五右衛門風呂 じっちゃんへ愛を込めて(エッセイ)
※ヘッダー画像五右衛門風呂はwebより添付
私が小学生くらいの頃、祖父母宅に帰省した際
五右衛門風呂だった事思いだす。
きっかけは、note: kyotoKさんのこの記事
今回、その時の情景に似た写真を撮ってきた。私の祖父母と五右衛門風呂の思い出を書こうと思う。
(本文約1000字)
母屋があって、庭の隅に小屋があった。
いとこ達を含めて、冬でもその小屋に走りこんだ。
流石に五右衛門風呂は見当たらず
ヘッダー画像の五右衛門風呂お借りする
この風呂の感じが1番近かった。
風呂底板があって、最初浮いてて、それに乗ってゆっくり沈む。
最年長の私は、祖父と一緒に火焼べの準備をしてた。濡れたタオルを口に巻いて。
主に木々を運ぶ役目だったけど。
割った薪と不必要な雑誌、新聞紙など
細長く丸めて、交差するように、火が息をしやすいようにするんだよと、少しずらすんだよと祖父は教えてくれた。
火焼べをしながら、祖父が五右衛門伝説
釜茹での刑について、ボソボソと語ってくれた。幼心に釜茹では地獄だと怖かったことを
思いだす。
子供は順番に入るが、大人は火の調整で忙しく「暑いー」と言えば、ホースで水を足し、「緩い」と言えば、また薪を焼べ。
子供は皆、不思議と自分で洗う。か何人かで入るのでこすりっこしてた。
子供は自分で洗うしかない五右衛門風呂だった。
冬は寒くて、バスタオル巻きつけて、母屋に走り帰り急いで拭いて。
囲炉裏式のおこたに入り暖をとっていた。
お風呂に入るのも色々な準備が必要だった。
準備に追われる大人を見て、小さな子供は
少し大きな子供が身体を洗って。
なんだか懐かしい。
子供どうし遊んで、大人はとにかく、一日がまわる様に準備してた。
五右衛門風呂の湯があまれば、オムツを洗ったり二層型の洗濯機に汗だくになって入れた。
昔をしばし懐かしむ
五右衛門は、伝説の人。
一族皆釜茹での刑。
五右衛門が子供を力つくまで上に上げてた。
子供を下に敷き自分が乗っていた。
色々な説が舞う。
祖父は言った。
「じいちゃんもその場になったらわからん」
どちらにせよ、魅惑的な五右衛門伝説。
詳細は、上記KyotoKさまの【スーパースター五右衛門の魅力】をご参照ください。
すすで黒ずんでいたけど、あの五右衛門風呂に入る少女時代は、私にとって輝いていたことに間違いはない。
了
サブリナ