「恥を忍ぶ」 田中 千尋 (たなか ちひろ)
早いものでもうすぐかなの家に来て3年が経ちます。
かなの家の仕事に不満があるわけでもなく、以前一般企業で働いていた時よりも、たくさんの事が経験でき、なかまや職場の人間関係にも恵まれています。
かなの家にいて楽しいと思えることもたくさんあり、もっとなかまと過ごす時間を大切にしたいと思えることも多いのですが、長くいるとそれぞれの意見を大切にする反面、上下関係や決定権が曖昧なラルシュかなの家の良さが逆に苦しく感じる瞬間もあり、悩むことも多いです。
少し前に、支援に関するアシスタント間の意見の対立から関係性が悪化し、双方の話し合いができないほど難しい状況になりました。
それぞれのアシスタントの違った意見は正解でも間違いでもないと今は思っています。ある意見について、それってどういうことなのだろうと疑問を感じていたこともありましたが、数か月経ち、伝えてくれようとしていた内容がわかることもあります。
そうした混乱の中で、自分の近くにいるアシスタントと協力的に仕事ができればいいと割り切って考えてきました。
しかし、現在アシスタントのメンバーも変わり、チームの中で新しい考え方が芽生えているなかで、私の考え方と他の人の考え方が違うことで摩擦を感じることがあり、次第に苦しくなることが増えてきました。
私の意見が対立を生むようになりました。
以前、他のアシスタントから「今まで築いてきたことが否定されて悲しい。孤立しているようで悲しい」という話を聞きました。今になってその人たちの気持ちがわかります。
悲しい気持ちがなぜ私のなかに起きるのか。
ある時、もしかして私も自分自身の支援のやり方に固執しているのではないかと気づきました。
ではなぜ私自身の固執に気づかないで、人から指摘を頂いた際、柔軟に対応できなくなってしまっているのか。
それは私自身が変わる事への「不安」と「自信」がないからではないかと思いました。
自分を肯定してくれることを相手に求めて、強い意見に従いやすく自分の本当の意見を大切にできないように感じます。
ルールが厳格な会社ならそれでも淡々と働いていられるけれども、なかまとアシスタントの上下関係のない、みんなで話し合うことを大切にしているかなの家では、仕事だけの関係性で済ませることは難しいです。
先日の事ですが一泊旅行で、おもに私が支援を引き継いできたあるなかまの担当を他の人にお願いする事を決断しました。
それまでは、自分ひとりで担当をやらなければとずっと思っていましたが、どこかで無理が生じ、プレッシャーにつぶされ、会議中に恥を承知で自分の正直な不安や思いを他のアシスタントに相談しました。みなさん思っていた以上に一緒にどうしたらいいかを考えてくださり、結果的にリーダーの方からの提案もあり、そうした決断に至りました。そのことに感謝しつつも、旅行が終わるまでは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しかし、お願いしたことで、自分のやり方とは違うなかまとアシスタントの関係性を客観的によく見ることができました。
そもそも私一人だけが支援しなければと考える必要もないし、支援の統一も必要最低限でいいということ、アシスタントとなかまの数の分だけ関係性があって、私が思うよりもなかまの力は無限大で、学べることがたくさんありました。
自分の思い込み、先入観、過去の価値観、そうしたものを見直せるいい機会となりました。
「不安」「自信のなさ」などはなかなか払拭できるものでもないですし、勤務年数が上がれば自分の働き方のスタイルも構築され、それによる摩擦が起こることも当然の事なのかもしれません。それにより自分が出来なかった頃の事を忘れていくということも多いです。
ただ、今回の事で摩擦が生じたときに、時にはプライドやこだわりをどこまで捨てることができるか、頼ったり頼られたり、相談できる関係性を今いる人たちとどう築いていくかということが重要に思えました。
「初心忘れるべからず」ということわざがありますが、なぜここに来たのか、本当はなかまとどういう関係を築きたかったのか、本当は何をしたかったのか?
知識や経験からくる考えや価値観に飲み込まれないためにも、時々見つめなおすことも大切かと思う今日この頃です。
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