職歴編その⑥~予想しなかった出来事~
2校目ではなかなか自分の色は出せなかったものの、教科主任を命じられたり、芸術鑑賞会の担当となってこれまでの人脈を駆使してコロナ禍で厳しい中でも無事に鑑賞会を実施するなど、業績を着々と残してきました。
①思いもよらなかった電話
勤務中に義姉から何度も着信が入っていました。仕事終わりに気づいて電話をかけると、私の母親からの助けを求める電話が義姉にかかってきたとのことでした。
父親が少し痴呆の症状が出ており、母親がその介護をするような状況でした。しっかり家のことをこなしていた母に何が起きたのか、不安しかありませんでした。
母親の訴えは「何かをしようとするけど何もできない」とのことでした。台所に立って料理をしようとしても、何をしたらいいか思いつかない。掃除機の使い方がわからない。とにかく何もわからないと。
驚いた義姉がすぐに両親を迎えに行き、一時的に二人を見てくれることになりました。
私は実家から離れたところで一人暮らしをしており、すぐに対応できない状況でしたので、大変助かりました。
②病院巡りと施設探し
母親がそうなってしまった原因を探るべく、脳外科をはじめ、様々な病院を巡りましたが、これといった原因は見つからず。しかも母親は何をしていいかわからないと訴えるものの、体は元気で、言葉もしっかりしていたので、そこは安心できました。
かと言って、このまま両親だけで過ごすことは無理なので、義姉の知り合いの老人養護施設に相談して、一時的に生活させてもらえることになりました。
そうは言っても急な話だったので、1人住まいの部屋に無理やり2人で住まわせてもらう状況でしたし、年金が少ない両親の収入だけでは到底賄えるものではなく、私が費用を出すしかなかったのです。
費用は想像以上に高かったので、あくまでこれは一時的と捉え、そのうち母親の状況も良くなっていくだろう、そしたらまた二人で暮らせるだろうと楽観的にとらえていました。
③厳しい現実
しかし、現実はそう甘くありません。一見順調に見えてきた両親の施設暮らしでしたが、それまでが広い実家でパーソナルスペースが保てていたのが一変し、常に夫婦二人が一緒にいる状況。しかも他の利用者さんもいるため、これまでの気楽さと違うストレスが二人にのしかかってきます。高齢になると、環境に慣れるのに時間がかかるのだと実感しました。
それを見た私は、ある決断を下しました。