残業なし奮戦記
味の素の働き方改革は、これから世界で戦う企業にとって参考になる点が多々あります。特徴は、改革を担ったキーマンたちがとてもユニークで魅力的な人たちであるという点ですね^ ^
会議と移動は時間泥棒 味の素の本気
残業なし奮戦記(1)
via こんな働き方がいいものか。八重洲口から徒歩10分ほどの大きなビルで、ある決意が固められていた。モーレツサラリーマンから脱却せよ。でなければ、会社の未来は危うい。
決意を固めたのは、味の素社長の西井孝明(59)。2020年度までに年間労働時間を1800時間に短縮する――と経営会議で決定した。政府が「働き方改革」の旗を揚げるより早く、2015年のことだった。
残業を前提とした日本の就労スタイルが、世界の中で、いかに特殊か。「欧米企業では、同じパフォーマンスを出しても長い時間働く社員は能力がないと見なされる。その上司も、マネジメント能力がないとマイナスに評価される。生産性に対する目が厳しいなかで雇用が成り立っているので、個人も時間管理がきちんとできている」。西井は実感した。グローバル企業と戦うには、日本式ではダメなのではないか。モーレツだった自分ではいけないのではないか。
世界トップ10を目指すには、経営を支える優秀な人材が必要だ。日本の本社の年間労働時間は約2000時間に上っていた。「長時間労働を前提とした働き方では、世界の優秀な人材は味の素グループで働いてくれない。来てくれたとしても、こんな効率の悪い働き方では長続きしない」。終業時刻にがらがらになるオフィスが、西井に迫った。社長としてのミッションは決まった。
そして見えてきた。"時間泥棒"のワースト2は、移動と会議(資料作成含む)。特に移動は全労働時間の25%も食っていた。営業企画部は「顧客に割く時間は減らさない」原則を示し、移動と会議の2つをターゲットにした。
地方支店では、営業車でなく公共交通機関で客回りするようにした。最寄り駅まで電車で移動し、駅でレンタカーを借りて顧客を回る。面倒なようだが、これで長時間運転の必要がなくなり、疲れにくくなる。電車やバスに乗っている間にメール確認や資料作成もできる。移動時間を無駄にしない一石二鳥の策だ。
東京支社外食第3グループの黒住希佳(35)は、07年の入社以来、営業一筋。朝6時半に出社して夜10時まで働く――そんな生活を続けてきた。今では年間労働時間は1700時間を切る。ほぼ残業ゼロだ。「働き方改革と聞いたとき、『できるはずがない』と正直、思った。得意先を回れなくなれば契約が取れない。競合相手に絶対負けたくなかった」と明かす。
だが、やってみたら意外にできた。直行直帰が可能になったことが大きい。
味の素の18年度末の社員1人当たり年間労働時間は1820時間。15年度末の同1976時間から約150時間短縮した。社員の4分の3が午後6時前に帰宅する。
年間1800時間の目標は2年前倒しでほぼ実現した。ただ西井には気がかりがある。「無駄を省け」「短い時間で働け」と組織改革を促し、社員には短く働く意識付けができた。それは評価できる。ただ、労働時間短縮が目的化してしまい、生産性高く働き成果をきちんと上げるという本来の目的が二の次になっている懸念だ。
アフター4で大学院 社員が手にした新世界
残業なし奮戦記(2)
via 「アフターファイブ」という慣用句に表れているように、一般的な会社の終業時刻は午後5時以降だ。味の素もかつて午後5時20分が終業だったが、2017年4月に4時30分に繰り上げた。どうしても終わらない仕事を片付けるために終業後も残る社員はいるが、6時を回ると本社オフィスは人影もまばら。「ノー残業」の意識が社員一人ひとりにすっかり根付いた。
「三交代制は土日や夜に家族と過ごせない」「転勤があると単身赴任になってしまう」。ベテラン社員らは、そう言いながらも仕事のためと割り切って残業や夜勤、休日出勤も受け入れていた。「まだうぶだったから、それが社会人の現実だと素直に理解できなかった。多少の残業も含めれば1日10時間、定年まで約40年以上も働き続ける。人生の大半を労働時間は占めるのに、幸せを感じないまま働くなんて、つらすぎると思いました」
「残業が減れば、ただでさえ残業代が減る。収入が下がってでも残業せずに早く帰りたいと心から思えなければ、社員の行動は変わらない。生活の変化を実感できるくらい、大胆に就業時間を見直さなければ効果は薄い」
そうだ。明るいうちに会社から解放すれば、変化がいや応なく目に見える。
だが制度設計の狙いを聞くうちに組合内の空気が変わった。明るいうちに会社を出れば、夜までの間に時間的な"世界"が新たに生まれる。誰にも縛られず何をしようと自由な時間、それは会社員の夢ではないか。
「早く帰りたくなる終業時刻」という発想は長時間労働に長年慣れた社員の意識をガラリと変える妙案に思えた。
