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小異を存して大同を求める

松下幸之助 一日一話
10月20日 小異を捨て大同につく

明治維新の立役者は勝海舟と西郷隆盛である。当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり、複雑な情勢であった。しかし、勝海舟も西郷隆盛も戦うことを決して軽視はしなかったけれども、それ以上に、日本の将来ということを深く考えたわけである。そういう両者の一致した思いが、江戸城無血開城を可能にしたのだと思う。

結局、指導者が目先のこと、枝葉末節にとらわれず、大所高所からものを見、大局的に判断することがいかに大切かということである。何が一番大事であり、何が真に正しいか、たえず小異を捨て大同につく、それが指導者としてきわめて大切な心がまえだと思う。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

明治維新を実現に導いた戊辰戦争のみならず、戦いや戦争というものを人類が培ってきた長い歴史に鑑みますと、それはお互いの異なる正義が衝突することで幾度も止むことなく繰り返されてきたのだと言えます。しかしながら表面的には異なる正義の中にも、やはり根本的な正義というものに目を向けるならば、そこには共通する正義が必ずあると言えます。この異なる正義の中から共通する正義を見つけ出し共有することこそが大同であるとも言えます。

戊辰戦争においては、官軍側にも幕府側にもそれぞれの異なる正義があり、仮に江戸城において戦うという単純な決断をするならば、二項対立の浅い思考があれば十分ですが、結果として無血開城に至るためにはそこに二項動態で最善の答えを考え抜くという高度かつ深い思考のプロセスが不可欠であったと考えられます。

更に、「小異を捨て大同につく(大同小異)」といった言葉に関して私たち日本人は、「小異を捨てて大同につく」と考えますが、中国人は、「小異を存して大同を求める」と解釈するそうです。日本人は、異なっているところがあってはいけないと考えるのに対して、中国人は異なるところがあっていいのだと考えているのです。つまりは、視点を小さな正義ではなく、大きな正義へと向けることで、小さな正義の違いを残したまま、大きな正義を実現するということでもあります。

翻って、当時官軍にも幕府側にも戦いを主張する人は少なからずあり、複雑な情勢であったという事実は、江戸城を開城した後に東北地方で行われた会津藩や庄内藩との戦いからも見て取れます。会津藩は官軍との戦いで多くの犠牲を払った後に落城しました。庄内藩は当初官軍を押し返す勢いがあったものの、結果として西郷たちの力により江戸城同様の無血開城に至っています。

官軍との戦いにおいて庄内藩の正義を掲げ最前線にて率いていた酒井玄藩は、後に大同の立場から以下のような言葉を残しています。

「戦ふの難きにあらず、戦(いくさ)に至るの難きなり」(酒井玄藩)

戦うこと自体はたやすい。しかし戦争を起こすとなると多くの苦労や犠牲をともなう。ゆえに戦いは避けるべきである。という意味です。

これは以下の韓非子の言葉に擬えた言葉ではないでしょうか。

「知の難きにあらず、知に処するは則ち難し」(韓非子)

知ることは難しいことではない、知ったことを臨機応変に処理する。これが難しいのである。という意味です。

換言すると、戦い方を知ることは難しいことではない、知っている戦い方を臨機応変に処理する。これが難しいのである。ということになります。

戦い方という戦術を含めた権謀術数の類いというものは、自分から使えば全てブーメランのように自分自身に跳ね返ってくるだけですので、使わないに越したことはありません。しかし、敵が権謀術数の類いを使ってこないとは限りませんから敵の手の内は把握しておいた方が賢明であると言えます。

戦い方を知っているが、決して戦いに使わないという矛盾撞着した選択を実現するために必要となるのが二項動態的思考であり、大同につくということであると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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