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ザ・キュアーを好きだという話



はじめに

 今年と去年が最悪だったせいで、自暴自棄な生活を送っていた。飲酒量は嵩み、ストレスと不安を感じない日は無かった。そのせいか、ずっと好きだったバンド(ここで紹介したものも含めて)の音楽を聴くたびに、情緒がおかしくなっていた。こうして、今まで大好きで、心のよすがにしていたものを、無意味で無価値なものとして葬らざるをえなかった......。

 それが、ザ・キュアーに恋をしている。

 ザ・キュアーは、1978年にロバート・スミス(ヴォーカル/ギター)を中心にイギリスで結成されたバンドで、ゴシック色とポップネスを追求した音楽性を武器にして、メンバーチェンジを繰り返しつつも不動の地位を築き上げた。現在、最後のアルバムとされる新作のリリースを控えている。その他のメンバーには、サイモン・ギャラップ(ベース)や、ロジャー・オドネル(キーボード)たちが有名だ。個人的には、このバンドほどカルト・ヒーローダーク・ヒーローといった言葉が似合うものはいないと思う。


 私がリアルタイムで聞いたのは、ロス・ロビンソンがプロデュースしたセルフ・タイトルだった。その時は、困惑した。大してヘヴィでもメタルでもなかったし、ロスが手掛けたどのバンドにも似ていなかった。ただ、生々しく骨ばったリズム隊と怨念じみた響きのヴォーカルが印象的だった。デフトーンズキマイラコンヴァージのカヴァー曲も聞いてはいたが、あまり覚えていなかった。ただ、KoЯnとのアコースティック共演は、メロウなピアノが気に入った。その頃は、スクリームやツーバスやダウンチューニングを多用するバンドのほうが好きだった。あと、ターンテーブルとラップも。

 17年後。

 ザ・キュアーを好きだと自覚したのは、チャーチズを聞いたり、「イフ・オンリー・トゥナイト・ウィー・クッド・スリープ」の歌詞を自分で訳した頃だった。死への強烈な憧憬と耽美的なイメージが脳天を撃ち抜き、そこから過去のカタログを買い始めた。購入したアルバムを、ここに列記する。 

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ポルノグラフィー」(82年)
ザ・ヘッド・オン・ザ・ドアー」(85年)
キスミー・キスミー・キスミー」(87年)
ディスインテグレーション」(89年)
ウイッシュ」(92年)
ブラッドフラワーズ」(00年)
ザ・キュアー」(04年)
4:13ドリーム」(08年)
Anniversary: 1978 - 2018 Live In Hyde Park London」(19年)

 これから書くのは、上記のアルバムに対する大雑把な感想になる。全部をまとめて聴くより、先に「グレイテスト・ヒッツ」(01年)を聞いたほうが良いだろう。簡単に書くと、すべてが非常に美しく物哀しい音だ。それも、ちゃんと美しいものとその儚さを心得ている人が奏でているものだ。ロバートの声には、狂おしいほどの切なさと不安が滲んでいる。つたなく、迷い震えながら生きている人が発する声。それは、子供のようなイノセントさで、ネガティヴな感情をも容赦なく叩きつけて来る。しかし、歌われるメロディは、光り輝いている。人々の心の中で、消えずに残ってゆく光のように。

 そして、妖しさと艶めかしさを振りまく声。そう、魔術的なあの声が、嘘のない言葉とメロディを本物にしてゆく。ロバート・スミスだけの、あの声が。あまりにも個性的で、浮遊感とメランコリアをたっぷりと含んだ声。それに、色とりどりのシンセサイザーも、キラキラのエフェクトも、バキバキと硬く骨ばったベースの音も、飾りじゃない。目に映るものを。耳に聞こえるものを。すべてを、愛おしく特別なものに輝かせてくれる。悲しみで窒息しそうな日だって、最高のカーニヴァルに変えて見せる。それだけの力を持つもの、ここまでの幻想を、世界を示せるものが、どれほどあることか。

