いざ、北海道へ ! 虎吉の交流部屋プチ企画
締切り、間に合いませんでしたー !!(笑)
少しの遅刻なので許してください、なんて。
(→noteの世界でしか通用しない言い訳)😊笑
この企画に参加してます💡
今週のお題 ⇒ 「記憶に残る風景」
※ 実物写真を見つけ出せず、みんフォトの写真をいくつかお借りしました😊ご了承ください(^^)
もう何年も前、一人旅に出たことがありました。
ちょうど東日本大震災の少し後くらいだったように思います。友人といつものように他愛もない会話をしていると友人が、
「青春18切符ってあるやん ? あれって5枚セットで売ってるから手が出せんけど、金券ショップに行ったら普通にバラ売りで買えるらしいで」
と言い出しました。
いつか全国各地のローカル線に乗ることを夢見ていた僕は、すぐにその話に食いつきました。
金券ショップに行くと本当にあった !
1枚2000円台だったので、2枚、即買い。
当時の僕は時間は何とかなったのですが、 とにかくお金がありませんでした。色々考えた挙げ句、
「予算1万円、日数4日、計画なし。以上」
この計画だけを立ててGOサインを出しました(笑)
今思えばよくもまぁこんなあほみたいな計画を立てたものだと思います😊笑。予算は切符代で半分消え、それも行きで1枚、帰り1枚の2枚だけ。
青春切符は一度駅を降りて改札に切符を通した時点でもうその切符は使用不可となるので、必然的に目的地に着くまでは駅のホームの椅子で寝ることになる。目的地で軽い観光とお土産を買うことはしたかったので、駅弁などは買えない。
日数も行きで2日、帰りで2日。
その範囲で目的地を設定するしかない。
僕は基本的に旅行に関してはほとんど無計画なので、目的地はすぐに決まりました。
「行けるまで行けるところ。理想は北海道(^^)」
計画というか目標というか、ともかくこうして一人旅の内容が決まったのでした。
当日、早朝4時に起きて、まずは最寄り駅からほど近い大阪駅にたどり着きました。ここが出発地点。
意気揚々と京都駅行き電車に乗り込み、車窓を眺める。真冬の早朝の空はまだ夜のように暗い。
京都駅に着き滋賀県との県境をまたいだ頃、ようやく空が明るくなってきました。よしよし、順調 ! ↗️↗️
滋賀から福井を経由して岐阜へ。
ここで一服。構内に売っていた何とか団子とかいう名物を買って食べてみると、「こんなに美味しいものがあったのか ! 」と舌鼓を打ちました。
その後は長野県辺りを通り静岡のとある駅まで着いたところで時間切れ。田舎に駅で、待合室もなく、丸太をそのまま置いたベンチと言えるのかどうか怪しい場所にうつ伏せになるようにまたがるような姿勢で就寝。
生まれてこの方こんなユニークな態勢で寝たことなどありませんし、極寒の寒さ直撃で、ここで死ぬのかなと思いました😊笑
翌朝、これまた始発に乗り、がらがらの1両編成の車内で女子高生がボックスシートで「誰々君と誰々ちゃん、キスしたらしいよ」とかいうとてもディープな恋バナをして盛り上がっているような山間部のローカル列車に揺れながら夜までがんばってここでタイムリミット。着いた地は盛岡駅だった。
ついに青函トンネルを見ることはできなかったですが、大阪から各駅停車のみの2日間でよくぞここまで来れたものだと感動してしまった。
何という達成感。僕の今でも忘れられないこの夜の静かな盛岡駅の構内と外の静寂の中の景色。
これが僕の「記憶に残る風景」となりました。
盛岡駅の待合室で就寝。
帰りは順調そのものでした。
当時流行りに流行っていたNHKドラマ「あまちゃん」の舞台となった駅でようやく改札を出て1枚目の切符を使い切り、憧れていたローカル線の1つ、三陸鉄道でのんびり景色を堪能しました。
車窓から見える光景は震災の傷跡が今なお残った悲惨な風景でした。亡くなった方々へ祈りを捧げ、復興を願い、お土産を買ってから急いでJRに乗り換え帰路を辿っていきました。
帰りはいたって順調と青春切符でも乗れる特急に遭遇した幸運もあり、高校野球で有名な岐阜県大垣市を経て一気に関西へ。見事に4日目の夕方にスタート地点の大阪駅へと帰ってくることができました😊
無計画すぎましたが無計画だからこそ体験できた人生の宝物のような思い出となりました。こういう体験っていつでもできるわけではないですからね🤭
今度こそまた挑戦して北海道を満喫してやる ! !、今度は駅弁もいっぱい食べていい感じのホテルにも泊まってやるんだ !! なんて今なお叶わなかった夢を追い続ける諦めの悪い虎吉です。
最後まで読んでいただきありがとうございました⭐
皆さん、締切りはくれぐれも守ってくださいね😊
(→誰が言うとんねん(笑))
サポートいただけるとうれしいです。