自己犠牲
「自己犠牲と自己中の境界線がわかりません」
彼女は真剣な表情で僕にそう尋ねた。
自分より2回りも年下の少女にここまで考えさせるほど社会が窮屈になっているのか。それとも彼女が大人びすぎているのか、大人にならなくてはいけない環境だったのか。彼女の背景を考えると同時に、純粋に感心する気持ちもあった。
「境界線って言われると僕もわからないかも。はっきりと分かれているものじゃないのかもしれないね。どうしたの?」
「私が今までやってきたことは、自分は、自己犠牲だと思ってたんです。でも実はそれはジコチューで、ジコチューやってて体壊したのかもって思ったら、馬鹿みたいって思っちゃって」
自分がやってきたことが『正しかった』のか、『誤り』だったのか。
その行動が『誤り』だったならば、まだ若い彼女にとって、存在そのものが『誤り』であることと同義になるのだろう。
「世の中って『善か悪か』『良いか悪いか』って簡単には分けられないものの方が多いのかもしれないね。『自己犠牲かジコチューか』をはっきり分けるのも難しいのかもしれない」
「…でもそうしたら私は困ります」
「そうだね。困っちゃうよね」
「何か基準みたいなものってないんですかね」
「あなたとしては、誰のための行動だったの?」
「それはもちろん相手を想ってです」
「そっか。それなら『自己犠牲』で良いんじゃないかな。『誰のため』だったかは2つを区別する大事な要素だと、僕は思う。あなたは『相手のため』に行動したんだよね」
「はい。でもそれも『私が』やりたいと思ったからで。『相手が』望んでなかったらそれってジコチューなんじゃないかって思ってしまって」
「…今の心持ちだと、どうやってもジコチューにつながっていきそうだね」
「そうかもしれません。…でも、今はそうとしか考えられなくて」
「そうか。『相手のために行動すること』自体がジコチューに思えるんだね」
「はい」
「僕はあなたよりもうちょっと年を重ねてから、同じようなことを考えたことがあったな」
「そうなんですか」
「うん。当時の友達と話し合ったことも覚えてる」
「話し合ってどうなりましたか?」
「これは1つの考え方として聞いてほしいんだけど、極端な話、この世にはジコチューしかないんじゃないかって結論に至った」
「……そうなんですか?」
「うん。でも、色んなジコチューに支えられて僕らは生きているのかもねっていう話にもなったよ」
「……?」
「例えばパン屋さんがパンを作るのは『おいしいパンを作りたい』『お客さんにパンを食べてほしい』という『自分のための行動』だよね。でも『パンを食べたい』人たちがいるから仕事として成り立つし、食べた人たちも嬉しい。お医者さんもそうかもしれない。『病気を治したい』『誰かを助けたい』というのも実は自己犠牲じゃなくて、根源はその人の欲望、極端な話『自分のための行動』。だけどそのジコチューな行動によって救われる人がいるから職業として成り立つし、治療された側も感謝する。実は社会って、そうやっていろんなジコチュー同士が支え合ってできてる気がするんだ」
「…でもそんな勝手ばかりな社会って許されるんですか」
「あなたは許せない?」
「はい…多分。でもわかんないです…。私はまだ大人じゃないってことだけはわかるから」
「あなたの年齢でそこまで考えられているなら大丈夫。必ずあなたの中でしっくりくる答えが見つかると思う。忘れないでほしいのはあなたのやってきたことは何もおかしいことじゃないってこと。だけど、体調は崩さないようにした方が良いよっていうのが、僕からのアドバイスかな」
まだ納得はできない。でも1人で悩んでいた時に比べると、少し手がかりをつかめたような、そんななんとも言えない表情を浮かべながら彼女は「ありがとうございました」と言って去って行った。
大人になっていく彼女の眼に、この社会はどう映っていくのだろう。
うねり、揺れ動く地面の上で、彼女なりの答えを見定める動体視力を養ってくれることをひっそりと願った。
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