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誰かを助ける前に、過去のどん底だった自分を振り返ってみました

一生懸命頑張っている仲間、特にに後輩たちを助けたい。
私はまだまだ未熟で助けられないことが多いけど、悔やんでいる間に次々と仲間がまた辛い思いをしていくので、



これ以上、自分も含めて、一人でも辛い思いをしないように、そして仲間の笑顔を取り戻すために、自分ができることを考えています。

自分がどん底だった時を振り返ってみます。前も振り替えった気もしますが、大事なことなので、ふたたび振り替えってみます。


私は初任校で1年目から講師経験なしで担任になりました。最初のクラスにはとても恵まれました。しかし、講師経験も、さらに中学での実習経験もありません。当たり前ではあるのですが、うまくいかないことが多すぎました。

気持ちを切り替えて1から、やってみよう。
もう1年間、同じ学年を担当することになりました。今度は指導やもろもろに気合いが入りすぎて、うまくいっていない部分はありました。でも、2年目にしては許容範囲かなーって思います。


社会も学年のほとんど自分が担当していたので、この学年で3年生まで持ち上がって卒業させるんだ!とやる気に満ち溢れていたら、
3月に急に校長室に呼ばれ、
来年から特別支援学級をもってほしいと言われました。

とても残念なことですが、現状今いる県では、採用前の講師の方が受け持つことが多いので、採用されている自分がもつことに納得がいきませんでした。

自分の何が悪かったのか、理由を聞きましたが教えてもらえませんでした。
特別支援学級の担任は尊い仕事で、今思えば経験してよかったと思います。ただ、あの時は、まだ若く、やる気に満ち溢れており、そして何よりも社会がしたかったので、来年から数学を教えてほしいと言われても、やはり納得がいかなかったと思います。


同時に部活動でも、生徒とうまくいかず、運動部というものを勉強しなさい、と全国レベルの部活動の顧問に変更になりました。


今思えば、特別支援学級は勉強になり、意味があったといえますが、全国レベルの部活動は、中学から大学までゆるーい文化部だった私に果たして必要な経験だったのか、未だに疑問です。

何か得たものがあるとしたら、運動をがんばっている人の気持ちが分かるようになり、応援したくなるようになりました。

その状態が2年続きました。

私の代わりに学年に入ったのは1年目の先生。
つまり、社会科をもてなくなった私の代わりは、なんと後輩でした。
ただ、その後輩はとても良い人だったので、やさぐれる私に気をつかってくれていて、とても助かりました。
どん底だった私に、気を使いながらも社会科の相談をしてくれたり、私の話を聞いてくれました。その後輩が良い人だからよかったけれど、つらい状況には変わりありませんでした。

もっと酷いのが、その次の年、講師の社会の先生が来て、私がもつ学年に入りました。


教採に受かっている私が社会科をもてず、特別支援学級の2年目へ。
そして、採用前の講師の先生が社会を教えることになりました。もちろんその先生も気を遣ってはくれていました。

だけど、私がいるのに講師の先生を雇う意味がわからず、納得ができなくて、校長室に辞表を出しに行きました。頭を冷やしなさいと言われ、3日ほど考えるように言われました。


家に帰って大泣きしたのを覚えています。結局、ここで断念するのが悔しくて、続けることにしました。

ただ、さすがにもう1年と言われたら辞めるつもりだったので、ワーキングホリデーの資料請求や転職サイトの登録などをしていました。


特別支援学級の生徒から「社会は本当の先生に習いたい!」と言われ、普通学級の授業に参加することになりました。
今思えば大人げないのですが、私の方が本当の先生なんだと伝えてしまいました。もちろん、意味がわからないと言われてしまいました。

特別支援学級でも社会がもてず、漢字と計算プリントをひたすら解かして、丸をつけるだけの日々。今思えば、授業字数やカリキュラムに融通がきくので、探究的な学びをどんどんやってみればよかったと思っています。


とはいえ、少しだけ、教室の様子を見えなくするためのカーテンをミシンで作ったり、調理実習をしたり、陶芸をしたり、ペーパークラフトをしたり私なりにいろいろ考えてやってみてはいました。

今だったら、何をするのかな...。一人一台端末があるので、計算アプリの活用はもちろん、プログラミングをやってみたり、描いたイラストでTシャツを作ったり、アプリで作曲してみたり、3Dモデリングとか、動画編集とか、Canvaを使ったポスター作りとか。

ロボットを作ったりするのもいいし、自作でボードゲームをするのもいいな。
教室全部を、巨大迷路にするのも面白そう。
育てた野菜でサラダを作るのもいい。それこそ、近くのお店にいってコラボ商品を考えるのも面白そう!

