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自分一人の力では変わらない

今日は、コンサルデー。
私がコンサルを受ける側の日。

その中で印象深い話が。
「○○くんと、○○くんと、僕って、同じような時期に、起業塾に入っているんだけど、結果、違うところに立っているんだよね」と、コンサルさんの話。

「ほう~!それはなぜ?」と、私。
「僕は、途中で、『あ、自分一人じゃダメだ!交流会に行っては、助けてくださいとか、インスタコラボさせてください』とお願いして、あとは、自分よりも上の視座を持つ人に引っ張り上げてもらったんだよね」と。

では、残りの2人は?
「○○くんは、全部自分でやらなきゃ」という感じで、誰かを頼ることなく自力でコツコツ頑張ってる。

ふむふむ。では、もう1人は?
「○○くんは、まだまだ、覚悟も決まってないだろうな~。可愛がってもらえることに価値を置いている感じ。自分頑張ってるよね!褒めて!という感じかな」

なるほど。

結局、コンサルさんは、
「自分一人では無理!」と諦めたところから、快進撃というか、お金もそうだし、人に絡んでいって、成果を上げて・・を繰り返してきて、今がある。

「つっちーさんのお客さんも同じだと思うんですよ」
「あ~、自分では無理!」
「では、私が手伝いますよ、とつっちーさんが言うことで、その人の夢が叶う。その人の夢が叶うだけじゃない、自分以外の大切な人の夢を応援する側の人でも良いよね」

なるほどな~~。
「だから、今じゃないんです。自分には○○がないんです、という方は、放流で良いと思うんですよ」
毎回、養殖に例えますよね(笑)

と、こんな会話をしてました。

もちろん、他にもたくさんお話してますが、
今回、コンサルを受けて感じたことは、
【自分一人で変わるのは、難しい】というか、【自分一人の力では、変わらない】ということでした。

特に同時期にスタートしたとなると、それも、全員、副業状態からで、コンサルさんは、独立、残り二人はまだ、同じか、スタート時よりちょっと良いかぐらいか。。

別に、「人は人」でも、良いんですが、それでも、
【いかに、早く次のステージに行くか】という、目的がある時には、やはり、この違いは氣になるもの。

なぜ、【自分一人の力では、変わらない】のか?深ぼってみたいと思います。


◆自己変容の前に必要なこと

【自分が変わっていく】ことを、カウンセリング領域では、【自己変容】と言います。

そして、自己変容の前に大事なのが、【自己受容】なんですね。
自分は、自分でOK。
あるいは、先ほどのコンサルさんのように、「あぁ、自分には無理だ!」という諦め。
これは、悪い意味ではなく、いい意味での自己受容でもあるんですね。
自分のことを自分でわかったからこそ、「ああ、自分には無理」と素直なサインが出せる訳です。

でも、この自己受容って、自分一人で体得するには、最初は難しいのです。

というのも、まずは、他者から【受容してもらう】という体験を経て
「あ、受容してもらうと、こんなに安心できるんだ。ホッとできるんだ」という感覚が必要だからです。

これが、他者受容というか、他者から承認をもらうということですね。

でも、ここで、厄介なのが、他者受容とか、他者承認が氣持ち良くて、それをずーっと求めてしまう人も中にはいます。
それをいわゆる【依存】と言います。

つまり・・・
「誰かが、私を認めてくれるから頑張れる」
「誰かが、私を褒めてくれるから頑張れる」
となり、逆に、
「誰も、私を褒めてくれない、認めてくれない」となると、途端に、感情が不安定になる。

常に、「他者が」「他者が」となっている状態です。
言い換えると「他人軸」「他責」という表現ですね。

これが、悪いと言っているのではないです。
ただ、この状態に【ずっと】いるのは、おススメしません。

心理学に、「発達心理学」という学問があり、母親の胎内にいるころから、死に至るまで、人はどのような過程を通じて成長するのか?老化するのか?
そんな学問があります。

生まれたてのあかちゃんが、突然立ち上がって、連立方程式を解くことがないように、
〇歳ぐらいのころには、このような成長が、
〇歳ぐらいのころには、このような成長があります。
と、学ぶんですね。

