マリアの警告

 真中はあわてて解説文に目をやった。
「水戸徳川家所蔵品。江戸時代末期に藩内で収められたものと思われ、携帯用の祭壇と共に倉から発見された」
 あのチャチなメダルに、こんな歴史的な事実が秘められていたとは。彼はただ茫然と立ちすくんでいた。その場からようやく逃げ出すと、廊下の喫煙コーナーへ直行し、心を落ち着かせようと立て続けにタバコを吸った。
「あなた大丈夫? 顔が引きつっているわよ」夫の異変を察して駆け寄った妻が声をかけた。
「だい……じょうぶ…だ」
足が震え、全身に寒気を覚えた。もういちど見る勇気はなかった。真中はただただ動転し、なにかに追われるように、ひたすら帰ることだけを考えていた。
 東京に戻ると、体調はすぐに回復した。元来が好奇心の強い性格である。真中はがぜん名古屋の徳川博物館で見たメダルに興味が湧き、徳川博物館に電話を入れて、その由来を尋ねた。
「あのメダルは当館の所有物ではありません。水戸博物館から今回の催しのため借りたものです。詳しいことはそちらで聞いてください」
水戸の徳川博物館に電話をかけなおした。
「一八〇〇年代の後半、明治時代になって、徳川家の倉を調査した際にたまたま発見されたものです。ですので、いつどこで誰からという詳しいいきさつはわかっておりません。おそらくは携帯用の祭壇があったことから、隠れキリシタンの宣教師を捕らえたときに手に入れたものではないでしょうか。メダルの材質は銅板でマリア像や文字が彫られています」
「ぜひまた見たいのですが」
「残念ながら、あのメダルは常設で展示されているものではありません。今回は特別に名古屋の催しのために貸し出したもので、今のところ、次にいつ展示するのかは未定です」
 真中は悟った。あの日がメダルを目撃できる唯一の機会だったことを。再び、あのとき感じた寒気を覚えた。
 前日の豪雨がなければ、この地を訪れることはなかった。名古屋には数回来ているが、徳川博物館の周辺には他に見るべきものがなく、ついつい後回しになっていたのだ。今回も当初は行く予定がなかった。
 だが、そのためにはマツイが真中をだまして名古屋に連れ出し、さらには未曾有の豪雨に襲われなければならない。こんな偶然が重なるとは考えにくいが、偶然を認めないと今度は、シスターから贈られたあのメダルを彼に対面させるべく、何かの力が働いてあの場所に導いたことになってしまう。無神論者であり、超常現象を否定する彼には、どちらもありえない理屈に思えた。

