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冒険 担当:寺橋佳央

 リュックサックを背負い、口元をキュッと結び、彼方を見上げる主人公。そんな冒険への一歩を踏み出すシーンを見ると、これから良いことが起こりそうってワクワクする。冒険っていいな。そうだ、今日は冒険っぽい旅に出よう。目指すは海! 逗子海岸へ! 
 私はいつも使っているリュックサックを背負い、玄関の扉を開けた。

 なぜ逗子なのか。それは逗子が湘南新宿ラインの終着駅だからだ。平日に見上げる駅の電光掲示板。そこで輝くオレンジ色の終着駅は、何故あんなに魅力的なのだろう。雑踏の中でいつも、行ったことのない逗子の海に思いを馳せていた。
 休日の駅のホーム、頭上には電光掲示板。いつも見ていた表示が今日は目的地になる。私を乗せた列車は終着駅へ向かって走り出した。

 到着した逗子駅はこぢんまりとした駅舎だった。風情があって良い雰囲気。改札口を出ると、小さなロータリーに背の低いビルが並ぶ風景が広がっていた。昔懐かしい駅前の雰囲気だ。こんな風景に出会えるなんて、思いもしなかった。嬉しくって、にんまりしてしまう。さあ、海へ向かうぞ。
 駅から広がる商店街には、小さなビルと小さな建物が並ぶ。まるでジオラマの中を歩いているようだ。しばらく進むと、だんだん潮の香りがしてきた。私は鼻をクンクン鳴らして、足を速める。もうすぐ、もうすぐ。坂を下り、高架下をくぐると、目の前に海が広がった。

「海だーーーーーー! 」

 心の中で歓喜の声を上げる。海からの風が全身を撫でて迎え入れてくれた。

 逗子海岸は、小さな海水浴場だった。首を左右に振れば、海水浴場の端と端が見える。今は泳ぐ季節ではないが、やや人は多め。砂浜には散歩をしたり、砂遊びをしたり、くつろいだりする人々がそこかしこにいた。 
 私は波打ち際から濡れない程度に離れた所に、持参した折り畳み椅子を置く。この位置が海の最前列。ここで寄せては返す波を見ていると頭の中が真っ白になり、とても気持ちがいいのだ。波が寄せて…返して…寄せて…。

「いや、犬多いなっ! 」
 私の前や後ろを散歩する犬が、一体何匹通っただろう。ここは犬にとっても格好の散歩コースであるらしい。一人の世界に浸りたいのに……。
「そこ良いね、特等席だね! 」
急にかけられた見知らぬ男性の声にはっとする。私は自分のしたい事ばかりを優先させようとして、自分で自分の居心地を悪くしていたと気がついた。ここは私も犬も、みんなが思い思いに過ごせる海岸。足元ではずっと、波が砂浜に穏やかな曲線を描いていた。

 波を見つめていると、2時間ぐらいすぐに過ぎてしまう。もっといたいけど、日が傾いてきた。そろそろ帰らねばならない。いや、もう少しいても。いやいや、もう帰らないと。名残惜しくて、なかなか踏ん切りがつかない。
そうだ、帰りの列車で食べるおやつを買おう。楽しみを思いつき、心に区切りをつけて立ち上がる。絶対にまた来よう、そう思いながら椅子をしまった。

 帰りの列車はちょっと奮発して、グリーン車にした。湘南新宿ラインのグリーン車は二階建てになっていて、座席は新幹線のように並んでいる。グリーン車の階段を駆け上がると、車内にはまだ誰もいなかった。窓際の席についてテーブルを出し、コンビニで買った、ありあけの「ハーバー」を置く。「ハーバー」は神奈川に来たら、必ず食べたくなるお菓子。白い袋に青い船のイラストが、かわいらしい。旅気分を味わいたいから、列車が走り出してから食べよう。さっきまで帰りたくなかったのに、もう出発が待ち遠しい。

 ほんの少し先の未来に胸を高鳴らせ、列車は終着駅から出発した。


 2023年7月から始まった、しりとり手帖ですが、一旦ここで終了になります。これまで読んでいただいた皆さん、参加していただいたゲストの皆さん、本当にありがとうございます。

 そして、しりとり手帖に綴られた35ものストーリーは、1冊のZineになります。只今、12月1日 東京ビッグサイトで行われる「文学フリマ東京」での販売を目指し、制作中です。
マガジンは終了になりますが、Zine版のしりとり手帖も楽しみにしていただけると、とても嬉しいです。
詳細は決まり次第、このnoteでお知らせしていきます。

どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

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