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迎えあう生活 畠中 宏(はたなか ひろし)

 私には15年引きこもった過去があります。社会のどこにも自分の居場所がなく、自分が生きていることは、自分にとっても他の誰にとっても何の意味もないと思ってきました。

 そんな生活に区切りをつけた2011年からの10年少々の間に、北海道、長野県、そしてかなの家のある静岡県と、いくつかのコミュニティを渡り歩きました。長野県北部にあるNPO法人のコミュニティで暮らしているとき、そこの同僚に教会に誘われて通うようになり、のちにその教会で洗礼を受けました。

 母がクリスチャンだったこともあって、祈りにも賛美にも抵抗はありませんでしたが、イエス様を信じますと告白できるまでにはそれなりに時間がかかりました。教会の皆さんがのちに聞かせてくれた話では、連れてこられたばかりの頃の私は、いつもしかめっ面で下を向いていたそうです。

 クリスチャンと話をしても、大事なところで噛み合わない感じがしばらくありました。自分の生活上の苦労を話す機会があっても、返ってくるのは、神様が私を扱ってくださっている、神様がこの場所に私を導いてくださった、というような話ばかりで、私自身のことなのになぜか彼らはいつも神様を主語に話すのです。眼の前にいる私の苦労や人生が無視されている気がして、ずいぶん腹を立てたのを覚えています。

 教会なんか行かなくていいと思っても、同僚は毎週私を誘います。私がヘソを曲げていることも分かっているはずなのに、ニコニコ笑いながら、教会に行きませんかと誘いに来ます。このお節介と忍耐強さはどこから来るんだろうと不思議でした。しかめっ面の私を、みんなやたら温かく迎えてくれました。赤の他人なのに、私が教会に来ること、私がイエス様を知ってゆくことをみんなが大袈裟に喜んでくれました。

 古い私の意識は、ゆっくりとですが変えられていきます。不思議に思えたクリスチャンの言葉や態度は、聖書に書かれたイエス様の言葉や態度と一致しているんだなと気づきました。あのお節介はイエス様の招きなんだ、あの喜びはイエス様の喜びなんだ、とわかりました。

 いろいろな事情があって長野県を離れることになりますが、日々の生活の中に祈りと賛美があるコミュニティを探し、5年ほど前に静岡のかなの家に来ることになりました。なかまもアシスタントもとても温かく私を受け容れてくれました。

 かなの家では、私を含め何人かのアシスタントが、グループホームに住み込んでなかまといっしょに暮らしています。障害を持ったなかまとの共同生活は、静けさ、安全、清潔さなどにある程度目をつぶらなければならない面があり、短い期間で去っていかれる人もいます。

 なかまもアシスタントも、みんな何かしらの不足や困りを抱えています。一人では生きられない人たちが集まってコミュニティを作ります。みんながそれぞれ持っている不足や困りが、ほかの人に役割や居場所を与えてくれ、互いに求めあい、迎えあう関係が生まれます。互いの弱さの中に、イエス様の

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」

 というメッセージが込められているように感じます。良くも悪くも、かなの家では孤独になることは困難です。

 みんな弱い人間なので、仲良くできない相手もいます。仲良くできない相手と、夕食後にいっしょにお祈りをします。すごい時間、すごい機会が与えられていると思うのです。こんな場所なかなかないです。

 コロナ禍で機会は減っていますが、かなの家に興味を持って遊びに来てくださるお客さんがあります。かなの家で働きたいと思ってくださる方もいらっしゃいます。いつの間にか私も、そうした人たちは神様がここに導いてくださったのだと、当たり前に考えるようになりました。

 自分が迎えられた時のように、たくさんのお客様を、イエス様の喜びをもって温かくお迎えできたらいいなと思います。

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