今だったらな..タブレット端末があるし、アイデアも湧いてくるからいろいろできるのに。


なんて思いながら、当時の私としては、やる気をなくしつつも、目の前にこどもたちがいる以上、できる範囲で、一生懸命やりました。

ちなみに、部活動はその何倍も大変でした。
部活は文化部を毎年希望していたし、運動はかなり苦手なので、運動部に関わるのは義務的な思いでした。


一生懸命やってはいたのですが、運動嫌いの素人に務まるわけもなく、土日が全くない、というか年に盆と正月の7日間しか休みがなく、生活に体力が追いつきませんでした。ミスも多く、早い時間は朝6時から、遅いときは夜23時に、ご意見ご要望のお電話を毎週のようにいただく日々でした。


電話があった時、旅に出てたりお酒を飲んだら、うちの子が大変なのに何をしているんだ!と言われ、朝は今から出勤したいのでと電話を切ると、出勤より話を聞くほうが大切ではないかと言われたりしました。

先生は、運動を頑張っている子供の気持ちを理解していない。この仕事は向いてないから今すぐ仕事を辞めたらよい。
ぐらいまでのことは言われました。


いや、私の仕事はスポーツに関わることではないんですが!


と思いながら、専門である社会を教えているわけでもなく、自分が何のために仕事をしているか分からなくなりました。


何のためにやっていて、何を頑張ればいいのか分からなくなり、自分という人間の軸がなくなり、完全におかしくなりました。


職員室でも自分が浮いている気がして、仲の良い友人や、周りの心配してくださる方々とさえも、うまくコミュニケーションがとれませんでした。

教員になったら生徒会担当をするのが夢でしたが、若手中心に担当する生徒会のチームに、特別支援学級担当だからという理由で、若手では自分だけが加われませんでした。学校行事など大きな仕事を任される同期や後輩たちを、ただただ羨ましく見ているだけでした。


さらに、社会科時代を知らない新しく来た先生方からは、自分の教科をもたせてもらえないのに、全国レベルの部活が担当になっているという、私の不思議な配置から、何か訳アリの先生といった感じに扱われていました。

そもそも軸をなくしてしまい、やりがいもなく、居心地も悪くなり、まさに自暴自棄。
出勤時間はギリギリで、部活が終わったらすくに帰宅。そもそも空き時間は基本的にありませんが、昼時間は教室で教材研究。
給食はこんな状態で食欲があるわけないと公言して、ほとんど毎日抜いていました。


職員室で誰かと談笑した思い出が一つもありません。一緒に組んでいた先生には本当にお世話になりましたが、辛くあたってしまうことも多く、今でも本当に申し訳なく思っています。

誰にも気遣いができず、優しくできませんでした。ただ、責任感はあるので、発達障害の特性については研修や本などで勉強していてクラスの子供たちには多少出来てたかもしれないけれど、足りませんでした。もっともっともっと優しくするべきでした。


やりたいことが出来なかった2年間。
今思えば、やめて転職したらまた違った人生があったかもしれないと思います。
でも辞めなかったから今があります。
あの時は本当に人生をやめることも視野に入るぐらいどん底だったけど、確実に私を強くしてくれた2年間でした。

あのときも私を支えてくれたのは、数人の自分のクラスの子供たちでした。


あの時関わった生徒たちは、抱えているものが大きくても、それが自分ではどうしようもないものでも、強く生きていました。


友達と同じ教室に入らず、毎日うかない顔した先生がいる教室でひたすらプリント学習。
それでも文句一つも言わずに(時々言ってたかな?笑)、私の指示を受けて、一生懸命がんばっていました。

今だったらもっと自由にやりたいことをできる環境にできるような気もしています。
関わった生徒全員が、中学3年間の成長の幅が大きく、諦めない心、粘り強く取り組むことの大切さを学びました。