 ひとりの人間が、40年も「僕たちが死んだって誰も気にしない」「僕の自分がどこにも見つからない」と切実に嘆いたり、「金曜日、僕は君に恋してる」「君を強く抱きしめて、絶対に離さないから」とラブソングを歌い続けていけるのも、誰だって躁と鬱の狭間を揺れながらでも生きていいという証明で、そこに希望や救いを見る。「ジャスト・ライク・ヘヴン」では、ビーチー・ヘッド(イギリスの有名な自殺スポット)での心中未遂をロマンチックに歌い上げてみせる。その姿は、どんな希死念慮も音楽に昇華できる証のようで、逞しさを感じる。この曲がきっかけで、ロバートが学生時代のガールフレンドと結婚に至ったエピソードは、あまりにも出来過ぎている。

 ほとんどの曲は、耳に馴染みやすい。アコースティックにアレンジされると、メロディの強さがよくわかる。だが、必ずどこかに薄暗さと湿り気が滲み出ている。そこに、私たちの中のペシミズムやメランコリアを刺激され、何とも言えない胸の痛みに襲われる。さらに、ゆったりとした広がりや優しさ、悟ったような空しさがあり、甘いメロディやときめきもある。仮に、ジョイ・ディヴィジョンイアン・カーティスみたいに自殺することが最善のオプションだとしても、思いとどまらせるだけの明るさと無邪気さもある。かつて、「自由になるにはぴったりの日が来た。橋もボートも退屈な日々も燃やしてしまおう。幸せになるんだ!」と歌ったように。もっとも、ロバート自身は、イアン・カーティスの死を受けて、『クローサー』(80年)のような傑作を作るためには自殺するしかないのかと葛藤していた。

 とはいえ、ロバートは「どうせいつか死ぬのだから、急いで自殺する必要なんか無い」と決意し、その後もマイペースに歩み続けている。このエピソードには、何とも言えない人間らしさを感じる。私も、そうありたい。消えることのない希死念慮や虚無感と付き合いつつ、それでもなお、表現を止めようとしない。「これでもう、ザ・キュアーは終わりだ」と嘯きながら、強力なラインナップで活動を続けてゆく。それが老いや空しい抵抗に見えるとしても、それでもいい。その姿勢を、ずっと好きでいたい。彼らのハッピーな曲も、ダークな曲も、どっちも味わいながら生きていきたい。

 これから予定されている新作は、少なくとも3つある。ひとつめは、「とてもヘヴィで陰鬱で真っ暗くて落ち込みそうな17曲のうち、7~8曲」で、「これまででもっとも強烈で、悲しみに溢れて、もっともドラマチックで、エモーショナルなアルバム」「十年を数時間の曲に凝縮させたもの」になるようだ。家族との別れや月への憧れが投影されたダークな内容になると聞く。最後の曲は、「ひどく破滅的で憂鬱な十分間」ともされている。ふたつめは、まったく正反対の「アップビートなもの」で、みっつめはロバート・スミスのソロアルバムで、ノイズ音楽になる。ひとつめについては、すでにレコーディングは済んでおり、ミキシングを行っているそうだ。来年、22ヵ国を廻るツアーを行い、67分間の新作をリリースする情報もある。

おわりに


 ザ・キュアーの新作。来日公演。生きていく理由は、こんなものでいい。

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ザ・キュアー


 補足。新作タイトルは「Songs Of A Lost World」で、9月に発売されるだろう。「一枚目の新作は、救いようがないぐらい重苦しくて鬱々としている。これまでにないぐらい。二枚目はアップビートで、ソロアルバムは2023年以降になるよ」全部で10曲ずつ収録されていて、完成間近だという。

それから

 やっと、ザ・キュアーの新作「Songs Of A Lost World」が、24年11月1日に発売される。そして、「Alone」のリリックビデオも公開された。

 アルバムは全8曲。
 予想されているタイトルを挙げておく。

    ・Alone
    ・I Can Never Say Goodbye
    ・And Nothing Is Forever
    ・A Fragile Thing
    ・Endsong

 楽しみに待とう。

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