だんだん老いる親をみる切なさ
今日は、となりの石川県に住んでいる母親のところに行ってきました。
認知症があり、今は施設で生活しています。
月に1回会っているのですが、会うたびに切なくなります。
母の認知症
母の認知症は2~3年ほど前から始まっていたんだと思います。ただ、一緒に住んでいない私は、たまにしか会わないので、まったく気が付かなかったんです。
私には、兄が2人いて、母は長兄夫婦と一緒に住んでいました。
長兄夫婦は仕事をしていますので、子ども(孫)の子育て、食事作りなど、母がしてきました。孫はもう家を出ていますので、母と長兄夫婦の3人暮らし。母が高齢になり、食事作りも大変になってきたので、最近は義姉が仕事をしながら家事(食事作り)もするようになり、薬の管理、通院などしてくれていました。
「母がちょっとおかしい」と、義姉が病院に連れていったのは2年くらい前でしょうか。病院でそれほどひどくはないと言われてきたようで、私も次兄も、長兄夫婦が気にしすぎなんじゃないかって考えていたんです。
問題が起きたのは、約1年半ほど前でしょうか。
母が長兄夫婦に対してものとられ妄想を持つようになり、お金を取ったなどと言ったようで、たぶんそれ以外にもいろいろあるんでしょうけれど。それで、長兄夫婦が怒ってしまって、もう一緒に住むことはできないと、母のことを次兄に任せてしまったんです。
そんなわけで、母の施設探しを次兄と一緒にするようになったんです。
母の施設探し
母はその頃、自分が長男に対してお金をとったと言ったことは自覚していました。物忘れもありますが、身の回りのことは概ねできていましたし、洗濯や簡単な調理もしていたんです。畑も作っていました。
なので、私の感覚からいうと、まだ施設じゃなくてもという思いはありました。ただ、長兄夫婦の気持ちがこじれている以上は、やっぱり施設を探すしかなくて、母は2022年の11月にサービス付き高齢者住宅に入所をしました。
入所に至るまでに、母は施設に入りたくないと、泣いたり、怒ったり・・・。割と穏やかな人だっただけに、見ている方もちょっとしんどかったですね。施設に入ったあと、一緒に家に服を取りに行ったことがあったのだけど、その時も仏壇の前で、おいおいと泣いていて、私も困ってしまいました。
そんなこともありつつ、母の認知症は緩やかにすすみ、今は施設での生活も慣れてきてはいるのですが、そろそろ違う施設、グループホームなどを探す方向で今日はケアマネージャーさんと話してきました。
母は来月89歳なんです。
まだ、歩けるし、ご飯は自分で食べられるし、1人でトイレにも行ける(失敗することはあるけど大したことはない)。
ただ、薬の管理や清潔面の援助が必要なんですよね。
母の施設探しは、まだまだ続きますね。
娘の思い
子どもの頃にみていた母は、厳しくて、そして優しい。
洋裁が得意で、私の服はほぼ母の手作り(貧乏で服が買えなかったという説もある?)。
料理も上手で、いつも台所に立っている印象でした。
あとは、すごく倹約家でなんでも「もったいない」と言う人でしたね。
私は、23歳の時に結婚して、家をでました。結婚してからは、義実家優先で、ほとんど家には帰らず、途中、千葉県に転居もしていたので、母との接点はすごく少なく、親孝行らしいこともせず、親がいなくても私は大丈夫みたいな気持ちで生活していたように思います。
それが、富山に帰ってきてから、母の認知症を知ることになり、施設に入ってもらい、そしてさらに認知症がすすむ。
私のことは一番に忘れ、名前もわからず、「あの子」と言われたり、そのうち「あの子」とも言われなくなってしまいました。
私のことを誰だと思っているのでしょう。
そして、先日は次兄に対して「あんたのお母さんは誰や?」って何度も聞いてきたらしく、次兄はそのたびに「あなた」と答えていたらしい(笑)
そして、最近はちょっと排泄の失敗することがあって、紙(トイレットペーパー?)をパンツの中に入れていたり、パンツを3枚くらい履いていたり。
最近、服薬の管理ができなくなっていたので、ヘルパーさんに入ってもらって、排泄面の確認、服薬の確認をしてもらうことになりました。
こうやって、どんどん出来なくなることが多くなってくると、なんとなく切ない気持ちになってきます。とくに排泄面の失敗は、ショックが大きいですね。
やっぱり、母は母、小さい時にもった印象のままなんですが、母も自分も年をとりました。切ない気持ちもありますが、明日は我が身かもしれない?って思って、母をみていきたいと思っています。
親の老いを認めていくのは、やっぱりちょっとしんどいですね。
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