🎬「アリランラプソディ」
明けましておめでとうございます。
2025年の映画はじめは金聖雄(キム ソンウン)監督の「アリランラプソディ」でした。
タイトルからかなり惹かれるものがありますよね。
実はこの映画2023年に公開されたものなのですが、ずっと観たい観たいと思いながらもなかなか都合が合わず、ようやく念願叶って見ることができました。
この映画は、大阪・生野出身の在日2世である金監督が、神奈川県・川崎の在日1世のハルモニたちとの交流を通して、在日の過去と歴史に迫るドキュメンタリー映画です。
映画の冒頭には「この映画を海を渡ってきた全てのハルモニたち(「在日たち」だったかもしれません)に捧げる」といったメッセージが画面に映ります。
このひとことを見た瞬間に、私は優しい眼差しや暖かい手で私に精一杯の愛情を注いでくれた曽祖父母のことを想いました。
曽祖父母は1940年代に済州島から大阪の生野に渡ってきました。どんな背景があって、どんな想いで海を超えてきたのだろうか。無性に曽祖父母に会いたくなりました。
そんな自分の曽祖父母や祖父母、さらには済州島のハルマンのことも想いながら見たこの映画ですが、特に印象に残ったセリフや場面について語ってみたいと思います。
「夢라는 게 ないよ… 이제는…」
映画の冒頭で金監督がハルモニに問いかけます。
「ハルモニ、夢なんですか?夢!」
ハルモニはこう答えます。
「夢라는 게 ないよ… 이제는…」
(夢なんてないよ…もう…)
ハンボノ(日本語と韓国語が混ざった言葉)で「夢はない」と答えるハルモニ。
ハルモニの複雑な表情と予想外の回答。映画の始まりとしては、かなりインパクトのある場面でした。
「生きていていいことなんて何ひとつなかった」
90年近い人生を歩んできたハルモニ。
それは苦労と悲しみの連続でした。
今を生きる私には想像できないほどの。
私の祖母も幼少期のことを多くは語ろうとしませんが、それはまさに言葉にはできないほどの苦労を重ねてきたからなのです。
ああ、なんて悲しく深い言葉なのだろうと感じました。
「北と南がそれぞれ独立して、自由に往来できるようになったらいい」
いわゆる帰国事業で家族を「北」に送ったハルモニの言葉です。
帰国事業(北送事業)についてはこちらの記事で詳しくお話ししています。
私はこの「互いに独立」という考えをしたことがなかったので、強く印象に残りました。
生まれた時から今までずっと休戦状態である朝鮮半島を見てきたので、私の中では現状維持(実質的な独立)か、あるいは平和的解決か武力行使による統一の実現かの2択しか考えたことがありませんでした。
もしも南北を往来できる日が来るとすれば、それは南北が統一された時だけだと思い込んでいました。
それは祖国の分断に強く抵抗した私の曽祖父母や、済州島の悲しい歴史*を知っていたからかもしれません。
*太平洋戦争の終戦後、済州島では祖国の分断を進めてしまう「南」の単独選挙の実施に反対した住民たちを「アカ」と呼び、無差別虐殺を行った「済州4.3事件」という悲しい事件が起こりました。
私自身も帰国事業によって送られた、顔も名前も知らない親族が今も(消息は不明ですが)北朝鮮にいます。
私が生きているうちに何かしらの形で南北が自由に往来できる日はくるのでしょうか。
一言に「在日」と言ってもその背景は複雑で十人十色
私はこの映画を初めて知った時に、果たして同じ「在日1世」とは言っても、私のよく知る生野のハルモニ、ハラボジたちと川崎のハルモニ、ハラボジたちはどこが同じでどこが違うのだろうと思いました。
なぜ、ある人は生野に流れつき、ある人は川崎に流れついたのか。生野での在日の暮らしと、川崎での在日の暮らしはどのように違うのか。
でもこの映画を見て分かったのは、人によってその背景や歴史はバラバラであり、日本のどこに住んでいるのかはさほど重要ではないということです。
とあるハルモニは戦時中に日本に渡ってきた後、終戦後に朝鮮半島に戻りますが、そこでまた戦争(朝鮮戦争)が勃発し、2度の戦争を経験することになります。