そして、新しい生活が始まった。午後4時30分に退社した社員は趣味を始めたり、家族と夕食を毎晩食べたり、資格取得のために学校に通ったりした。何よりも混雑が始まる前に帰れるので通勤が楽だ。早帰りの効用を知ってしまえば、自然に残業を避けたくなる。古賀の思惑は的中した。
終業時間が午後4時半になると聞いたのは、そんなときだった。よし、大学院に通おう。今が自分の磨きどきだ。「大学院まで片道30分。午後4時30分に会社を出れば5時には到着する。自習室でじっくり予習・復習ができる」
2年間で30科目を受講した。授業では毎週のようにリポートなど課題も出た。仕上げるために午前3時まで机に向かった日もある。
「終わらなければ残業すればいい」。以前はそう思っていた。だが終業4時半を実現するには、意識を変えなくてはならなかった。
とはいえ午後4時半以降も、世間は動いている。どうしても終業するわけにいかない部署は、フレックスタイム制度を利用し、就業時間全体を後にずらして対応する。社員には1人1台スマホが支給されており、緊急時はもちろん対応しなくてはならない。
社外に迷惑をかけないよう、これまで以上に早い返答を心がけるなど工夫が必要で、社員にとって新たな負担も生んだ。社外との"時差"の問題は、試行錯誤が続いている。
減らした書類はビル3棟分 ムダな仕事消える
残業なし奮戦記(3)
パソコンで作った文章や資料が印刷され、目の前に置かれる。すると完璧に仕上げたい衝動に駆られ、自然に右手は赤ペンに伸びる。部下に確認を求められた上司は「てにをは」までこだわる。図表やグラフの見栄え、文字の大きさ、配置などこまごまと注文を出す。上司の修正指示に基づいて、部下は文書を作り直す。
「こんなやり取りが毎日、社内のあちこちで繰り返される。いったいどれだけ時間を浪費しているか」と、藤江は疑問を感じた。要点が伝われば完璧である必要はない。仕事はシンプルにすればするほど判断が早く下せ、効率が上がるはずだ。
17年6月に働き方改革担当を命じられた藤江は思った。「紙がある限り、IT基盤をどんなに整えても、どこでもオフィスは広がらない」。紙との決別には、もっと大胆な手が必要だった。
どうすれば、人間の手と目を紙からひきはがせるのか。
からめ手からいこう。藤江は18年度の重点活動に本社のフリーアドレス化を据えた。自席に机と引き出しがある。紙の置き場に困らない。だから紙がなくならない。自分の席がなくなれば、いや応なく紙を減らさざるを得なくなるはずだ。
事業構造の見直しを迫られるなか、上司に勧められたのが5S活動だ。Sは「整理・清掃・整頓・清潔・躾(しつけ)」の頭文字。当時の藤江が最も苦手とすることだった。これら5つのSを社員に徹底して求めて、組織改革と生産性向上を図るという。
毎週火曜と水曜の朝30分を「5Sタイム」とした。この間、社内に大音量でポップミュージックを流した。歌と踊りが大好きなフィリピン人が、楽しみながら5Sに自主的に取り組むようにとの演出だ。
最初は棚の色分けによる書類整理や文房具の置き場所徹底など小さな工夫が主だった。だが徐々に必要なものと不要なものを切り分けて削減する意識が社員に根付いた。使っていないIT資産の処分や社有車の削減、在庫減らしなどが始まった。気付けば30億円もあった借入金を1年半で返却し、売り上げも営業利益も改善していた。
無駄なものを減らせば、無駄な仕事がなくなり、無駄なコストを圧縮できて、業績が上向く――藤江の中に「無駄は極力省き、シンプルに」が刻まれた。
前例にとらわれず、決めたら忖度(そんたく)抜きで徹底できるのは外から来た者の強みだ。ペーパーレスとフリーアドレスの相乗効果を高めるために島本はさらなる荒療治を提案する。本社に約1100個あった書類キャビネットを、9割削減すると各部署に伝えた。自席の紙の置き場をなくすだけでなく、部署共有の置き場もギリギリまで削る。社内に衝撃が走った。
島本は、経営企画部のキャビネットを、しばらく注意深く観察した。誰も近づかない"開かずのキャビネット"がいくつもある。そのうち1つを開けてみた。中にあったのは30年前の経済予測報告書だった。別のキャビネットには、10~20年前の会議の配布資料が整然と収められていた。
歴史的資料ではある。しかし、いったい誰がいつ使うのか? 捨てても誰も困らないのではないか。
捨ててみた。予想通り、ほとんどが要らない資料だった。「キャビネットは減らせる」。島本は確信した。
「絶対に捨てられない」。そう言ってくる社員がいた。絶対に必要なものばかりだという。島本は、最後まで聞いてから言った。「本当に、本当に、それは誰かがみる資料ですか?」
試しにやってみましょう。島本が取り出したのは4色の付箋だ。PDF化できる資料。外部の倉庫に預けて保管する資料。本社にどうしてもなければならない資料。そして、実はいらない資料。
