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私は生涯デザイナー。その思いを軸に、フリーランスと会社員を行き来しながら次のステージへ。

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「これからどうしよう?」と迷ったとき何かのヒントを見つけてもらえればという思いで紹介している「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソード。

今回は、デザイナーであることを軸に、フリーランスからメーカーへ転職し、インハウスデザイナーとしてチームマネジメントを経験された、えみこさん(仮名)のエピソードです。大きな谷を乗り越えた えみこさんが、今考える今後も見据えた次なるステップとは?


えみこさん(50代後半)*インタビュー当時
経歴: デザインの専門学校卒。デザイン事務所に勤務。退職して留学した後、フリーのデザイナーに。30代は仕事も遊びも充実。40代になって、師匠との別れやフリーランスへの不安が出てきたところで、メーカーのインハウスデザイナーへ。デザインチームのマネジメントとして約10年奮闘し、その後、役職定年となり社内異動。現在はマーケティング部門所属。 

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?

振り返ると、10代からいろんなことやってたなぁって。色々な人との出会いがあったなと思いました。
一番輝いていたのは20代後半~30代。若かったし、バブルの最中でいろんな楽しみがギュッと詰まっていました。
30代後半、その頃お世話になっていたデザインの師匠と俳句の師匠との別れがあり、仕事も目減りしてきて、1人でやっていくのはしんどいなと思っていたところ、今の会社のお話が来て、迷いましたけど、飛び込みました。人生曲線の最初のV字のあたりなんですが、ここが大きな転機だったなと思います。

えみこさんが描いた人生曲線

デザイナーとしての始まり(幼少期~20代前半:専門学校~就職、留学)

―――デザイナーになろうと思ったのは?

小学生の頃、TVアニメの影響で「ファッションデザイナーになる」って宣言していました。私にはこの道しかない!と。でも、「有名なファッションデザイナーになれるのは氷山の一角だ」と親に言われて、グラフィックデザインの道に行きました。卒業後、デザイン会社に就職しました。 

そこの会社は、アットホームだったけど、やりたかったデザインの仕事はできなかった。それで、25歳のときに留学する決断をして、思い切って辞めました。英会話をずっと習っていたので、アメリカへ。アメリカには何かチャンスがあるんじゃないかと夢を描いていたというのもあります。同居していた両親は留学に大反対でしたが、これが親離れのきっかけになりました。

贅沢三昧。仕事も遊びも充実。(20代後半~30代:フリーランスに転身)

―――帰国してから独立されたんですね?

帰国後、どうしようかなと考えていたら、デザイン学校時代の友人が勤めている会社に誘ってくれたんです。ただ、また会社での仕事に満足できるか心配でしたし、前職の会社とクライアントの双方から仕事の依頼が来ていたので、面談した会社の社長に「実はフリーでやりたいと思っているんです」と正直な気持ちを話したら、「じゃあ、うちに机を置いて、フリーでやればいい」「ただ優先的にうちの仕事はしてね」と言ってもらえたんです。フリーのままで会社の仕事を回してもらえるなんて、まさに一石二鳥でした。

社員ではないけどその会社のファミリーになった感じで、30代は贅沢三昧でしたね。仕事は多くて、オフィスは“不夜城“。「夕飯に行くぞ」の社長の一声で食事に行ってお酒を飲み、オフィスに戻って朝まで仕事をする生活。貯金は全く考えずに、入ってきたお金をあるだけ使っていました。貯金しておけばよかったなと思います(笑)。
 
社長はデザインの師匠でもあり、デザインやアート、仕事においてのコミュニケーションなど、いろんなことを与えてくれました。破天荒で豪快な人で、有名なクリエーターやカメラマン、ライターなどと一緒に仕事をする機会がたくさんあって、そういう人たちを取りまとめるのが上手な人でした。

―――俳句の師匠にはどのように出会われたんですか? 
 
社長が入っていた俳句の会に誘われて。俳句は、絵画的に言うとその瞬間を切り取るクロッキーのようなもので、絵と文字と違うようでとても近いんです。キャッチコピーを作る感覚にも似てクリエーターの方も多く句会に参加されていました。
 
―――俳句の師匠はどんな方だったのですか?

社長も俳句の師匠も酒好きで美食家でした。季節を詠うには食を知ることも大切と様々な場所へ吟行に行きました。生前、俳句の師匠から、「起こることに『偶然』はない。全ては『必然』なんだよ。」と言われたことが常に胸にあります。だから、自分の身に起きたことはなるべくしてなったこと、とポジティブに思うようになりました。苦難なことも、今私が越えるための試練だな、と。越えられない試練を神様は与えないと思うので。思い返してみると良くも悪くも全部越えてきてますね(笑)。

大きな転機。決断前の迷い。(40代:師匠との別れと転機)

―――その後、師匠方との別れがあったのですね?
 
デザインの師匠、俳句の師匠、尊敬するお2人だったのでつらかったです。私はフリーランスだったので、病院のお見舞いも自分の時間を工面してサポートすることができました。大きな別れでしたけど、お2人とも癌だとわかっていたので覚悟もありました。

この頃、デザイナーの役割がだんだん淘汰されてきたことで、危機感が出てきました。PCが1人1台のような時代になって、ホームページなど、デジタル系のデザイナーがもてはやされるようになってきた。デザイナーバンクに幾つか登録して、小さな仕事でもやりました。そんな中で、ある人材会社が、今の会社の話を持ってきてくれたんです。

でも悩みました。勤務地が東京ではなく、縁もゆかりもない地方都市だったんです。デザイナーをやるならやっぱり東京だろう、という思いもありました。

あと、普通は会社勤めからフリーランスへ独り立ちするけれど、私はフリーランスから会社勤めへという逆のケースだったので、大きな組織でちゃんと務まるのか、しかもオファーされたのはデザインチームを取りまとめるマネジメントの仕事だった。組織で人を束ねたことなんてなくて、不安だった私に、大方の人が、「できるんじゃない?」と背中を押してくれました。まあ、「ダメだったら帰ってくればいいじゃん」という感じで(笑)。でも、元々デザイナーの仕事って、アートディレクターとして、カメラマンやライターや印刷会社など、いろんな方をコーディネートする仕事なので、人を束ねるのは私でもできるかもとうっすらとは思いましたね。

新たな会社でのマネジメントの仕事(40代~50代:インハウスデザインチームをまとめる)

―――V字になった谷から上がっていくのに支えになったことって?
 