よく、育児で「魔の2歳児」とか、言うじゃないですか?
イヤイヤ期とか。
でも、全て成長過程に必要だから起こることなんですね。

それと、同じで、自己変容の前には、自己受容。
自己受容の前には、他者受容・他者承認。
でも、他者受容とか、他者承認を、いつまでも続けると、それこそ、「魔の2歳児」状態な訳で、健全な心身の成長過程ではないですよね?

ただ、それを言いたいだけです。
卒乳が、1歳で終わる子もいれば、昔なら6歳ぐらいまで、乳離れができない子がいたという話もあります(昭和の中頃ね)
でも、いずれは、皆、自然と卒乳するでしょう?

でも、心の世界では、なかなか体のようには、同様にはいかないようです。

若くても、老人のように悟りきった人もいれば、
老人になっても、子どもがそのまま大きくなっただけ、の人もいます。

身体的成長と、社会的立場と、精神的成熟度は、案外比例しにくいのかもしれません。
コンサルさんも基本、コーチなので、人の精神の成熟度に関しては、ものすごく観察してますし、2人で答え合わせをしながら進めていってます。

もちろん、他者承認・他者受容を受ける前に、親からきちんと愛情を受けきれなかった等、トラウマ体験などもあるかもしれません。
そういう体験も鑑みながら、自己変容を望んでいても、その前の段階が満たされてないと、難しいことがあるよね、という話でした。

あなたは、どの段階にいると感じましたか?

◆人は、人と関わって初めて成長する

変な喩えですが、
私の母も精神世界が好きな人だったので、
「山にこもって孤独に修行している修行僧よりも、里中で生活している一般人の方が、よっぽど精神修養になるのよ」という話を良くしてくれました。

つまり、山にこもって、千日修行しているようなお坊さんよりも、里山で人と触れ合って、普段の人間関係で悩み苦しみ、生きている私たちの方がよっぽど、精神が鍛えられる、ということなんです。

面白いですよね。

でも、これ、ブッダも似たようなことを言っていて、私自身、仏教を極めている訳でもなく、「単に家のお墓が、何とか宗だから」レベルではありますが、手塚治虫のブッダや、ブッダの話の概論をまとめたような本を読むと、

ブッダ自身も、自分の身体を傷つける修行を、途中までやっていたけれど、
「こんなことをしていても悟りは拓かれない!」となり、
人と対話をし、自然と対話をすることで、悟りを得る体験をしたとのことです。
自分の身体を傷つける修行とは、いわゆる剣山の上に座るとか、首から下を地面に埋めるとか、そういうヤバい修行もしたそうです。

ちょっと、ブッダの話を喩えに出したのは、的外れかもしれませんが、
「人は人で磨かれる」というのは、あなたも、聞いたことがあるのではないでしょうか?

金属で一番硬いと言われるダイヤモンドは、【ダイヤモンドで磨かれる】と言われるそうです。

そして、あの輝きを放つそうです。

仮に自分一人で無人島などで生活するとしたら、どんな感じでしょうか?
ハキハキとして、元氣に生活するイメージでしょうか?
のんびりすることはできても、ハツラツさは、出ないのではないでしょうか?

人と触れ合うことで、交流することで、喜びとなり、エネルギーとなり、ハツラツとしていくと思うのです。

引きこもりの何が問題って、そのハツラツさが無くなっていくことなんじゃないかな?とも、思います。
もちろん、身体が悲鳴を上げてる、心が悲鳴を上げてる状態でのお休み、引きこもり休養は大事だと思います。