経営企画部のキャビネットを減らすために編み出した付箋分別法だ。減らせないと思っていた資料が、実はインターネット上に存在し手元になくても閲覧できるものだったり、外部倉庫に預けてまで保管しなくてもいいと思えたり――そして捨てられた。「捨てる」ことは、技術だった。
製造現場も在宅勤務 常識覆した工場長
残業なし奮戦記(4)
味の素の「どこでもオフィス」は、それまで利用制限が厳しかった在宅勤務を抜本的に見直した制度だ。個人用パソコンを持ち運びしやすい軽量型に全面刷新するなどIT環境整備に20億円を投資。職場にいなくとも自宅や外出先、サテライトオフィスなどあらゆる場所で好きなときに仕事ができるようにした。
「別世界の話だな」。工場では冷めた雰囲気がただよっていた。「製造ラインがあってこその工場勤務。現場を離れて在宅勤務なんてできるはずがない。自分たちには関係ないと思った」。新原もこう振り返る。
辻田は着任早々、言い出した。「オフィス勤めの事務職や営業社員、研究職しか在宅勤務ができないなんておかしくないか。同じ味の素の社員なんだから製造現場だって在宅勤務してもいいんだよな」。もちろん周囲は仰天した。現場をどう家に持って帰れというのか。
しかし、辻田の腹は決まっていた。できるはずがない、はずがない。「どうすれば在宅勤務ができるか、ちょっと考えてみろや」と、辻田の丸い目でまっすぐに見つめられると、各職場のリーダーは、もしかしたらやれるのでは……という気になってきた。
生産現場はローテ勤務なので担当時間内だけ働けばよいと思われがちだが、改善提案や報告書作成、引き継ぎなど残業も多い。川崎工場の14年度の1人当たり年間労働時間は1896時間だった。西井孝明社長が掲げた年間1800時間の目標は、工場も例外ではなく、目標達成には約100時間減らさなくてはならなかった。
辻田は、フェア(公平)じゃない状況が嫌いだ。赴任直後には工場内の係長以上60人に携帯電話を支給した。本支社や研究所の社員はすでに会社の携帯電話を持っていた。なのに工場の社員は仕事に必要な業務連絡も個人所有の携帯電話を使っていた。「なんで工場は対象外なんだ」。納得できなかった。
在宅勤務も同じだ。本社でやるなら工場だってやる。
大切なのは「フェアにやるぞ」とトップがはっきり示すことだ。辻田がこう学んだのは、2005年の上海だった。中国の上海味の素アミノ酸社で工場長を務めていた。
「僕はたまたま親が日本人だから日本人として生まれた。自分の意思で日本人を選んで生まれたわけではない」。一人一人の目を見つめ、必死に覚えた中国語で話し始めた。「皆さんもそうでしょう。中国人を選んで生まれたわけではない。自分が選んだのでもないのに、日本人だという理由だけで、なぜ僕らに石を投げようとするのか」
たどたどしい中国語が、完全に伝わったかどうか。けれど、全身で決意を示した。組織を預かるリーダーとして、日本人でも中国人でも公平に接していく。国籍は違えども、工場では同じ従業員なのだ、と。
辻田は振り返る。「話をした後、職場の緊張感は消えた。現地社員にマージャンや食事に誘われ、付き合いも深まった」。俺はフェアにやる、と、全員の顔をみて断言したことが、工場の緊張をほぐした。組織のトップが体当たりで決意を示せば、部下はついてくる。「あの日の上海で学んだ」
工場だって在宅勤務。無理とも思える指示を実現するため、辻田は部下に呼びかけた。「『できない』と決めつける前にどうすればできるか、その条件を考えてほしい」。3交代制の中で、誰がいつどんな業務を担っているか。一つ一つ洗い出してみた。…
ただ、それには「この人がいなければ」という仕事をなくさなければならない。工場勤務のベテランの勘と経験は、職人芸ともいえる。在宅勤務を広げるためには、職人芸に頼らずともラインが滞りなく動く必要がある。幅広い業務を全員が覚えなければいけない。膨大な作業の手順の標準化とマニュアル化を進めた。
「製造現場で週休3日制はできないものかね。誰もどこもやっていないから価値がある。在宅勤務もできるようになったんだから、誰か挑戦してみてほしいなぁ」。できるはずがない、はずがない。ことあるごとに各職場リーダーにささやきかけている。
早帰りの限界? 7時間労働撤回の真意
残業なし奮戦記(5)
「1日の所定労働を7時間に短縮する目標は取り下げる」。2019年春、味の素社長の西井孝明は、経営会議に決断を伝えた。
17年4月に所定労働時間を7時間15分に短縮したときから、次なる目標だと示していた。年間労働時間を1800時間に減らす目標を達成した後、続いて1750時間まで減らす方針だったが、これも取り消した。
時間をターゲットに改革を進めてきたが、ふと立ち止まって考えたくなった。働く時間を短くすれば、それでいいのか?
