は埃まみれ、お店を開け
られるくらい物持ちです。
昔は冷蔵庫やテレビを買う事が
ステータスでした。
お客様が来た時に不揃いの
食器でお茶を出す事は失礼!
スリッパを必ず出しておもてなし
する!
お茶請けをださなければ
恥をかく!
お客様なんてほとんどこないのに。
服は雨が降り続いたら乾きが
悪いから多めに持っておく!
下着はないと困るから替えを
何枚も用意しておく!
本は図書館で借りるなどは
せず本屋さんに行って気に入った
書籍は即買い!
あげればきりがないけれど
昔の人ですからそれでいけたの
かもしれませんが、母も年を
とり時代も進みました。
令和の新時代に突入しました。
時代が変われば変わっていかな
ければいけないこともでてきます。
そんな変化に対応できずに実家
は今、過去最高に散らかっています。
母にむかってゴミ屋敷とは
言えないけれど、はっきりいって
いるものは10%くらいしかない
です。
母は苦しんでいる様子はありません
が、部屋は人の心を映すとよく
いったものです。
このあれようは母の心に影を
落としています。
影を落としているから部屋が
荒れているのかもしれません。
これまで何度も父が家の中
を変えたり、私も独身の頃に
実家の家具の配置を変え模様
替えをしたりしましたが、
その頃は断捨離の仕方を知らな
かったので、改革にはなりません
でした。
現状を変えるには改革が必要です。
それも大きくひっくり返すくらい
の勢いがいります。
題名の通り昭和は物を所有すること
が幸せとされてきた時代ではない
でしょうか?
周りと足並みを揃えて、社員に
なることが当たり前、男は車を
持つべき、結婚することが
幸せ、結婚したらこどもを授かる
のが使命!
そんな昭和は昭和でよかったと
思います。
でも今は令和です。
周りに流されることなく自分の
夢を持ち、自分が自分を愛し
本当の自分を大切にしてく
時代です。
新しい時代はすでにはじまって
います。
年だからついていけないとか
今まではこうしてきたから
これからもこうしていくと
変化を嫌っていては生きにくい
世界になってきました。
物を持つことは幸せと感じて
いた時代もありました。
でも物は感情が移ります。
家の中の幸せに蓋をして
しまいます。
物があると便利です。
忙しい時間の中で助けて
くれることもあります。
でもその物に時間を奪われる
こともあります。
自分の時間や自分の価値観が
物を所有することでなくなったり
見失うものが多いのです。
自分が物が何もない、壁が白く
窓だけがある部屋にいると想像
してください。
窓から景色をみてもいいし、寝転がって
もいいしただ深呼吸して自分の今の
気持ちと向き合ってください。
どんな気持ちになりましたか?
昔の頃を思い出してもいいし、最近
家族とどんな話をしたかとか
これから自分はどうしたいのか
自分に問いかけてもいいし、鼓動
が早いのか遅いのか感じてもいいです。
もしごちゃごちゃした部屋で同じこと
をしても、何もない部屋で感じた
ことはごちゃごちゃした部屋では
感じられないと思います。
視覚に物が入るとどうしても人間は
影響されてしまうのです。
自分の本当の気持ちと向き合いに
くいのです。
集中力がなくなったり、色彩に
影響されたり、無意識に感情が
それてしまいます。
部屋の中がごちゃごちゃしている
ので母の言動と行動がぐちゃぐちゃ
です。
おまけに固定概念が強くて頑固
で、自分の都合の悪いことから
は逃げています。
もう年なので仕方がありません
が、100歳まで生きると本人が
言っているので、100歳の人から
みると70代の母は若いと思い
ます。
そんな若い母はまだまだ今の
うちに体力をつけて今まで
つけてしまった習慣や考えの
荷物を降ろさなくてはいけない
時がきたと思います。
100歳になるとたいして動けない
と思います。
それまでに自分が勝手に背負い
こんでいる荷物を降ろして
身軽にしておかないと周りの
人が困るのです。
人は1人では生きていけません。
若い時はいけるかもしれません
が、年をとるとどうしても
誰かに頼らざる負えないのです。
死んだあとだって誰かに手伝って
もらわなければ周りの人に迷惑
がかかるのですから!
だから私は1人でやっていけると
意地をはっていないで、できない
から助けてと謙虚な気持ちで
誰かに助けを求めて、手助けして
くれた人には感謝をして自分で
できないことはどんどん周りに
頼めばいいのです。
自分でしようと努力する気持ち
をなくしてはいけないけれど、
自分ではどうにもできないこと
は誰かに頼ればいいと思います。
傲慢な態度ややって当たり前と
いった言葉をなげかけるのは
あかんけど、これができない
からやってくれへん?といって
くれればいいのにとこの片づけ
をしだしてから思うことが
たくさんあります。
察してほしいと待っていても
誰も助けてくれません。
家族だろうと気づけないこと
はたくさんあります。
高齢者の人は電球を変えたり、
高いところにある物をとれな
かったり、重い荷物が運べなかった
り、以前はできていたことが
いつの間にかできなくなって
自分にショックを受けている
のか言い出せずにいます。
もしあなたのご両親やご高齢の
親せきの方がいるのなら、家
のことで困っていることは
ない?と声をかけてあげて
ください。
忙しくてそんな暇はないと
思ったあなたは一杯一杯
になっている自分の生活を
見直したほうがいいのかも
しれません。
私は両親が年をとるという
ことがどういうことか考えた
こともありませんでした。
両親の衰えを目の当たりにして
ショックをうけていました。
あんなに頼りになったあの後ろ姿
は丸くなり、歩き方もおじいちゃん
おばあちゃんだし、自分の両親が
年をとるはずがないと思って
いたのかもしれません。
こんなこともできなくなっている
の?幼児と同じやんと思うこと
もあるのに口だけは達者です。
これから両親の体の衰えをどうして
サポートしていったらいいのだろう
という不安、衰えるって怖いと
思ったし自分は両親を迷惑とは
思っていないけれど、自分
が年をとった時にこどもには
迷惑をかけられないなと
思いました。
人はすぐには変わりません。
だけど意識だけでも変えて
いくことで未来が違って
きます。
10年前の私は自分を大切に
していませんでした。
4年前の私はこのまま時の
流れに身を任せていれば
生きていけると思って
いました。
でも流されていては自分の
幸せを見失うと考えを改め
ました。
立ち止まってジタバタして
何もしたくなくなって
考えることをやめたことも
ありました。
それでも支えてくれる家族が
いて、友人がいて私の周り
には私の事を心配してくれる
人がいて周りの人に支えても
らいながら生きていたのだと
改めてわかると感謝の気持ちで
いっぱいになり泣きました。
1人だと思っていたのは勘違い
で、自分だけが頑張っている
と思いあがっていたのです。
だからこれからは私をこの世
に生んでくれた両親をはじめ
私のことを支えてくれた人に
少しでも恩返しができるように
頑張ります!
今は肩に力が入ってしまって
いるけれど、はじめは誰でも
そんなものです。
これからどう生きていくか
私もずっと問い続けています。
きっともっとシンプルでいいの
だと思いますが、人生の折り返し
地点にきて明日からの新しい人生
も楽しく笑顔で生きていきます。
笑顔をとりもどす旅はまだまだ
続きます
あなたの今日から人生を何色に
染めたいですか?