低投票率と主権者教育
秘書報酬の不正取得という、政治の劣化を示す事例がまた発生しました。
「支持政党なし」という層が最大の構成比を占める中、その層が棄権することで、支持率は低いが相対的に最大勢力である既成権力にフリーハンドの長期政権を許し、その結果、裏金問題の様なさまざまな不公正がまかり通る世情となってしまっています。
以前は民主主義の劣化に繋がる低投票率を憂い、「投票に行きましょう。」的なスローガンに賛同していましたが、昨今の劣化度の深化を見るに、政治の劣化は政治家だけの責任ではなく、国民の責任であり、お願いされて投票に行くのではなく、責任を持って必ずベターな候補へ投票すべきというような危機感を持つようになりました。
棄権というのも意思表示とは言いますが、社会にとって危険な行為になりつつあるような気がしますし、何故投票権を行使しないか不思議にも思っていました。
先日学校でのいじめや校則についてのセミナーを受けたのですが、その中で主権者教育というもの(教育だけでなく継続した主権者体験がより重要)を知りました。
国家の主権者が国民であることは周知のことですが、学校の主権者が「生徒」ではないことはあまり意識していませんでした。
そこで思ったのは、学校での主権者体験(自ら考え意思決定して、所属組織の運営に携わる経験)がない(皆無)ために、主権者としての権利である投票が組織運営に反映されるという感覚を持ちにくいのではないかということです。
成長期での学校運営への参画(民主的な運営やルールづくり、一部予算運用への参加)経験があれば、成年後の政治参画へのイメージも持ちやすくなると思いますが、校則が主権者体験を奪ってしまっているのが実態とのことです。
文科省も校則の問題点を意識して、一人一人の生徒への配慮ある運用や、教育的効果をもたらすよう、保護者を含めて必要性についての共通理解を高めることを指針としたり、状況に応じて絶えず積極的に見直よう指導はしていますが、現実にはローカルルールである校則が法律以上に拘束的で生徒の自主性を縛っており、意外ではありますが、学校の多忙化対応のための管理強化によって以前よりも拘束性が高まっているとのことです。
この拘束強化は生徒のそれぞれのやり方によるストレス対処を困難にさせて、不登校の要因にも強く結びついていることは間違いないでしょう。
生徒のストレスを解消するために、キャパオーバーとなっている教師を補完して、生徒へのサポート機能(校則改変等生徒が主権者として学校運営に参画する支援)を持たせたエデュケーター制度(フランスで幅広く生徒支援を行なっている公務員のサポーター)の導入が有効であると紹介がありましたが、DX導入による教師負担の軽減(授業等の標準化)と並行して今後の学校改革において検討すべき課題になります。
公正な社会の実現のためには、主権者が主権者として行動出来る環境が重要ですし、私としては投票権の行使の意義について共感いただけるようでき得る限り発信していきたいと思います。