過去の失敗が恥ずかしいのは成長の証
先日、Xにてタイトルのような投稿を目にした。
シンプルだけれど、完結で完璧なその言葉に元気付けられた。
あの時そういえば…から、過去を振り返ると、きゃー!ともぎゃーーー!!ともつかない声をあげて、頭を抱えてジタバタしたくなるような恥ずかしい過去まで思い出すことがある。
なんであんなことした(言った)というような、簡単に言うと中2っぽい愛すべき私の過去達。
その過去も、既に30歳過ぎてたりする時のものもある。
まずいな…
そんな反省をしてから、ここ数年は大人しくなってしまった(私比)。
文字通り、ゆっくりだけれど、大人になってきたのだと思う。年齢的にも当たり前である。
が。
大人しくしている日々が続くと、私の中の本来のやんちゃな、エネルギッシュな私が疼いてくる。
中2っぽくなることを恐れて(全国の我が家の息子含む中2の皆さんごめんなさい、若さやエネルギッシュさをあらわす比喩であり、本来は良い意味!)、冒険しないのってなんてつまらないんだろうという感情。
そういう(懲りない)性格だから、怪我が多かったに違いない。
けれど、失敗しても、前向きに、わくわくしながら生きることの方が私にとっては大切なようだ。
そんな訳で、今もまた、沢山傷ついたはずなのに、新しい挑戦を始めた。
沢山の怪我を経験したぶん、怪我しないように、過去よりは確実な道を進んでいる(気がする)。
かすり傷は作るかもしれない。それは…味わいにしていきたい(出来ればかすり傷もなしがいい)。
けれど、その怪我を経て、死ぬまで成長していくしかない。
具体的に、簡単に言うと、日本の素敵なものを煮詰めて(?)、いずれは世界に広げられるようなモノづくりに挑戦している。
いつも近くにいてくれる、信頼の塊のような、自立したパートナーのHさんと、Hさんが大好きだというKさんと私、という3人のガールズパワーで(中2マインドだからガールズと言わせて)。
今まで大体1人で企画実行まですることが多かったのだけど、3人でなら、私に足りない見識をプラスしてもらいながらなら、怪我がもっと少なくなるはず!(そもそも苦手なことを他者に託すことを決めた時点で成長してる?!)
3人よれば?
3本の矢?
とにかく。
傷だらけだった過去達が報われるよう、もう少しだけ走りたいと思えた2024年の幕開けだった。
と言いつつ、きっと死ぬまで走るんだろうな。汗
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