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主に庭に住んでます

朝起きたらまず庭に行く。
仕事から帰ったら庭に行く。
休みの日は、予定がなければ庭にいる。

なんなら、仕事を辞めて一日中庭にいたい。
が、息子の学費を稼がねばならぬので、まだ仕事は辞められない。完全なる庭の住人になるのは先々の願望として。

こんなに庭が好きな私だが、いっとき庭を荒らしたことがある。玄関先の植物も室内の植物までありとあらゆるものを枯らした。それは、花屋に勤めているときだ。

医者の不養生ならぬ、花屋の枯れ野である

勤めていた花屋は、庭仕事(デザインから植栽、その後のメンテナンス)も店舗の植物(レストランからホテル、ジム、企業と様々)のメンテナンスも手広かったので、もちろん私もドナドナの牛の如く連れて行かれ…いやいや、嬉々として行っていた。

庭木の手入れは言わずもがな、まっさらな庭に植物を配置していくのはなんだろう、こう大きなアレンジ作るみたいな、育ち咲き進んでいくところまで計算して…幸せな仕事だった。

反して、我が家の庭はどんどん荒れていき、大切に育てていた花たちも一気に枯れはじめる

出勤も早く、帰りも深夜だったので、我が家の庭を見るのはもっぱら休日のみ。でも、休日は仕事の疲れを癒すだけで精一杯だった。

そして、お気に入りの植物たちが枯れたころ、私は負のスパイラルに陥っていた。

自分でも驚くようなミスを連発
気をつけても気をつけてもミスを繰り返す
そして、自信を喪失しさらに
負のスパイラルへ

今思うと、それまで植物たちは私を守っていてくれていたのかもしれない。守りきれなくなったとき…枯れたのは、自分をかえりみてほしいという、植物からのサインだったのかもしれない。と今振り返ると思うのだ。

植物と人の関係性は深い
静かに見える植物だが、実はものすごくメッセージを送ってくれている

花屋を辞め、また庭を少しずつ整えている。枯れてもなお美しいグラス類、種まで美しい一年草、毎年咲く宿根草を自分の好きなように植えていく。

まだまだ、発展途上だけど我ながらいい感じだ。

いい感じ。の塩梅を大切にしたい

そしていつか、庭の花を摘んで親しいひとたちと楽しい時間を過ごせたらと思うのだ。

よう

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