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家族のような、家族

今まで出会った中で素敵なファミリーが一組だけいた。

それは子供の習い事で出会った女の子の家族。彼女はお父さんが二人いた。お世話好きなお父さんと、仕事が大好きなお父さん。笑。二人とも素敵な人で、娘ちゃんのことを大事に大事に楽しく育てているのが第三者からでもわかった。「娘にはね、恐竜の卵から生まれたんだよって教えてるんだよね」って笑いながら、写真を見せてくれた。どこかの博物館で、恐竜の卵の中に入って撮った写真。それを見て怪訝な顔をする彼女。いわゆるお年頃。

この子のおばあちゃんは最近中国人の彼氏ができて、最近殆ど中華料理しか作ってくれないのって。おばあちゃんは気さくで、面白くて、世話好き。初対面で、話の流れで、手首が痛くて、という話をしたら、ぐちゃぐちゃの鞄の中を探りながら、痛み止めのクリームの銘柄を教えてくれた。いつもは鞄に入っているから、試して欲しかったのに、とぶつぶつ言いながら。

この家族はとにかく、みんな、笑っていた。色々あると思うけれど、笑って生きるということを選択している家族だった。血がつながっているのは、世話好きのお父さんと、この気さくなおばあちゃんだけ。

でも、家族なのだ。

この国に来て、私は家族という概念を覆された。よくも、悪くも。

産んでいない子供を育てているお母さんたちにも沢山出会った。喧嘩もするし、大事に育てている。素敵な人たちが多すぎるので、反対に、この方が子供って幸せなんじゃないか、とすら思う。

反対に、お母さんが出ていった。両親が犯罪にかかわり刑務所にいる。お酒の飲みすぎで、入院中。薬物の過剰摂取で死亡。お父さんの彼女にいじめられている・・・・。血のつながる親子の話だ。

もちろん、世間一般でいう、「普通の家庭」の人もいる。その人たちが人口の過半数を占めているのだと思う。しかし大なり小なり、「?」と思うことがあったりする。そこまでするなら離婚すればいいのに、と思うこと。

家族って、親って、という形がなくてもいいんじゃないか、と思う。その形にはまろうとすればはまろうとするほど、自分の首を絞めていくような気がする。もちろん、イマドキのタレントさんではないけど、子育てや夫婦間の話をブログにあげて、収入を得ている人たちに影響されて、自分も、彼らと同じように、と思う若い人たち、特に女性はそれなりにいるのではないか、と思う。時々思うのだ。ブログがなかったら、彼らの結婚は、子育てはここまでたどり着くことができただろうか、と。

うまくいく、って双方の努力の上に存在しているものだと思う。一人で、頑張れるものではなく(結婚生活は)。それができないこともあるし、そういう両親を持てない子も沢山いる。

今日は子供の日だ(日本は日付が変わってしまった!)。私は子供たちに思い出して欲しいことがある。誰にも読まれない自信はあるけれど。苦笑。でもここに残しておこうと思う。

毒親とか、友達の家の両親のような家庭で育たなくとも、自分の「家族のような人」というのは見つけることができる。

いわゆるご近所さんにいたおばあちゃんとか、会社にいるお姉ちゃんのような先輩とか。そう、疑似家族って存在するのだ。私もそういう人たちに助けてもらい、人生のノウハウを教えてもらった。

先に書いた日記ではないけれど、「座って泣くか」「それとも踊り続けるか」そう。毒親が嫌いなら、家を出る準備をするといい。でも、いつか、その親を思うことのできる日が来ると思う。それは「家族のような人たちの愛情」に触れた時。どんなにひどい親でも、その親に会いたいというのだ、と虐待の子供の支援をしている昔の友人が言っていた。それはきっと温かさを知って、人を思うことのできる余裕が出てきたからだ、と。

私も両親が大好きというよりも、母は結構ずけずけ言うタイプ。父は酒のみで殆ど家にいなかった。

でも、私はこの二人を尊敬している。母に会いたくてしょうがない。今は言われたら言い返す。笑。あなたも口が達者になったもんだね、と言われたら「あなたの子供なんでね」と言い返す。すかさず。そして笑う。それが血のつながりであり、時間を親子として過ごしてきた歴史なんだと思う。

大人になった今も、私は、家族のような人を求めている。私にはお姉ちゃん(のような人)、母(のような人)、父(のような人)がいる。と同時に、私も、誰かのそういう人でありたい、と思う。一人じゃないんだ、と思える人生はなかなかいいものだし、強くしてくれる。幸せと思わせてくれる。

人間は一人では生きていくことはできない。家族がいない、と思うのならば。探せばいい。一緒に住むことは無理だったとしても、困ったとき、辛いとき、家族の誰かのようなポジションで助けてくれる人を。そして自分も同じように、娘のように、親のように、同じようにサポートができれば素晴らしいことだ。

これからの家族は「いろんな形」があっていいと思う。こだわりを捨てて、自分の幸せな家族を見つけて欲しい。たとえそれがコミュニティーという名のもとであっても。

もしそれをとがめる人がいるのであれば、きっとその人は、あなたをうらやましがっていて、でもそれを認めたくない、悲しい人だ。幸せな人は、何かを押し付けることもマウントすることもしない。この定義は誰が何と言おうと、自分が信じていることで確実性のあるものだ。

一人でも多くの人が幸せな家族を見つけて欲しい。一人じゃない、というパワーを得て欲しい。人生がきっと楽しくなるはず。







#これからの家族のかたち

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