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ありの〜ままの〜姿見せるのよ〜♪
最近の自分は、
一度孤独になってみて、自分を見つめ直した結果、
自分ができることから、やりたいようにやったらめっちゃ楽しいじゃん!といった感じです。
周りの目は気になるけど、気にしないようにしているし、誰かの心配とか、逆に気遣いとかも、ほとんどしなくなりました。
自分は無能で、価値がなく、できることもない。でも、人に優しく声をかけたり、気遣いができたり、助けられるところだけが自分の強みだと思っていました。
それは必要なのかもしれないけれど、
かなり間違った方向に発揮されていたので、一旦ストップ。自ら進んで人を助けるのを辞めています。
私の強みはきっと他にもあるから、助けてほしいと思っていない人に、こちらから手を差し伸べるのはやめました。
先日、あるオンラインコーチングを受けて、自分の弱みを指摘していただいたので、考えてみます。
それは何かというと、固定概念です。
私は自分が自分の能力を発揮してしまうと、嫌われるという固定概念があります。
きっと小学校時代に、少しだけですが、いじめられていたことが原因だと思います。
特に頭の良い男の子から、嫌われていました。仲間はずれにされたし、確か、「ガリ勉」のようなあだ名をつけられ、「ガリ勉がうつる」と、ばい菌移しゲームみたいなのもされました。
今思えば、「頭が良い」という悪口は、もはや悪口ではないのですが、当時はかなり傷ついてしまい、短い期間ですが不登校にもなりました。勉強はだけは私を裏切らない!と勉強は続けていたので、学校を休んで塾に行くと、さらにサボりだと言われたりしました。
それから、頭が良いと嫌われる。同じぐらい勉強ができた男友達はそこまで言われていなかったので、女だからこそ嫌われると思うようになりました。
幸い中学からは、自分より明らかにレベルが高い人が集まる環境に行くことができたので、全く気になりませんでした。
私もたぶん奢りのようなものがあったので、上には上がいるということが分かり、いろんな人がいて楽しい中高時代を過ごせました。
ただ、環境が変わると考え方がもとに戻ります。
女性は、仕事ができたり、頭が良いと嫌われる。
すっかり忘れていたけれど、私の中にそういった考え方が潜在しているようです。
特に女性だからこそ、仕事でもまずは男性を立てなきゃいけないと思っていたし、
友人関係でも恋愛関係でも、付き合う相手は自分より頭が良い人の方がいいと思っていました。
だから、自分は、
分からないふりをしていたし、
ちゃんと分かろうともしなかったし、
「自分にはできない」を、他人への褒め言葉に使っていたし、
実際すごいと思わないことまで、「すごいね」と言ったり、
行きたいと思っても遠慮して行かなかったし、
やりたいと思っても人に譲り、
自分でできそうなことも全て人に頼りまくっていました。
誰かを立てることは大事ですが、
その分自分を下げて、自分でてきることまでやってもらうのは駄目ですよね。
人から好かれるために、もうちょっと仕事バリバリ感をなくしたいし、すぐ意見を言ってしまうのをやめたいと思っていましたが、
コーチの方に、アズナさんは今のアズナさんのままでいいよ、と言っていただきました。
バリバリ仕事をしたり、周りから認められつつある私を、妬ましいと思ってしまう人が仮にいるのなら、自分を下げたり我慢してまでその人と関わる必要ははないとのことでした。
そのままの私が素敵だと思ってくれている人もいるはず、とのことです。
我慢したり、自分を偽っていたら成長できないし、幸せにはなれない。
最近、そのように感じています。
前のめりで仕事や勉強する私を認めてくれる人、励ましてくれる人が沢山いて、情報交換をしてくれたり、さらに勉強できる場に声をかけてくれる方もいて本当にありがたいです。
その人たちは女性だからとかではなく、対等に接してくれるので嬉しく思っています、
また、女性でリーダーをしている芯が強い方々にも出会うことができ、やりたいことを諦めてはいけないと思うようになりました。
結局は自己肯定感なんだと思うんです。
頑張っている自分や頑張ってきた自分を、
自分自身で認められない場合、
近くで頑張っている人を羨んだり、嫉妬してしまう気がします。
残念なことに女性はターゲットになりやすいです。
ただ、その事自体固定概念らしく、コーチの方に、
「アズナさん!時代は令和ですよ!その考え方はもう古いです」
と言われましたが...まだまだ女性が社会で活躍することへの壁は大きいと思います。
今までは、人に嫌われたくないと思うばかりに、私も大したことない、自分にはできないから凄い!と自分の評価を不必要にさげてしまっていた気がします。
嫌われるかもしれない、妬まれるかもしれないからと、自分の評価を下げないと関われない相手なら、関わりをやめたほうが良いかもしれません。
自分が成長することにストップをかけてしまい、さらに後退してしまいます。
何事にもチャレンジし、前向きに頑張っていて、なおかつそのような自分を自分で認められている人は、
周りに頑張っている人がいたら、
進んで応援してくれるし、
刺激になったから自分も頑張る!と言ってくれる。
周りの人たちが評価されていることを気にして、どうせ自分なんか...と自己評価が低い人は、
無意識のうちに周囲に嫉妬してしまっている気がします。
普段から自分も頑張っていると思えていたら、周りと比較することもくなると思います。
今の私は、
自己肯定感の高い人と関わるようにする、自分のことを認める、この2つを意識しています。
自己肯定感が高い人と話していると、+のものが生まれます。ポジティブな考え方をその人から学ぶことができます。
さらに凄いと思える人に繋げてくれることもあります。
自分のことを認めることについては、特に、褒めていただいたら、「ありがとう」という言葉で返し、言葉だけではなく感謝の気持ちを持つようにしています。
褒め言葉を否定すると、褒めてくれた相手を否定することになると最近気づきました。
とにかく、マイナス言葉をできるだけ使わないようにすることが大事です。
自己肯定感は他人に埋めてもらうものではありません。
上司から評価されたから、主任を任せられたから、賞をもらったからなど。
もちろん、頑張ったという指標にはなりますが、それがないからと言って頑張っていないわけではありません。
実際今までは、やはり子供たちから、保護者さんからの言葉や感謝から自己肯定感をアップさせていましたが、感謝されるために教員をやっているわけではないのです。
自分自身で自分は頑張っていると認められることが大事。
今まで、私は変わらなきゃって思っていたけれど、
ありのままの自分でいられるように、
変わらなきゃいけないと気づきました。
必要以上に相手を立てなきゃいけない関係、
自分のレベルや評価を下げないと成り立たなくなる関係
はいますぐに手放そうと思います。
自分に自信をもって
ありのままの自分で
追伸
そうそう!こういうことを言いたかったんです!という記事を見つけました。
嫌われたくないと思うこと自体が、他人からの評価でしか自分を保てなかったんだなと。
自分で自分を評価できれば、嫌われたくないとという感情も生まれない気がします。
とても共感しました。是非読んでみてください。