ザ・キュアー「ポルノグラフィー」
今回は、ザ・キュアー「ポルノグラフィー」(82年)を紹介します。これは、彼らの4枚目のアルバムで、もっとも異色な重く暗い内容です。
個人的には、ザ・キュアーのディスコグラフィの中でいちばん大好きなアルバムです。もし、誰かにアルバムを薦めるとしたら、「ウイッシュ」(92年)や「グレイテスト・ヒッツ」(01年)を選びますが、これがいちばん大好きです。自分の葬式には、必ずかけてほしいアルバムです。
制作時のメンバーは、ロバート・スミス(ヴォーカル/ギター)、サイモン・ギャラップ(ベース)、ローレンス・トールハースト(ドラム)の三人です。プロデューサーを務めたのは、フィル・ソーナリーです。
カラフルなアートワークは、毒々しくも妖艶な世界観を伝えています。メンバーの不気味な風貌は、「顔のない眼」(60年)や「ハロウィン」(79年)などの映画を連想させて、救いのなさと禍々しい内容を暗示しています。
ポルノグラフィーを一言で表すなら、8曲43分の暗黒世界でしょう。
One Hundred Years(1)
A Short Term Effect(2)
The Hanging Garden(3)
Siamese Twins(4)
The Figurehead(5)
A Strange Day(6)
Cold(7)
Pornography(8)
ヴォーカルは、世の中を呪うように歌います。冷たい声色の中に、甘い色気が滲んでいます。歌詞は、怒りと強迫観念を混乱気味に綴っていて、解釈を拒んでいます。個人的には、(1)の「俺たちが死んだって、みんなどうだっていい」という厭世的な一節が大好きです。ロバートのキャッチーでシアトリカルな歌い回しは、その後のキャリアの躍進を予感させています。
ギターは、金属的な軋みを立てながら浮遊して、悪夢を作ります。例えば、(2)の殺伐とした情景や(8)の終末像は、寒気が走るほどの恐怖を与えます。ドラムとベースは骨太ですが、寒々しく冷たい響きもあります。
(1)のドラムは、Dr. リズムのリズムマシンを全面使用しています。冷徹な鼓動は、インダストリアルにも通じています。また、(3)のタムの乱打は、おどろおどろしくて呪術的です。ドラムの音が立体的なのは、スタジオの仕切りを外して、広々とした空間を作って叩いた効果です。
もともと、クラフトワークを手掛けたコニー・プランクをプロデューサーに起用する案もあって、ドラムの音を重視していたことが伺えます。さらには、チェロやBBCのテレビ番組からのサンプリングが不気味さを裏打ちしています。最初から最後まで、人をとことん気落ちさせるアルバムです。
ただ、暗黒的な表現を貫き通すことが、人生を肯定するあがきとして映ります。(8)の末尾では、「特効薬を見つけ出して、この病気に立ち向かわなきゃいけない」と歌っているのですから。逆説的ですが、励まされます。
当時、ザ・キュアーは崩壊寸前で、メンバーは数々の心労と死別と疲労に伴う凄まじい緊張とストレスに晒されていました。レコーディングを支えたのは、大量のアルコールとドラッグとおぞましいポルノ映画でした。ただ、フィルによれば、ロバート以外は普通に過ごしていたそうですが……。
ポルノグラフィーの作風に影響を与えたものとしては、ザ・サイケデリック・ファーズ、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、ニコ、ブライアン・イーノ、ジミ・ヘンドリックス、フランク・シナトラ、エリック・サティ、そしてジョイ・ディヴィジョンが挙げられます。付け加えると、バンシーズは、レコーディング中のスタジオを訪問していました。ロバートも、バンシーズに導かれてポルノグラフィーを制作したと語っています。
ザ・キュアーとバンシーズの関係は深く、ロバートが正式なギタリストとして加入した時期もあります。また、バンシーズは、「サイコ」(60年)や「オーメン」(76年)などのホラー映画の緊張感を取り入れています。これらが、ポルノグラフィーの恐怖表現を触発したのかもしれません。ロバートは、バズコックスのメロディとバンシーズのウォール・オブ・ノイズを融合した音楽を作ろうと燃えていたので、学んだ成果なのでは……と思います。
余談になりますが、(3)の歌詞に影響を受けたジェームズ・オバーのコミック「The Crow」が、「クロウ 飛翔伝説」(94年)として映画化されました。その際に、ザ・キュアーによって、テーマ曲「バーン」が書き下ろされました。この曲は、ポルノグラフィーの重厚さを発展させつつ、エモーショナルなメロディとトライバル・ビートを取り入れた名曲です。