とあるハルモニは朝鮮半島から一度は生野に渡ってきますが、その後紆余曲折あり川崎に定住することになります。
戦時中を長崎で過ごした後、最終的に今川崎に住んでいるというハルモニもいます。
この映画には出てきませんが、在日の中には済州4.3事件から逃れてきたという人もいます。
また、戦後の朝鮮半島での苦しい生活に耐えることができず、日本に渡ってきたというハルモニもいます。
在日1世たちが海を超えて日本に渡ってきた理由や事情は十人十色であり、それぞれがそれぞれの場所で苦労し、生き抜いてきたのです。
ヘイトスピーチに居ても立っても居られなくなったと出てきたハルモニたちの勇姿
この映画には、川崎で行われた在日コリアンに対するヘイトスピーチデモの様子が登場します。
上映開始前にも、本作にヘイトスピーチが登場することは注意事項として挙げられていました。
私はどんな汚い罵倒が出てくるのだろう、覚悟しなければと思って映画を見始めたわけですが、そこに出てきたのはそんなヘイトスピーチに対抗する在日コリアンたちと日本人を含めたアライたちの勇姿でした。涙なしに見ることはできませんでした。
ヘイトスピーチの列に向かって涙を流しながら「出ていけ!ここは私たちの街だ!」と叫ぶ女性(ふれあい館の方だったと思う)の姿は強く胸を打たれるものがありました。
さらに、続いてその女性が目から大粒の涙を流しながら言います。
「●●さん!来たの?来てくれたの?よう来てくれた…」
ヘイトスピーチに居ても立っても居られなくなったハルモニがやってきたのです。
そこにはお孫さんの姿も一緒にありました。
こうした勇気ある方々のおかげで、この日のヘイトスピーチデモは短時間で中止になったそうです。
ヘイトスピーチに対抗する、それも自分がヘイトの対象となっているものに対して。これは、どれほど恐ろしくて辛くて勇気が必要なことか、想像するだけでも足がすくんでしまいます。
差別はダメだとは思っていても、実際にこうして行動できる人は数少ないと思います。私だってここで記事を書くことくらいしかできていません。
でも、このハルモニたちの姿に大きく感銘を受けました。沈黙していてはいけないのだと改めて強く思わされました。
沖縄でのハルモニとおばあたちの交流
作中で、コロナ前にふれあい館のハルモニたちが旅行で沖縄に行く場面が登場します。
そこで、ハルモニたちは現地のおばあたちと交流し、お互いに涙を流しながらそれぞれの戦争体験について語り合います。
朝鮮半島と沖縄でそれぞれ言葉にできないほどの辛い経験をしてきたハルモニとおばあたち。最後には朝鮮半島の音楽と沖縄の音楽に身体を委ねてみんなで一緒に踊ります。
その様子はまさに「音楽は国境を越える」という言葉の通りで、グッと来るものがありました。
また、私が小さい頃に生野のお祭りに連れていってくれた祖母の姿が思い出されました。
ぐんぐんと前に出ていって、人目も気にせず朝鮮の音楽に心のゆくまま踊っていた祖母が小さい頃は少し恥ずかしかったのですが、今や私も音楽がなれば勝手に身体が動いてしまうような人になっていて、血は争えないのかもしれないなと思うなどしました。
上映後には金聖雄監督のご挨拶もありました。
この日は上映時間が夜遅くだったため、ハルモニたちは直接来場することができなくて、代わりにビデオメッセージを送ってくださったのですが、「ぜひ次は生ハルモニに会いに来てください」とおっしゃっていました。(生春巻きみたいな表現に、会場は爆笑でした)
やはり大阪の人だからか、ユーモアも交えながらこの映画の裏話を色々と語ってくださり、短い時間ではありましたがとても楽しく有意義な時間となりました。
こうして、今年の映画はじめも在日関連の映画を見たわけですが、色々と興味を持って文学や映像作品に触れてみたり、周りの在日の人に話を聞いたりしていても、毎回毎回新しく知ることがあります。
「在日」という存在のその複雑さを毎回思い知らされるわけです。
今年もたくさんの作品に触れて、私なりに「在日」について知っていきたいと思います。