現代音楽~音と精神のROOTS~茶道
音楽やアートの話題が尽きなく、とても上質な時間を過ごせました。
楽しかったです!
アートや音楽のこれからについてわたし的に考えました。
ジョン・ケージ
音楽というと、作曲して音符を楽譜に記し、そのメロディーやリズムを基に演奏するというものでしたが、
ジョン・ケージがその常識を変えたそうです。
彼は日本の禅のなどの東洋の思想に影響を受け、
偶然の音楽を創始したそうです。
物語の先
そんな彼の「フリーマン・エチュードNo.1」を聴いていて
わたしは"物語"について考えました。
ジョン・ケージ以前の音楽は、コード進行やメロディーなど(実際細かいことは全く分からない私ですが)
しっかりした"流れ"があるようにわたしは感じます。
ジャズも、最初にメロディー→途中即興なのか全く関係のない音→またおなじみのメロディーという流れのような印象を受けます。
こうした流れを物語とすると、
ジョン・ケージの音楽はそもそも「フリーマン・エチュード」は
易経に基づいて作られたそうですから、
しっかりした流れ、あるいは物語がないのではないか??
とも思ってしまいます。
この曲は、音そのものを注視(聴)することだったり、
不可能なことに挑戦するということを意図していると聞きました。
物語性を超えた音や身体そのものを注視したあとの音楽やアートは、
どこへ向かうのでしょうか?
私は生意気にも物語に回帰するんじゃないかな〜と思っています。
今回のお話では、どんなジャンルのアートや音楽も、発展するところまで発展したそうで、
今後大きな発展はないそうです。
では、音楽やアートはどこに向かうのでしょうか?
わたしは生意気にも物語に回帰すると思っています。
しかし、演奏者がではなく、受け手が、であると思っています。
というのも、今回の音楽の歴史(history)やお茶会の"流れ"のお話を聞いただけでも
すでに物語(story)を受け手は聞いていると思ったからですw。
発展のカギは受け手にあるのではないかなと思う今日この頃です。
#アート ×#社会の可能性を感じました!
無心について
練習では作曲家や先生の指示を楽譜に書き、たくさん練習し、
暗譜し、
本番では楽譜をつけるものの無心になって演奏されると聞きました。
(わたしも前に似たようなことを言われたことがあり、とても共感できました。)
無心について私が思い出したのが
山岸涼子さんの『舞姫 テレプシコーラ』という漫画でした。
無心で踊るとはイメージで踊ることなんだ!と登場人物の先生が思っているところです。
また、無心ということは、心理学的には(勉強してないんでなんとなくですが)
無意識のもとで演奏するということなのかなと思います。
箱庭療法などは、無意識の結果なのでしょうか?
と、いまさらながらいろいろと考えを膨らませていました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました~!!!