あと、何かひとつでも強みがあれば、前を向いて生きていけることが分かりました。
ゲーム、走ること、歌、スポーツ。皆それぞれ好きなことがあって、そのことを嬉しそうに語る姿が今も印象に残っています。


みんなもうどこかで働いている年齢ですが、元気にしているだろうか。時々思い出します。

あと、同期が集まる研修会で、当然私だけが社会科をもてていない状況で、参加するのが本当に苦痛でした。
しかし、実際に研修会に行くと講師時代に特別支援学級を担当していた方が意外に多く、その時の経験を話してくれて、頑張ってほしいと励ましてくれ、本当に勇気づけられました。


そんな感じで振り替えってみました。
もちろん、私が若い時はこんなにつらい状況を乗り越えてきたので、今の若い人たちが甘すぎる!とは言いたいのはありません。


土日休みがあるのはいいなーとは思いますが、
今は多様な子供たちがいて、あの時私を支えてくれたベテラン世代の先生方はほとんどいなくなっていて、熱中症対策も深刻化しているし、一人一台端末を使わなくてはいけないのに、個人情報に気をつけなければならないし、ミスをしたら教師側の方が不利になりやすくなりました。

私が先生になったばかりとは、環境が違いますし、私自身、今のほうが多忙感があり、窮屈に感じいます。コロナ前とは違うことも多いでしょう。自分たちの頃とはまた違った苦しみがあると思います。


まずは、身体を壊してまでやる仕事はないから無理はしないでほしい。休みが必要なら、休みましょう!


でも、納得が行かない状況でも、きっと何かできることがあり、何か得るものがあり、後で振り替えってみると、かけがえのない経験になると思います。
そのときは辛いからきっと気づけないけど、10年ぐらい経って、その時の経験から別の何かにつながることもあります。

心配してくれている人、力になってくれる人も沢山います。私は去年部活の大会で再会した先生が、実はあの時すごく心配していたといってくれました。
学年も違うしほとんど関わりがなかったので、その時は全く気づきませんでした。そのことを再会した今教えていただいたことにも感謝しなくてはいけません。



腐らずに頑張っていれば、時間が解決してくれる。あなたが乗り越えられる試練だから、あなたに与えられたんだと思う。

私も誰かにそういわれて、素直に受け入れることはできなかったけど、10年以上たって、やはり同じことを伝えたいと思います。


だから、私は、特に仕事に関しては、
「乗り越えられる」とか、
「時間が解決してくれる」とか、


決して無責任に、安易に言うのではなく、過去の自分から今の自分を考えて、また相手を信頼して、信じる気持ちから、心からそう思って言っているのだと思います。


どん底の時に言われたら、嫌な言葉なのかもしれないし、言うべきではなかったとは思います。
私も、いろんな人に言われて、なんと無責任な!と立腹していました。


ただ、実際には乗り越えることができたし、私なら乗り越えられると信じて言ってくれたのだと思います。あの時励ましの言葉を私にくれた方々に心から感謝しています。


今は私自身は、どんなにつらい状況でも、
社会を教えることができているし、
担任もできているし、
憧れだった生徒会担当もできてるし、


自分のやりたいことができていていることに感謝していて、環境がとか、不満をあまり言わないようにしたいと思っています(実際に言ってしまうことはあります)。


それができない状況がかつての自分にもあったし、様々な要因で、当たり前が当たり前でない人たちが沢山いることを気に留めておかないといけません。


人は「ないもの」ばかり羨んでしまいますが、「あるもの」にもっと感謝をしなくてはいけないと思っています。

今は思うようにいかない環境でも、ひたむきに頑張っていれば、あなたの頑張りを見てくれている人がいるし、きっといつか何かよいきっかけが訪れるのではないかと思います。

あと、今はバリバリ仕事をしている私が、自分を失っていた2年間があるように、みんなそれぞれ、何かを抱えて、何かを乗り越えてきて、今があるのではないかと思います。
大人だけではなく、子供たちも。

そんなことを配慮しながらあたたかい関係をつくとていける学校や、社会になったらいいなと心から思います。

最後まで、読んでいただきありがとうございました!

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