 不思議な現象は名古屋だけでは終わらなかった。その翌月、真中はまたも合理的な説明のつかない出来事を体感したのである。
 真中は毎晩、夜遅くからワープロに向かい原稿を書きはじめる。翌日に、仕事で朝から出かけるときは、どうしても午後の昼寝が欠かせない。その日も午前中の仕事を終えて帰宅し、昼食を済ませると、いつものようにベッドに潜り込んだ。
 一時間ほどで目が覚めた。その瞬間である。突然、中年女性のしわがれ声が聞こえた。
「砂糖を二杯も入れていると、死ぬわよ」
 まったく聞き覚えのない、かなり年配らしい女性の声で、どちらかというと悪声に近い。もちろん、妻の声ではない。いったい誰の声なんだ。真中は飛び起き、急いであたりを見渡した。
 妻と二人暮しで、彼女が出かけているのだから、誰かがいるはずもなかった。念のためにと家中を探しまくり、まわりに誰もいないことを確かめた。それほど、あの声がはっきりと耳に残り、気味が悪くてたまらなかったのである。
 幻聴なのか。いや、違う。還暦をすぎた老作家とはいえ、今まで幻聴を聞いたことはない。ひょっとして聖母マリアなのか。いや、違う。彼女が日本語で語りかけるわけがない。第一、野卑で下品なしわがれ声は、とても聖母のものとは思えなかった。
 女性の警告が意味していることは、すぐにわかった。真中はかれこれ四十年くらい、自分で作ったカップ六、七杯のアイスコーヒーを毎日欠かさず飲んでいる。作り方はまずカップにスプーン二杯のインスタントコーヒーと、同じくたっぷり二杯の黒砂糖を入れる。ミネラルウオーターで溶き、氷をいくつも放り込んでよくかき混ぜる。夏でも冬でも、朝からこれを飲まないと体が動かないし、頭もはっきりしないのだ。ブラックや一杯分ではうまくないし、胃に負担がかかってダメなのだ。何度かは歯に悪いからと、砂糖抜きで試してみたが、とても飲めたものではなかった。
 老作家の生活に欠かせない習慣に対して、不気味なあの声はあきらかに「死ぬ」と警告していた。
 半信半疑のまま、台所でさっそく自前のアイスコーヒーを入れた。いつもとは違い、砂糖一杯にして。
「うまい」真中は自分の味覚を疑い、何度も飲みなおした。やはりおいしい。まずいはずなのになぜだ。
 数ヵ月後、体重が減ったことに気づいた。半年後には、身長一七〇センチで、七十キロを超えていた体重が六十三キロに落ちていた。その間、いかなるダイエットもしてはいない。からだを壊したわけでもなく、食欲も落ちてはいない。ごく自然のうちに、七キロもの減量に成功したのである。考えられる理由はただひとつ。コーヒーに入れる砂糖の量を半分にしたことだけだった。
 真中の身に思わぬことが起きた。四十歳ころに発病した「掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)」という奇病が治ったのである。
この奇病は手のひらと足の裏が赤くほてり、そこにブツブツと発疹ができる。やがてその部分の皮がベロリとむける。痛くもかゆくもないのだが、なにしろ、その症状が絶えず繰り返す。発病したてのころには、このまま皮膚がなくなってしまうのではと本気で心配したくらいだった。
 不安を取り除きたくて、何件もの病院をはしごしたが、原因不明で治療法も完全には確立されていなかった。二十年以上前の医学書には、治療法はないと書かれていたように記憶している。あるドイツ人医師が、歯に被せた金属かタバコが原因と指摘していたが、それとて説のひとつにすぎなかった。
確実な原因ではないのだからと理由をつけ、ついぞ禁煙はしていない。コーヒーを飲むより長くたばこを吸い続けている。だから死ぬまで治ることはないだろうと覚悟していた。
 掌蹠膿疱症は最悪の場合、死に至る病気だと真中が知ったのは、その数年後のことである。ある中年の女性タレントが、全身に激痛が走る原因不明の奇病に侵され、五十件以上もの病院を訪ね歩いても症状の改善はおろか病名すらわからない。インターネットを検索していると、偶然にも自分と同じ症状に悩む患者のホームページが見つかり、「掌蹠膿疱症性骨関節症」という病名にたどり着いた。
 彼女がようやく治療をしている病院を訪ねたところ、何とか激痛がおさまり、最悪の事態は避けられたという。医師からは死に至ることもある難病だと言われたらしい。回復したあとに、テレビで自身の体験について医療批判を交えながら赤裸々に語っていた。必ずしも掌蹠膿疱症が全身の激痛をともなう骨関節症を併発するものではないが、少なくともその可能性はあったのだ。
 その病気がアッという間に、しかも完璧に症状が消えてしまったのだ。医学界が解明できなかったこの病気の原因は、彼の場合に限って言えば、砂糖の過剰摂取にあった。診察した医師たちは、決まってタバコをやめろと言い、歯の金属を変えろと指摘した。しかし、コーヒーに入れる砂糖の量を気にした医師は誰ひとりとしていなかったのである。
 老作家はついに、あのシスターに手紙の返事を書いた。
 この世に偶然などない、必ず何か説明できる理由があるはずだと、真中は考えている。次々と我が身に起きた不思議な現象のきっかけは、お菓子のオマケ程度にしか見えないあのチャチなメダルである。だからどうしても彼女と会い、意見を聞く必要があったのだ。
「あなたはわたしに起きた現象について、どう思われますか。過去にもこのような体験をされたひとはいたのでしょうか。わたしは今これらの不思議な現象に戸惑いと混乱をきたしています。なんとか合理的な回答を得たいので、ぜひお会いして、メダイというものの詳しい由来やこれらの疑問にどうか答えてください」
 しばらくして、シスターからの返事が届いた。なんとか時間が取れるという。「ぜひに」とのニュアンスが感じられないのが少し気がかりだったが、真中はとにかく会って話すことだと腹をくくった。

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