わたしは、90年代以降のヘヴィロックやメタルに、ポルノグラフィーが大きな影響を与えたと考えています。これは言い過ぎだとしても、叫んだり激しいだけのバンドは寿命が短い……ぐらいの示唆にはなったでしょう。
例えば、デフトーンズのチノ・モレノ(ヴォーカル)は、ポルノグラフィーのピクチャー・ディスクをわざわざ購入しています。これは、2022年のレコードストア・デイで発売されたもので、マイルス・ショーウェル(エンジニア)によるハーフスピード・マスタリングが施されていて、ロバートも監修に携わっています。また、チノは過去にこういった発言を残しています。
「これは僕が好きなザ・キュアーのアルバムで、僕がやってきたことに対して激しい影響を与えてきたんだ。15歳だった頃、僕はお祖母ちゃんと暮らしていた。それである日、これを聞きながら座って、すべての曲の歌詞を書きとめていったんだ。めちゃくちゃ気に入っていたんだよ!」
「僕はこれを聞いて、歌詞の書き方について学んだ。カセットを持っていたけど、歌詞が付いていなかった。それで、曲を聞いては巻き戻して、こんな歌詞だと思うけど.......って書きとめていったんだ。ザ・キュアーの音楽は、抽象的なものなんだ。そこには、幻想的な世界が広がっていたよ。「ホワイト・ポニー」(00年)のレコーディングを始めた時、僕は空想に耽り出した。自由になった気分だったね。自分の日頃の行いや思いをわざわざ歌詞にしなくたって、もっと多様な形の表現が出来るようになったから」
チノは、2011年にRevolver誌の「メタルヘッズたちに薦めるメタルじゃないアルバム5選」で、ポルノグラフィーを挙げました。また、システム・オブ・ア・ダウンのサージ・タンキアン(ヴォーカル)は、ゴスやポストパンクから受けた影響について、以下のように語っています。
「メタルとパンクの後は、ゴスにも夢中だった。ザ・バースデイ・パーティも、ジョイ・ディヴィジョンも、キリング・ジョークも大好きだった。シスターズ・オブ・マーシーの「マリアン」(85年)も好きだった。ザ・キュアーの大ファンにもなったよ。ポルノグラフィーは最高のアルバムだけど、通して聴くにはつらいこともある。時間と場所をはっきり選ぶからね」
サージと言えば、ジェロ・ビアフラやマイク・パットンからの影響で知られているので、驚きました。そして、ア・パーフェクト・サークルのビリー・ハワーデル(ギター/ヴォーカル)も、こんな発言を残しています。
「ザ・キュアーのポルノグラフィーにも影響を受けたよ。これが発表された頃は、気味の悪いレコードだった。今でこそ、こういった不気味な音楽は、アイスクリーム・トラックみたいに魅力的なもので溢れているよね。だけど、80年代の始まりには、こんなレコードを聞ける機会が少なかった。ザ・キュアーは、誰もやっていなかったことに挑戦して、見事にやってみせたんだ。これは、今までに聴いた中で、すごく怖いアルバムのひとつだよ」
音楽プロデューサーのロス・ロビンソンについても、少しだけ触れておきましょう。彼が「ザ・キュアー」(04年)を制作するにあたっては、70年代の作品やポルノグラフィーが理想でした。しかし、ヘヴィロックやメタルの礎だった彼をしても、いまひとつの完成度だったのです。これは、6年後に彼がプロデュースした別のバンドのアルバムでも、まったく同じことでした。
ヘヴィロックやメタルの中には、独特の美しさと激しさを探求するバンドが数多くいます。その中でも、デフトーンズは、幻想的な美しさとブルータリティを30年近く磨き続けているトップランナーのひとつです。彼らのルーツのひとつがポルノグラフィーだと知って、闇の奥に踏み込む思いでした。
現在のわたしは、ポストパンク群の初期作品(70年代後半~80年代初頭)を聴き集めています。様々な作品に触れるたびに、あの狂おしく不吉な表現と捨て鉢な衝動が、焦燥感を帯びた刺々しい音像が、聞き手の内面に潜り込んで闇を抉ろうとする言葉が、わたしの生きていく糧と力になっています。
ポストパンクが誕生した背景には、英国のサッチャー政権下での階級社会と長期的な失業と貧困への絶望と憎悪と反骨精神がありました。これは2023年の日本と変わらない景色で、ポストパンクの普遍性を感じます。既存のものに風穴を開けようとする表現は、恐怖と絶望の特効薬だからです。
ポルノグラフィーを聴いていると、死んだように生きていても大丈夫と安心します。人生への漠然とした恐怖と不安に襲われるたびに、あの暗黒世界を想います。俺たちが死んだって、みんなどうだっていい。そう思うことで生きていける人が、心の支えにしていける人が、ここにいます。
生活が明るくなります!