今の会社がすごくいい会社なんです。嫌な人がひとりもいない。県民性もあるのかなあ。

でも、チームスタッフに聞くと、デザインチームは社内で「お絵描きさんたち」という位置付けだ、というので、それを変えたくて。積極的に経営会議へ出てデザインの価値や役割を理解してもらうことに必死でした。デザイナーたちが手がけた商品を認めてもらいたかった。しかし、経営の判断は生産や販売に関わることもあり、デザインだけの問題ではなく、スムーズにはいかない。デザイナーたちのモチベーションを下げないように、経営とデザイナーとの狭間でかなり苦労しました。50代になったところの谷がそれです。

メンタル限界で、東京に帰りたい(50代後半:役職定年を機に異動)

―――ここは、だいぶ深い谷でしたね?
 
うーん、メンタル的にギリギリだなって感じでした。入社当初に、デザインチームを東京の事務所の方に持って来られないか、という話をしたんですが、「2年くらいは同じ釜の飯を食ってよ」と言われて。でも、「2年くらい」が10年になり、「54歳の役職定年で東京に戻ろう」と思ったんです。次の仕事を探すにしても、まだ私の力が試せるうちに、余力を残して東京に帰りたかった。それで、辞める覚悟で上司に話したら、既にデザインチームを東京に移す計画があると言われ、それがきっかけで東京に戻って来られました。

「役職定年で役職から外れるけどよいか?」と確認されましたけど、そのときの私は、経営層と部下の狭間にいることに限界だったので「若手を伸ばすためにも若い人をマネージャーにしてください」と伝えて、私はマネージャーを退き、デザインの中でも知財やコーポレート関連の仕事をすることにしました。

―――その後に谷から上がっていけたのは?
 
しばらくして、マーケティングの部署へ異動したからです。そこの部長がとてもよくしてくださって、疲弊していた気持ちがだんだん上がっていきました。次の上司もすごくいい方で、徐々に引き上げていってくださったおかげで今は安定した感じです。 

生涯デザイナーでいたい(今後について)

―――これから先についてはどう考えていますか?定年までは、今のお仕事をされる?
 
早期退職か雇用延長か迷いながら、一方でデザインの仕事ができるところで、もう1度チャレンジしようかなというのも考えてはいます。ただ辞めたら今のように社宅には住めないので、実家をリフォームして戻ろうかとも思っています。両親はもういないのですが。
 
私としては、生涯デザイナーでいたい。なのに今、デザインの仕事ができていない。辞めて実家に戻って、パート的にでも何かデザインの仕事ができるところはないかと、就職サイトを見たりしています。

あと、専門学校卒なので、通信課程でもよいから編入して美大を卒業したい。と同時に、学芸員資格をとって、地元にある素敵な美術館の学芸員になりたい。学芸員でなくて、パートでもいいのでそこに関わりたい。少ない年金+時給でも実家なら細々生活できるかなと思うので。

そして、60代、70代は好きなことをしてのんびり暮らしたいなと思います。趣味で陶芸もやっていて、料理も自己流だけど一通りできるので、魯山人みたいな人を目指したいかな(笑)。
 
最近、仲良くなった友達もいるんです。類は友を呼ぶというか、独り者同士、尊重し合える仲間で集まったりもするので、自分の作った食器でもてなしたりするのも楽しそうだと思っています。

自分の意志のままに生きていくのもいいもの(女性たちへのメッセージ)

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?

 私は結婚もしていないし子どももいない。でも、中には私のように自分の意志のままに生きていくという人もいると思うので、「そういう生き方もいいんじゃない?」と思います。私は後悔していませんし。ただ「貯金はしておいた方がいいよ」って(笑)。
 
40代くらいの女性って迷うと思うんですよ。私もそうだったし。だから、「40代になったら10年先をおぼろげでも考え始めた方がいいよ」と伝えたいです。1人になる不安も含めていろんなケースを想像しておくことも大切だろうし、いろんなジャンルの方々と話をしてみるのも大切だと思います。長い人生、キャリアを活かせて働けるチャンスがもっと広くあればいいのになとも思いますよね。

―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか? 
 
いろんな意味で振り返ることができて、頭の整理ができてよかったです。これまでを振り返ってみて、関わった方々とは、今でもほとんど繋がっているので、それはありがたいことですね。

(*文中の写真はイメージです)


インタビュアーズコメント

ちょっとクールな感じもする えみこさんですが、人との繋がりを大切にし、お友達ともエールをもらえる素敵な関係を作っておられます。役職定年になった今、「生涯デザイナー」という思いを新たにしているのが新鮮で、また、60、70代について思い描いている生活イメージでは、俳句や陶芸、料理、友人関係など、えみこさんが培ってきたものが集約されていくようで、とても魅力的に感じました。


【L100】自分たちラボ からのお知らせ

ライフデザイン研究会【L100】自分たちラボでは、働く女性に対するインタビューを行っています。詳細は『働く女性の人生カタログ』~プロローグ~をご覧ください。
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