夏の始まりと、夏の終わり
前回の記事から、また長い時間が過ぎてしまいました。
スポッと、夏の記憶が抜け落ちてしまっている森のキノコです。
森の中では私の仲間たちが、今シーズンを迎えています。
夏が始まった6月の終わりに近づいた頃、娘は長かったいわゆる「義務教育」をバグパイプの音色とともに終えました。
そして夏が本格的に始まり、私は我が家の猫の介護が日に日に「レベルアップ」で時間に追われ、そして夏の終わりに、彼は虹の橋の向こうに渡っていった。
あっけなく。
16歳。
私たちと過ごした時間は11年。
そして彼の去った日、娘は大学生活をスタートした。
石田ゆり子さん風に言えば、
「彼は猫タクシーに乗っていった」のだ。
うちの一代目の11年前に虹の橋を渡った猫の運転で。
これらのことは、後々改めて書こうと思う。
さて。私は夏が大の苦手。夏生まれ、なのに。
暑さと湿気が昔から天敵で、本来は「縮毛」由来による「夏嫌い」だったのが、年齢を重ねて、体にかなりの負担が来るようになったというのが理由。
とはいえ、ここは北国なので、8月の半ばくらいは既に涼しい風が吹いてきて、鈴虫が鳴き始めているのです。
この声が聞こえてくると、思い出す言葉。
「暑かったけどヨォ、短かったよナァ、夏」
大分昔に上映された「稲村ジェーン」の映画の中で主人公がつぶやいた言葉。
当時は結構不評だったような気がするけれど、私のお気に入りに入れたい一つの映画です。
映像が美しいし、映像が昭和。
大好きです。
この言葉に、秋の涼しさとともに来る少しの寂しさが、心の奥をキュンとさせます。
またいつか機会があったら、いや映画を見つけたら、見たい映画です。
娘の卒業、猫の虹の橋への旅立ち、そして秋。
「お母さん」の心は空っぽになりました。
秋風がぴゅーっと、家と心のなかに吹き込んでいます。
あんなに、娘の成長が待ち遠しかったのに、あんなに、介護で疲れていたのに、あんなに暑い夏に文句をブーブー言っていたのに、
「お母さん」は埴輪のような顔で、リビングをうろうろしています。
意味もなく「あれ、何を取りに来たんだっけ」を繰り返し。
でも、人生は続きます。
「暑かったけど、短かった夏」の次には、秋が来ます。
私の人生も、まさに中秋です。
泣いてもいられない。
滞っていた就活と終活。
これらを再開しながら、娘の新しい人生のスタートを少しだけサポートしつつ、彼女の青春話を聞きながら、「自分のこれから」を考えて、また歩き出そうと思います。1歩ずつ、1歩ずつ。
ベイビーステップで。