長く働いて一人前――昔ながらの職場の常識が覆されていく状況を対話で感じ、当初は満足していた。だがここ半年は、年間労働1800時間が強く伝わりすぎて、数値目標ありきになっている印象が強くなった。
1800時間を目標に掲げたとき、社内には「できっこない」という空気があった。でも何が無駄か、なくすにはどうすればよいか、それぞれの職場で一つ一つ課題を整理し、改善し、目標をほぼ達成した。社員1人の時間当たり売上高も15年度に比べ15%増えた。それは評価するものの、西井は思う。「無駄を省けばそれでよしではない。同じ1800時間でも、そのうち100時間くらいは、よりイノベーティブな、創造的な仕事に費やしてほしい」
社長として欲張りな注文だろうか。原点に戻ってほしい。なぜ労働時間を短くするのか。ただ早く帰すためではない。生産性を上げ、海外の食品事業の巨人と戦うためだ。
日本なのに英語? 確かに、本社で働く外国人材はまだ数えるほどだ。でも、これからはもっと増える。気は早いが、職場環境の国際化を一足先に始めた。社員食堂のメニューやエレベーター内の各階案内も英語併記に切り替えた。
高倉を味の素に引き入れたのは伊藤前社長だ。「世界食品企業でトップ10入り」の実現には、国内外を問わず、外国人材の力が必要。人事制度や働き方をグローバル標準に刷新する必要に迫られたものの、社内に適材がいない。外資系企業で人事部長を歴任していた高倉に「手伝ってほしい」と声を掛けた。
転職経験が豊富な高倉も、まさか日本企業の味の素から声が掛かるとは思っていなかった。ただ伊藤のグローバル戦略に心が動いた。
外国人材の受け入れは細心の注意を払う。現地採用の社員は味の素グループの仲間とはいえ、日本で暮らし、働いた経験はほぼ皆無。東京本社に慣れてもらうには英語に堪能な日本人社員がいる職場でないと困る。
単なる異文化交流ではない。成長や育成につながる中核業務を経験できないと、わざわざ日本に呼ぶ意味がない。一気に増やしたくても外国人材と日本の職場のマッチングが進まない。
食文化は収穫できる作物や気候、風土、宗教など国・地域によって千差万別。ドメスティックな色彩が濃い食品市場を獲得するには、事情をよく知る現地の人材に任せるべきだ。「海外戦略をどんなにきれいに計画しても、日本人だけでは国際競争で勝てない」。優秀な人材を発掘するため、高倉は世界中の「ノンジャパニーズ」社員に目を光らせる。
Charles Darwin (1809 – 1882) チャールズ・ダーウィン
It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent, but the one most responsive to change
(最も強いものが、あるいは最も知的なものが、生き残るわけではない
最も変化に対応できるものが生き残る)
A man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life
(1時間の浪費を何とも思わない人間は、人生の価値を見いだせていない)
If I had my life to live over again, I would have made a rule to read some poetry and listen to some music at least once every week
(もう一度人生を生きれるのなら、私は少なくとも週に一度は詩を読み、音楽を聴く習慣を設けるだろう)
I am not apt to follow blindly the lead of other men
(私には、他人の指揮に盲目的に従うような傾向はない)
A scientific man ought to have no wishes, no affections,
a mere heart of stone
(科学者たるもの、願望や愛着を持つべきではない。ただ石のごとき心を持つべきだ)
Intelligence is based on how efficient species became at doing the things they need to survive
(知性とは、ある種が生き残るために必要な物事をどれだけ能率的にこなせるようになるかに基づく)
頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。