あてのない気まぐれ旅
週末、ふと旅に出ることがある。
歩いていて急に目の前のバス停のバスに飛び乗ってしまったり、駅で行ったことのない方向の電車に乗ってしまったり。
衝動だ。
別に旅行に行きたいと思ったわけじゃない。
目の前にたまたまバスや電車が来た。乗れと言われた気がする。
何の用意もなく、目的地もなく、少しばかりのお金だけ。
もともと観光や美食にさらさら興味はなく、ガイドブックなんて見たくもない。
これは単なる暇潰しだろう。
窓から外をただ眺め、興味の湧いた場所で降りてみる。
知らない地名がいい。できれば、人が少ないところがいい。
たいがい、見知らぬ片田舎に降りてしまう。
そしてただ歩く。
歩くのは昔から好きだし、知らない場所ならいくらでも歩ける。
以前は、自宅に帰れるか、どこか泊まるホテルとかあるのか、戻りのバスや電車はあるか、とか気になっていた。
今はどうでもいい。
毎日、同じ仕事場に行き、同じ家に帰り、同じことの繰り返し。
毎日似たような悩みやイライラを噛みしめる。
そんな日常をぶっ壊してみたくなる。
ほんの小さな小さな冒険。別にワクワクはない。嬉しさもない。
それどころか、ただあてもなく歩き回って疲れ果てて帰って来るか、場末のホテルや旅館にため息とともに泊まるか。
ただ、たまにきれいな夕焼けが見れたり、山裾の竹やぶの風音が気持ちよかったり、道端の雑草の花が可愛かったり、故郷の田舎のような家々が懐かしかったり。その程度だ。でも、そんなものがカチカチの自分をほぐしてくれる。
泊まるときは、近くの食堂や居酒屋、レトロな飲み屋、バーに行ってみる。
普段、話しかけられるのは苦手だし、ただ周りを眺めているのが好きだが、こういう場合どうしても、話しかけられてしまう。少し話す。後はほぼ相手の話しの聞き役だ。昔の話。嬉しかった話。哀しかった話。こちらが話さないと気を使ってくれるのか、いろいろ話してくれる。
二度とこの店に来ることはないだろうし、ここの人とももう会うこともないだろうな。
そう思うと、この場所、この人がちょっと特別に感じられてくる。
一期一会なんだろう。この椅子、このカウンター、このグラス、ここの人たち、記憶のアルバムに残るんだろうな。
どんなバス停や駅で降りても、そこにはいろんな人がいていろんな生活がある。
少しだけその生活や環境を覗いてみる楽しさ。
やはり、人間は面白い。
気ままな旅は思いがけない出会いや風景も見せてくれるが、自分が優しい気持ちに戻れるのがいいのかもしれない。
絵 マシュー・カサイ「気まぐれに歩く」水彩・ペン
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