でも、一定期間過ぎて、あれ?まだいるの?と思うようになったら、それは、逆に人と触れ合うこと・成長を拒否している、拒絶反応を疑ってみるといいでしょう。

とはいえ、引きこもりの世界のことは、私も詳しくはありませんし、いろんな家族模様もあるでしょうから、概要での憶測でしかありません。

勉強も自習でする勉強よりも、先生がいて、皆でする勉強の方が頭に入るのも、同様です。
それが、家庭教師などの個別だと、なおさら、自分の個性、学習成熟度を見てもらえるから、余計成長しやすくなります。

人は、肉体としては20代を境目に徐々に老化に向かっていくとは言いますが、知性、精神性は、死ぬまで向上できると思ってます。

つまり、「いくつになっても、成長の機会はある」という風に思っているんですね。

もちろん、仕事ができる期間とか、社会活動ができる期間というのは、ただの命が生存する期間よりは短いとは思います。
それでも、たまにSNSで、80歳、90歳、100歳越えても、飲食の現場に立っておられるおじいちゃんおばあちゃんの映像も上がってきますし、人間の可能性って、果てしないんだなって思うんです。

あなたは、誰かと触れ合って、成長したな!と感じる瞬間がありますか?

◆自分で自分を認めないといけない訳は?

人って、自分の弱さを認めるのって、一番しんどいと思うんですよね。
私は、去年、緊急入院の際に、それを痛感しました。
というのも、病院があまり好きでもなく、というか、そもそも
「こんな程度で救急車呼んでもいいの?どうなの?」というのが、在りまして・・・

母の時も、結局、母が亡くなった時にしか、救急車を呼んでないので
(あれは、あれでびっくりしましたが)
救急車を安易に呼んで良いものという、感覚がなかったんですね。

ただ、どの友人に言っても、
「病院行ってきたら?」と言われ、でも、そのために外出する氣力もないし、タクシーを呼んでまでもなぁ・・と思ってました。
そこに、私と同じように東京から静岡に移住した友人が、
「車を出してあげるよ。一緒についてって上げるよ」と助け船を出してくれて。

で、連れてってもらった、結果。
「即、救急車に乗って、大きな病院に行ってください!」と医者に言われ、
「はいっ!?」
という状態で、救急車に乗ったのが、事の顛末でした。

つまり、私が友人に、
「すいません、お願いします」と頭を下げることができたからこそ、救われたというか。。

自分の良い状態を認めることは、自信にもなるし、
自分の弱い状態を認めることは、人からの支援を得るきっかけにもなる

だから、いずれの状態を認めても、結局は、良いことなんですよね。

でも、私たちは、心のどこかで、
「こんなんで、人に甘えちゃいけない。自分で頑張らなきゃ。どうにかしなきゃ」って、やっちゃってるんです。

そこを、どれだけ手放せるか?なんですよね。

まだまだ、私自身は、頑張ってしまうところはありますが、それでも去年の出来事は、本当に、自分で自分を大切にするということは?ということを考えさせられました。

甘えることって大事だよね。
助けてって、言えるって大事だよね、って。

それまで、私は、「助けて」と言わないことが自慢のようなところがありました。
でも、少しずつ、甘えても良いんだ、助けてって言っても良いんだ、って、自分で自分にあの時のことを思い返しながら、
「無理してないかな?頑張っちゃってないかな?」と振り返るようにしています。

それが、自分で自分を認めるってことなのかな?と、今では思うんです。

あなたは、「もう無理!」とか「助けて」と言えてますか?

夢を叶えるっていうことは、ある意味、今ある世界を変えていくこと、でもあるんです。
そのためには、コンサルさんや、私のように、
「もう無理」「ごめんなさい、助けてください」と、できるかどうか。

もうね、強がらなくて良いんです
今回、一番伝えたいことは、これです。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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※文中、常用漢字の「気」を「氣」と表現していますが、
「氣」は、氣が広がる、エネルギーを増幅の意味で、
「気」は、気が締まる、エネルギーが閉塞する意味合いだと認識しています。そのため「氣」の漢字を多用しています。
あなたの【氣】が広がっていきますように。。

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つっちー/土坂有加 (心理学出身の傾聴もできる夢かなコーチ)
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