友。
今年のお盆休みは、飛石の8連休。
毎日誰かしらと会って過ごしている。
年に数回会うか会わないかの、
中学から高校までの6年間を共に過ごした40年来の友、
共に遊び尽くした大学時代からの30年来の友も、
「会おうよ」の一言だけで集まれる関係。
幸せだ。
「会いたい」と思うのには訳があった。
そう、ひとり悩んでいることがあったから。
これまで渦中にある時は、あまり人に胸の内をうまく言えないのもあり、どちらかと言えばひとりで考えこむたち。
一山超えて後になって「こんなことがあったんだ」と面白おかしく打ち明けることの方が多かった気がする。
自分から好きで打ち明けているにもかかわらず、相手の反応に「話さなければよかった」とか「真剣に聞いてもらえなかった」とか、そんなふうに感じることに臆病になっていたからかもしれない。
結局は自分の中に「答え」はあって、話したところで「答え」が変わらないと分かっていたから、かもしれない。
今も自分の中に「答え」があることは昔と変わっていないと思う。
でも、今の私は少し違っていた。
ひとりで考えることが苦しくて、すごく〝辛気臭い顔〟をしていて、
正直なところ、お出かけするような気分とは言い難い感じ。
でも、なぜかひとりではいられなかった。
「聞いてほしいことがある」
そう、同級生の友に切り出してみた。
それぞれがそれぞれにいくつもの経験を重ね、これまでいろんな選択をした結果、今たどり着いている「場所」はみんな違っている。
でも、顔を合わせた途端、同じ「場所」にいたあの時と同じ表情で、
親身に耳を傾けてくれ、
落ち着かない私の気持ちをただただ受け止め、
否定もせず、静かにエールをくれる。
ひたすらに、ただひたすらに、有難い。
自分の出した「答え」に自信を持てているようでわからなくなっていたから、「こうしたほうがいいよ」「こうすべきだよ」そんな言葉も良くも悪くも聞いてみたいと思っていたけれど、返ってくる反応は一様に…
「思うように進めばいい」とそっと背中を押しつつも、
「何があってもずっと友達なんやから」
そう、言ってくれているように感じ、
「ひとりでいられない」と感じた私は安堵した。
人生折り返した今も、ありのままで「話せる友」が私にはいる。
いや、人生を折り返すまでの重ねた年月のおかげで、
ありのままで「話せる友」に恵まれているのかもしれない。
その存在の有難さと幸せをかみしめている。